終章 次の花嫁となる人は
第一話
その日は見事な冬晴れ。
空は高く澄みわたり、陽光があたりに
南側の広場に並ぶのは、一品から九品までの位を持つ文部百官だ。
色とりどりの衣裳をまとった彼らは、まるで咲き乱れる花のようにも見える。
その中に一人、ひときわ目立つ赤い衣裳を着た貴人がいる。
ここ黎国の王――
「いらっしゃったぞ……!」
官吏の中の誰かが興奮気味に叫ぶと同時に、鐘と太鼓が打ち鳴らされた。楽隊が演奏し、香の煙が殿の内外に漂う。
いよいよその時がやってきた。
広場に到着した籠の中から
「おお……! なんて素晴らしい衣裳なのだ!」
「お美しい! さすが我が黎国の貴妃であるお方よ!」
「しかしまあ、花嫁衣装がなんともお似合いじゃ!」
居並ぶ官吏たちは、貴妃とその衣裳を褒め称える言葉を雨のように降らせる。
皆、花嫁衣装に身を包む貴妃を見て、感嘆の息を漏らしている。
やがて貴妃が深紅の絨毯の上を歩き始めれば、あたりは水を打ったように静まり返った。
王の元へと続く赤い道。その両脇を飾るのは、
水で濡らしたそれは太陽の光を浴びて、神秘的に輝いている。
貴妃が歩くたびに
まるで貴妃が金色の花畑の中を歩いているようだ、と誰かが言った。
「なんて素敵なのかしら……本当にお綺麗でいらっしゃるわ……!」
貴妃の晴れ姿を遠くから眺めていた
朝方まで作業をしていたおかげで、肌や髪の状態は最悪。とても人前に出られる格好ではないため、大和殿の隣の建物の二階から、見下ろすようにして
「衣裳もとてもよくお似合いだわ……! ねえ、
興奮しながら隣に視線をやれば、刃のような印象の美貌があった。
莉璃と並んで華燭の儀を眺めているのは、白影だ。
「そうですね、たしかにお綺麗ですが、それよりも」
「それよりも、なんですの?」
「あなたのほうがもっと綺麗です」
白影は真面目な面持ちでそう言ってくる。
「何をばかげたことを……こんな時に冗談はやめてくださいませ」
しらっとした顔でいなせば、彼は困ったように片方の眉をあげた。
「冗談ではないのですが、ね」
ぽつりと呟いた言葉は、よく聞き取れなかった。
「それより、白影さまはこんなところにいてよろしいのですか? 総監の立場であるあなたなのに」
莉璃と同様、白影もここ数日は多忙を極めていた。
儀式の流れや周辺諸国の要人や官吏の並び順、儀式に使用する文書や楽隊の配置など、ありとあらゆることの調整に奔走していたのだ。
「問題ありません。ここからならすべてを見渡すことができますから」
ならばもっと儀式に集中すればいいのに、と、莉璃は息を吐く。
「まさか、落ち込んでいるのですか?」
莉璃の溜息を、白影はそう捉えたようだった。
「王家の花に任命されなかったからですか」
「それはもちろん、なれるものならなりたかったのですが……」
今回、衣裳は採用された莉璃だが、当初の決まりに則った選考ではなかったため、副賞を得ることはできなかった。
つまり期日内に仕上げられなかったということで、王家の花への任命は見送られてしまったのだ。
「しかたありませんわ。今回は様々なことがございましたもの」
「ずいぶんあきらめがいいんですね」
「落ち込んでいる暇はありませんから」
「月華館に注文が殺到する――と?」
「当然ですわ」
王家の花になる夢は叶わなかったが、
「もう一度、月華館を盛り立ててみせますわ」
これから先もずっと、花嫁を輝かせることのできる衣裳を作っていけるように。
罪を償い終えた
そしてまたいつか、違った方法で王家の花になることを目指してみせる。
そう気持ちに区切りを付けたのだ。
「それに、ようやくわかったのです。花嫁衣装を作るということが、どういうことであるのか」
莉璃の夢はまだ始まったばかりだ。
「それもこれも、すべてあなたのおかげですわ」
ありがとうございます、と、莉璃はあらためて白影に向けて頭を下げた。
彼に出会わなければ――彼が莉璃の側に居続けてくれなければ、この結果は得られなかっただろう。
「そのお気持ちはありがたく受け取ります。――が、何かお忘れではありませんか?」
莉璃は、「え?」と首をかしげる。
「私との結婚です。華燭の儀は四ヶ月後。いよいよ準備にとりかからなければなりません」
「ええ、それはもちろんわかっておりますが……」
曖昧な返事をしながら、莉璃は複雑な気持ちを抱いていた。
王宮に上がり、思いがけず白影と過ごすことになり、彼の人となりを知った。
真面目で、強い信念を持っていて、それを貫こうと努力をしていて。
飛び抜けた才や美貌に
そんな彼に、正直、惹かれていると思う。
けれど。
「やはりわたくしの想いは変わりません。……仕事を認めてくださらないのなら、あなたと結婚することはできませんわ」
もう何度、この台詞を口にしただろうか。
けれど今回は、言葉にした刹那、胸が締め付けられるように苦しくなった。
「なかなか強情ですね。やはり花嫁衣装の仕立てをあきらめるのは難しい、と?」
莉璃は無言でうなずく。
すると白影は、魂が抜け出てしまうのではないかと心配になるほどの息を吐いた。
何やら思い悩んでいるのだろう。悩ましげに白銀色の前髪をかきまぜる。
「……しかたありません。では私のほうがあきらめるといたしましょう」
あきらめる。
つまりこの結婚自体を破談にする、ということなのだろう。
そう認識した途端、自分でも驚くほど悲しい気持ちになって、莉璃はどうしていいのかわからなくなった。
ずきり、と胸が痛んで、きつく唇を噛みしめる。
それでも感情をおさえきれずに、急激に目頭が熱くなる。
けれどしかたがない。これが自ら望んだことの結果なのだ。
何もかもを手に入れることなんて、できない時のほうが多いのだから。
「……ええ、わかりましたわ」
応えた声は、少し震えていたかもしれない。
「残念ですが、しかたがありませんわね」
「残念なのは私のほうです。私があきらめて、あなたが仕事を持つことを認めるのですから」
「ですからわかりましたわ。今回は縁がなかったということで――え?」
どういうこと? と、莉璃は目をまたたいた。
「仕事を持つことを認めるって……え? 本当ですの?」
「不本意ですがしかたありません」
「あきらめるとは……そういうことですの? 結婚を取りやめるのではなくて?」
「以前、あなたはおっしゃっていました。あなたに断りなくふれたのなら、それはあなたが仕事を持つことを認めたということだと解釈なさる、と」
たしかに以前、白影に忠告した。
それは彼と再開した日。莉璃の部屋を訪ねてきた白影が、勝手に莉璃の髪に口づけをした時だった。
「だというのに、私はあなたにふれてしまいました。……断りもなく、自分勝手に」
おそらく、彼の出自を知ったあの夜の口づけを指しているのだろう。
あるいは立華村でのことかもしれない。
「でしたらもう認めるしかないでしょう?」
「ですが、わたくしとの結婚を破棄するという選択肢もあるはずですわ」
しかし白影は、首を横に振る。
そして真顔で、言った。
「あなたに惹かれているのです」
いきなりの告白に、息が止まるかと思った。
「あなたのことが好きなのです。ですからどうしても私の妻になっていただきたい」
たとえ、仕事という部分で譲歩したとしても。
告白はまだ続く。
「あなたに私の側にいていただきたいのです。そしてもっと自由にあなたにふれたい。その美しい黒髪に、白い肌に、やわらかな唇に……あなたを私だけのあなたにしたい」
「そんな……だって……」
甘い言葉が雨のように降ってきて、莉璃の心は溺れてしまいそうになった。
「だって白影さまは、わたくしにまったく興味がないとおっしゃっていたじゃありませんか」
「ですがあなたを知るにつれ、心を動かされたのです」
初めてですよ、と、白影は言った。
「恋というものにおちたのは」
「……そういえば、わたくしも初めてですわ」
恋というものを知ったのは、と、莉璃はつぶやく。
「ちょっと待ってください、それはいったい誰にですか?」
問われてようやく気づいた。
無意識のうちに、余計なことを言ってしまったのではないか、と。
けれど隠し立てしても何の意味もない。
そう思えたから、素直に明かすことにした。
「……白影さま、あなたに、ですわ」
「……私に?」
「ええ、そうです。わたくしもあなたに惹かれているのです」
「私に……本当に私にですか? この私に?」
「しつこいですわよ」
「ですが、信じられなくて……まさか私のような者のことを、あなたが……」
「好きですわ」
あらためて言葉にすれば、想いは次から次へとあふれだした。
「わたくしもあなたに惹かれています。……あなたの妻になりたいと、そう願っておりますわ」
直後、彼が見せる嬉しそうな笑顔。
それがあまりにも無邪気で、まぶしくて、輝かしくて。目にした瞬間、心が震えた。そして莉璃まで嬉しくなったのだ。彼はこんな顔をして笑うのだ、と。
「覚悟してください、莉璃姫。二十一歳になっての初恋です。自分でも手に負えそうにありません」
「努力いたしますわ。花嫁衣装の仕立て人としての仕事と、あなたの妻という仕事と、どちらも上手くやってみせます」
そう宣言をした時、眼下に広がる人だかりから、ひときわ大きな歓声があがった。
籠を降りた貴妃が主上の元へとたどり着き、二人が手を取り合ったのだ。
深紅の衣裳をその身にまとう夫婦は、これからひとつの未来を生きていく。死が二人を分かつその時まで、連理の枝のように、比翼の鳥のように。
「蒼貴妃、お幸せそうだわ……とてもお美しいですわね」
幸せに満ちた貴妃の顔をぼんやり眺めていたら、いつしか頬に涙がこぼれていた。
「あなたは……気は強くあられるが、わりと涙もろいのですね」
白影の大きな手が、莉璃の顔を無理やり仰向かせる。
「今、いいところなのです。邪魔をしないで――」
くださいませ、と言い切る前に、唇に白影の人差し指をあてられ、「静かに」と声を封じられた。
「主上の婚礼もいいが、次は私たちが華燭の儀を挙げる番です。――誓いますよ。必ずあなたを幸せにする、と」
やがて莉璃の髪に、額に、頬に、口づけの雨が降ってくる。
だから莉璃は、そっとまぶたを閉じたのだ。
今はただ、身体の芯がとろけるようなこのときめきに、溺れていたいと思ったから。
終わり
花を召しませ 〜仕事に生きたいわたくしは、あなたとの婚約破棄を願います〜 新奈シオ @shinkawa
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