第七話

 その後、莉璃りり零真れいしんは作業部屋に戻り、ほう家から持参した六冊の図譜ずふを開いた。

 それらは草花や花木に特化した書物だ。

 その中に金色の花に関する手がかりがないものかと、二人揃って黙々と頁をめくり続ける。


 けれど結局、見つけることができないまま夕刻になってしまった。

 そのため莉璃は、礼部の官吏をとおして謁見を申込み、ふたたび貴妃のもとを訪ねたのだ。


 その頃には王はすでに去っていて、機嫌を直した貴妃がにこにこ顔で莉璃と零真を迎え入れてくれた。

 そこで彼女の口から、何かしらの手がかりが語られれば、と期待したのだが。


「ごめんなさい。わたくしの記憶も曖昧で……透きとおるように輝く金色の花だったということしか覚えていないの」


 結局、花の種類を特定できるような情報は得られなかった。


 唯一入手した手がかりといえば、その花を見た場所――つまり貴妃の旅先が、王都より南方の、美しい湖縁の地だったということだけだ。

 そのため莉璃は、王宮の府庫で新たな草花の図譜と、地理に関する書物を借り入れることにした。

 そして深夜に至るまで、零真とともに作業場で書物の頁をめくり続けたのだ。


「莉璃さま、そちらに何かございましたか?」

「図譜は全滅ね。どれにも金色の花は載っていないわ」

「こちらは湖縁の村や町など、それらしい場所が見つかりましたが」

「見せてちょうだい」


 零真からの朗報に、莉璃は背後に座る彼を振り返った。

「どこかしら」と、期待に満ちた眼差しを、彼の手元に向ける。


「府庫から借りた地図を見る限り、条件に合う場所は七つありました。……まあ、この地図は五年前に作成されたものらしいので、現在、多少の増減はあるかもしれませんが」

「七……? そんなにあるの?」

 予想以上の数に、目の前の机に突っ伏せずにはいられなかった。

「多すぎるわ」

「ですが王都の南方、馬車で十刻から十二刻前後、名勝とうたわれる美しい湖がある場所となりますと、そのくらいにはなってしまいます」


 莉璃の口から、無意識のうちに大きな溜息がこぼれる。

 場所が絞り込めるのならその線からあたるのもひとつの手かと考えていたが、多数存在するとなると調査をするだけでひと月以上はかかってしまうだろう。


「せめて花の形だけでもわかればいいのだけれど……」

「蒼貴妃に絵を描いていただくのはどうでしょう? 手がかりになるかもしれません」

「そうね……いよいよの際にはお願いしてみようかしら」

 莉璃はようやく机から身を起こした。


「そういえば、あなたの出身地も、湖縁の村だと以前、言っていたわね?」

 ふと思い出して顔を上げると、零真は「ええ」とうなずいた。

「私が生まれた村も、蒼貴妃の旅先の条件に当てはまっています。王都から馬車で南西方向に十二刻。大人の足で一周六刻程度の湖がありますが、湖縁を縁取るように白い花や柳の木が植わっていて、水鳥がたくさんいて、小魚も踊るように泳いでいて……」

 零真の切れ長の目が細められる。


「とても美しい場所なのね」

「十の頃には村を出てきてしまいましたから、今はどうなっているのかはわかりませんが」

「今は、って……まさか今まで一度も帰っていないわけではないでしょう?」

 もしや、と思い聞いてみると、零真の表情がかすかに曇った。

「帰郷するには金がかかりますので、いまだ一度も。五つ年下の妹もいるので、たまには顔を見に帰りたいとも思うのですが、無駄に金を使うよりもきちんと貯蓄し、それを持ち帰ったほうが家のためになるかと思いまして」

「そうだったの……」

 彼の守銭奴たる所以を今初めて知った。


 ――妹さんに会いたいでしょうに。


 そう思えばそれ以上、何も言えなくなってしまい、莉璃は口を閉じる。


「それに村を出る際、両親と喧嘩別れのようにしてしまったため、帰りづらいのですよ。まあ、いつか必ず帰ろうと決めてはいるのですが」

 零真はなんでもないことのように、あっけらかんと言う。

「と、申し訳ございません。仕事に関係のないことを喋りすぎてしまいました」

 場の空気が重くなるのを嫌ったのだろう。彼は取り繕うように声を明るくした。

「それよりも、金色の花をどうにか見つけなければいけませんよね」

「一度、その地に行ってみたいわ」

 気づけば口から自然と滑り出ていた。

「え?」

「とても美しい場所なのでしょうね、きっと」


 白い花や柳の木に彩られた、美しい湖。

 陽の光の下、湖面の上では水鳥が優雅に羽根を休め、湖面の下では小魚が跳ねるように泳ぎ回る。

 その光景を想像するだけで、ほうっと息がこぼれた。


「……そうですね、機会があれば、いつかいらしてください。その際は私が村を案内いたしましょう。王都から訪れる観光客頼みの、決して裕福ではない村ですが、あの湖は本当に綺麗ですから」

 故郷を思い出しているのか、零真はどこか遠くを見つめるようにしている。


 そのうちにさらに夜はふけ、時刻は子の刻になった。


「ああ、もうこんな時間だわ。零真はそろそろ寝てちょうだい」

「莉璃さまは? まだお休みにはなられませんか?」

「もう少しだけ図譜を調べてみるわ。何か見落としているかもしれないし」


 今はわずかな時間も無駄にはできないと、気ばかりはやる莉璃だ。

 できることならいち早く花の種類を特定し、次の作業に移りたかった。


「では先に休ませていただきます」

「ありがとう。明日もよろしくお願いするわね」


 そうして自室へと向かった零真だったが、扉の前でふと立ち止まった。

「そういえば今晩、白影はくえいさまが訪ねるとおっしゃっていましたが」


 思い出した瞬間、ひやりとした。

 仕事に夢中ですっかり忘れていたが、たしかに昼間、彼はそう宣言していたのだ。


 ――けれど、もうこんな時刻だもの。


「さすがに今日は来ないのではないかしら」

「そうでしょうか」

「もし来たとしても、眠ったふりをするつもりよ」

 そう。彼の声に応じるつもりは毛頭ない。

「では何かございましたら遠慮なく声をかけてください。その場合、もちろん深夜手当はいただきますが」

 零真は今度こそ自室へと入っていった。


 ――それどころじゃないのよ、今は。


 正直、白影のことなどどうでもいい。

 まずは九日後の締切に向けて、衣装の図案を描かなければいけないのだ。

 それには金色の花の印象が不可欠になる。


 莉璃は卓子たくしの横に置かれた図譜を手にとり、再度、頁をめくり始めた。


「金色……もしくは金色に見える花が、きっとあるはずだわ」

 図譜に記された花の絵や、特徴、国内での生息地など、集中して情報を拾っていく。

 静まり返った作業場に響く、頁をめくる音、自身の呼吸音。

 一冊読み終えて、また次の図譜へ。けれどもやはりどの書物にも載ってはおらず、莉璃は次第に焦りに苛まれていった。


「これも違う……これも。本当に手がかりがまったくないわ」

 さすがにめげそうになって床に寝転んだとき。


「莉璃姫」

 もうすっかり聞き慣れた声が、莉璃の鼓膜を震わせた。

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