第四話
「……雨が上がりましたね」
ぽつりと呟いたのは
言われて顔をあげると、いつしか空は明るくなり、天気は回復をみせていた。
白影が予想したとおり、通り雨だったのかもしれない。途切れた雲の隙間から、太陽が顔をのぞかせている。
しばらくそうしていれば、夕方の陽光があたりに降り注ぎ、湖面が
「……これがあなたが言っていた景色なのね」
「これが、私の愛する故郷です」
その時、白影がはっとした様子で目を見開いた。
「たしかあなたたちが必死に探していた花は、金色の花でしたね?」
それは貴妃が
「そうですけれど……どうしてですの?」
なぜ突然そのようなことを言いだしたのだろうと、莉璃は首を傾げる。
「まわりを見てください」
うながされて視線をやれば、莉璃と零真は揃って驚きの声を上げた。
「莉璃さま、この花は……」
「金色の花だわ……!」
自分たちが座る周囲に、金色に輝く花が咲き乱れていたのだ。
それは
よく見れば花片は、透き通るような白色だ。それに陽光が降り注ぎ、きらきら輝いて金色に見えている。
「零真、あなた知っていたの?」
「いえ、知りませんでした。これはついさっきまでただの白い花でしたが……」
「おそらく、条件を満たしたときだけ色が変わるんでしょう。水に濡れた状態で光が当たれば金色に見える、と」
白影はその花を二輪摘むと、莉璃と零真に手渡してきた。
――いくら探しても見つからないはずだわ。
莉璃はうなるような息を漏らした。
おそらくこの現象を目にすることができるのは、年に十数度――いや、もしかすると数度かもしれない。
となれば、どの図譜に載っていないのも納得だ。
「きれいな花……貴妃がおっしゃっていたとおり、本当に金色だわ」
「ええ、本当にそうですね……」
その時、どこからか白影の名を呼ぶ声が聞こえてきた。
「白影さま! 軍の一部がただいま到着いたしました!」
あとを追って来ていた武官のひとりが、こちらに向かって走ってきたのだ。
「行け、零真」
白影は言った。
「軍の者たちが君を王宮まで連れて行く。こうなったらさっさと牢に入って、罪を償って出てくることだ」
零真はすっきりとした顔で微笑んだ。
「ええ……そうですね。そうさせていただきます」
「零真、約束よ。絶対にわたくしの元へ戻ってくるのよ」
「さようなら、莉璃さま」
すっくと立ち上がった零真は、莉璃に向けて深々と頭を下げてきた。
武官の元へと歩き出す彼の胸に抱かれているのは、金色の花だ。
その後ろ姿をひたと見つめる莉璃の胸にも、やはり同じ花が咲いている。
――いつか……いつか必ず、また一緒に花嫁衣装を作りましょう。
莉璃は胸中でそう語りかけた。
わたくしはいつまでだって、あなたの帰りを待っているから、と。
やがて零真は、武官に連れられ、莉璃の視界から消えていった。
その途端に、白影が怒った。
「あなたは……! いったい何を考えているのですか……!」
あまりの剣幕に、莉璃はびくりと身体を震わせた。
「こんな怪我をして……馬鹿なのですか? 阿呆なのですか? どれだけ無茶するつもりなんです!」
よほど苛立っているのか、白影は厳しい言葉を次々莉璃に浴びせてくる。いつもの彼からは、とても考えられないような怒りぶりだ。
「そんなに怒らないでくださいませ」
「いいからもう黙っていてください!」
白影は柳の木の根元に莉璃を座らせると、傷口を隠していた綿布をあたりに投げ捨てた。
零真に心配をかけたくなくて我慢していたが、肩に負った傷は焼けるように痛んでいる。空気がふれれば、思わず引き攣った声が漏れてしまいそうだ。
「そう深くはない傷ですが、しばらくは痛むでしょうね……まさかあの状況で飛び出すとは思わなかったので、対応が遅れてしまいましたが」
「驚かせてしまい申し訳ありません」
「いえ、あなたを責めましたが、結局は私の落ち度です。ですがまさかあの場面であのような行動に出るなんて……」
そうやってぶつぶつ文句を言いつつも、莉璃にふれる白影の手は思いやりに満ちている。
彼は自分の衣の袖を裂き、莉璃の肩にそっと巻き付けた。
「ねえ、白影さま」
莉璃は零真が消えた方角を眺めながら言った。
「いつかきっと、零真はわたくしのもとに帰ってまいりますわ」
「どうでしょうか。今回の罪は重い。どれだけ先になるかはわかりませんよ」
白影は現実的な答えを返してくる。
「たしかに、そうかもしれません。けれどそれでも、帰ってきたら今度こそ自由になって……いつかは心の傷も癒えて、きっと……きっと幸せになれますわよね?」
そうであってほしいと、心から願った。
緊張や不安から解放されたからだろうか、気づけば莉璃の頬は濡れていた。
それを必死に拭いながら、最後は泣き笑いのような表情になる。
「零真だけじゃないわ。主上も
その時、唇にやわらかな感触を覚えた。
口づけをされたのだと気づいたのは、またしても少し時間が経ってからだった。
「他の者たちのことより、まずはご自分のことでしょう?」
「え……」
「あなたはそんな顔で笑うのですね」
手当てを終えた彼は、何ごともなかったかのように莉璃から離れた。
「まずは衣装の確認をされたほうがよろしいのでは?」
零真が残していった
中に入っていたのは見覚えのある深紅の衣裳だ。それを目にした途端、直前の口づけのことは莉璃の頭の中から消えていた。
きちんと畳まれていたそれを、おそるおそる両手で広げてみる。
「ああ、よかったわ……! 衣裳は――」
無事だわ! と歓喜の声を上げようとして、けれどはっと息をのんだ。
「そんな、まさか……このようなことが……」
よく見れば衣裳の
刺してある花の刺繍もそうだ。生地とともに破れたり、派手にほつれたり、よれてしまっていたりしていた。
どの段階でそうなってしまったのかはわからない。
「嘘でしょう……?」
莉璃は口からうめくような声を漏らした。
目の前が真っ白になって、うまく呼吸ができなかった。
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