第五話
その後、王宮に移送された
その頃にはそもそもの事件を起こした
事件はひとまずの解決をみた。
だがその一方で、貴妃の花嫁衣装の選定は難航していた。
なぜなら
「柳家の衣裳はすぐに修正がきくとして、問題は鳳家と櫂家だ」
「衣装製作の本来の締切日は明後日。だがこれでは選定する必要もない」
つまり柳家の衣裳で決定ということだった。
けれど莉璃はもちろん納得がいかなかった。
櫂家のように、単純に製作が遅れ、間に合わなかったのであればしかたがないと思える。しかし莉璃の場合は、突発的な騒動に巻き込まれた末に、衣裳が壊れてしまったのだ。
なぜあきらめなければいけないのだろう?
本来であれば、衣裳の提出期限の延長を王に願いたい。
だが損傷したのは
華燭の儀にはとても間に合わないだろう。
「鳳家にとっては残念なことだが、これもしかたのないことだと納得してくれ」
外朝にある王の執務室。
絨毯の上に膝をつく莉璃に向けて、王は言った。
「華燭の儀を延期にするわけにはいかぬのだ」
「それはもちろんわかっております。けれど……納得はできませんわ」
どうにか心を落ち着けようとつとめても、悔しくて拳に力が入る。
それでもやはりうなずくしかないのだ、と覚悟した時、白影が口を開いた。
「主上、彼女に時間を与えてやってください」
「何の時間だ」
「衣裳を修正する時間です」
って、いったい何を言い出すの?
背後に立つ白影を振り返れば、彼はこちらに問うてくる。
「八日程度で修正できますか?」
「残念ながら無理ですわ。新たに作り治すにはさらに時間が必要です」
「新たに作り治せとは言っていません。修正したらどうかと言っているのです」
「ですが、修正したら……」
立華村から王宮に戻る馬車の中で、白影に話して聞かせたはずだ。
破れた箇所を切り取り、今の生地をどうにか修正して使うなら、今よりずっと細身な形に変更――つまり裙の形自体を変えなければいけない。
そうなると莉璃が目指している月華館ならではの衣裳ではなくなってしまう、と。
「あえて言わせていただきましょう。衣装の裙は、あの形じゃなくてもよいのでは?」
あっさり問われて、莉璃は眉根を寄せた。
「よくはありませんわ。だって貴妃にお似合いになるのはあの形ですもの」
ちらりと視線をやれば、貴妃はもの悲しげな眼差しをこちらに向けている。
「本当にそう思って図案を描いたのですか?」
「質問の意図が理解できませんわ。白影さまはいったい何が言いたいんですの?」
「わかりませんか」
「ええ、まったく」
「でしたらこれからあなたに向けて失礼な発言をいたしますが、どうか私を嫌いにならないでください」
これが発端となって婚約を破棄されるなんてことがないように。
そう言って、白影はひたとこちらを見つめてくる。
「はっきり言わせていただきます。あれはあなたの母上の作品を真似て作ったものでしょう?」
「たしかにそうですわ。けれど、それが貴妃にはお似合いになると――」
「いいえ、貴妃に似合うと思って作られたのではない。本当に似合うと思って描いた図案を却下し、ただ母親のあとを追うために描いた図案を採用したのでしょう?」
「――!? それは……!」
白影の言葉は刃となって、莉璃の胸に突き刺さった。
――ああ、なんてことなの。
白影は知っているのだ。衣裳の図案を二つ作成した莉璃が、悩んだあげくに独自の感覚で作り上げた案を却下したことを。
かつて母が製作した衣裳に似た案を選択したことを知っているから、そう言うのだ。
けれど、それの何がいけないのだろう。
「……いけませんか?」
問いながら、自然と顔がうつむいていた。
「母の衣裳は、月華館の衣裳です。母がわたくしに遺してくれた大切なものです。それをお客さまが喜んで身に着けてくださるのなら、それでいいと、そう思って今日までやってまいりましたわ」
「ですが主上と貴妃は前におっしゃられていたじゃないですか。『はたしてこれが貴妃に似合うのか』と」
脳裏にひと月前の記憶がよみがえる。
それは衣裳の図案を提出し、返却してもらう際に成官吏から伝えられた言葉だった。
「なぜあの時に気づかなかったのです? 望まれているのは月華館の衣裳じゃない。真実、貴妃に――蒼貴妃だけに似合う衣裳です」
「それはもちろんわかっておりますわ」
「いや、わかっていないからこそ母上の衣裳を真似たものを作ったのでしょう? あなたは『貴妃のために』と口では言いながら、結局自己満足のために衣裳を作ったのです」
「そんなこと……!」
ない、と言い切れるのだろうかと、ふと不安になった。
母の背を追い、かつて母が製作した衣裳の図案を参考にし、製作してきたのは事実。
そして努力を重ねたのだ。かつての母の衣裳をどうにか再現しよう、と。
「わたくし……わたくしは」
いったい何を目指して、誰のための衣裳を作ってきたのか。
そう考えれば急に息苦しくなって、上衣の胸元をきつく握りしめた。
「……そのご様子だと、気づいてくださったのですね」
白影はほっとしたような息を吐いた。
「気づかれたのなら考えをあらためればいいのです。落ち込んでいる暇はありません。即座に行動に移すべきでは?」
なんて迅速かつ合理的な助言なのだろう。
彼の言うとおりだと、莉璃は拳を握る。
――ああ、なんてことなの。
目の前がいっきに開けた気がした。
『素敵だけれどなにか違う』『残念だけど似合わなそう』と、なぜ今まで言われてきたのか、始めてわかったような気がしている。
自分は今、何をするべきだろう?
考えずとも答えは出ている。
「――主上、お願いいたします。衣裳の選定をあと八日……いえ、六日待ってくださいませ」
「華燭の儀まで時間がなさすぎるな」
「それでもどうか……! どうかお願いいたします。必ず貴妃に喜んでいただける衣裳を作る自身があるのです!」
莉璃は絨毯に両手を付き、額をこすりつけるようにして頭を下げた。
同時に周囲がざわつき始める。礼部の官吏や柳家、櫂家の仕立屋たちが、それで間に合うのかと戸惑っているのだ。
「必ず間に合わせます。もし信用いただけないようでしたら、柳家の衣裳を使用する準備をしてくださっていてもかまいません」
「鳳家を待ちましょう、
口を開いたのは貴妃だった。
「わたくしは待ちたいわ。当初の予定どおり、三つの衣裳の中から選びたいもの」
「では櫂家にも六日間を与えると?」
「柳家がそれを認めてくれるのなら」
皆の視線が
「……かまいませんわよ、べつに」
「え……」
驚くあまりに声を上げてしまえば、圭蘭はばつが悪そうに視線を逸らした。
悠修が自分のために事件を起こしたことを気に病んでいるのか、やけに神妙な面持ちをしている。
いつもの横柄な態度の彼女とは、まるで別人のようだ。
「ならば衣装製作の締切は七日後の朝、戌の刻とする」
宣言するなり王が立ち上がった。
「ありがとうございます!」
莉璃は喜びに輝く瞳を白影に向ける。
彼のおかげで事態は大きく変わったのだ。胸に抱いた大きな謝意をどのような言葉にすれば伝わるのか、わからなくて、ただ彼を見つめることしかできなかった。
すると白影は、苛立たしげに前髪をかきまぜ、独り言を吐いた。
「あなたに仕事をあきらめさせる好機だったというのに、いったい私は何をしているんでしょう……」
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