第二話

 そもそも今回、莉璃が王宮を訪れることになった発端は、ひと月ほど前に出された布令書ふれしょにある。

『主上と貴妃の華燭かしょくの儀を急ぎ執り行うことが決定した。ゆえに貴妃のための花嫁衣装を製作する。王都・東慶とうけいの仕立屋は、十日以内にそれぞれ図案を提出せよ』と、朝廷の礼部から通達があったのだ。

 さらにそれには、『採用された者には「王家の花」の称号を与える』とも記してあった。


 ――王家の花……憧れの!


 王家の花とは、王族が身につける品々――衣裳やくつや宝飾品を製作する者たちに与えられる最高位の名称だ。

『それらの者が作り上げた品は、王や妃を彩る花のようなものである』との論により、その名が付けられたらしい。

 花と認められた者は牡丹が彫られた佩玉はいぎょくをたまわり、王宮の中に仕事部屋を与えられるのだとか。


 今回の布令書の中に、王家の花に関する一文を見つけた時、莉璃は「これだわ!」と書を抱きしめた。

 幼い頃から月華館の仕事を手伝ってきた莉璃は、いずれ自分も母のような仕立屋になろうと決めていた。

 そして母がこの世を去ってからは、日々の仕事に励みつつ、いつか王家の花になることを夢みてきた。

 花であるということは、この国一の仕立屋であると評価されたということ。

 となれば莉璃が手がけた衣裳には大きな価値が生まれ、月華館はまちがいなく繁盛する。

 結果、鳳家は安泰。莉璃が政略的な婚姻を結ぶ必要もなくなるという算段だ。


 ――どう転んでもいいこと尽くしだわ。


 取らぬ狸の皮算用だということはわかっている。

 けれど今の莉璃に残された道は、今回の衣装製作を成功させ、王家の花に選出されるより他はないのだ。


莉璃りりさま。あちらの女人、りゅう家の姫君だそうです」


 ふいに零真れいしんに耳打ちされ、うながされるまま首をめぐらせた。

 部屋の中で待機する総勢十三名の女人たち。

 そのうちのひとり、とりたてて華やかな装いをした女人のことを、零真は指しているようだった。


 複雑な形に結い上げた髪と、ぱっちりとした目元が特徴的な美しい女人だ。

 年齢は莉璃と同じくらいだろうか。

 身に着ける衣装は金糸銀糸の縫い取りがされた豪奢なもので、一見して名家の出自だということがわかる。


「柳家って、四星家しせいけの?」

「さきほど官吏たちが噂していましたので、間違いないかと」

「けれど柳家が衣装業を営んでいるなんて、聞いたことがないわ」

「私も長らく王都の仕立屋にいましたが、初耳ですね」

 莉璃と零真は顔を見合わせる。


 今回、王宮に召集されているのは、莉璃たちほう家のほかにふた家ある。

 礼部に提出した衣装の図案で選ばれた者たち――つまり一次審査を勝ち抜いた仕立屋たちだ。


「柳家も新しい商売を始めたのかしら」


 鳳家ほどではないものの、柳家の財政もかんばしくないらしいと以前、父から聞いたことがある。

 今の世、どうにか利益を生まなければ、貴族は没落する一方なのだ。


 その時、部屋の扉が開き、碧玉色の官服をまとった三人の官吏が現れた。

 一人は高齢に見える白髪の男だ。あとの二人はその男の部下のような雰囲気の、二十歳そこそこに思える青年である。


「はじめまして。私は礼部の成隼仁せいしゅんじん。今回の衣装製作に関する責任者のひとりです」

 歳を召した男――成官吏がにこやかに口を開いた。

「貴妃の花嫁衣装の図案の応募総数は、実に百二。その中から見事選ばれましたのが、今ここにいるみなさま方です」


 莉璃は驚きに目を丸くした。

 かなりの数の応募があっただろうと予想はしていたが、まさか百に届いていたなんて。


「仕立屋――鳳家、柳家、かい家のみなさま方には、本日よりひと月半にわたりこの殿に滞在していただきます。作業や生活には家ごとに部屋を用意いたしましたので、そちらをご利用ください」


 そこで柳家の姫だと思わしき女人が手を挙げる。

「質問! よろしいかしら?」

「柳圭蘭けいらんさまであらせられますね。どうぞ」

「部屋の数だけれど、いくついただけるの? 柳家はわたくしのほかに作業する者が四人もいるの。最低でも六つはいただけないと困るわ」

 そう主張し始めた彼女――圭蘭に、皆の視線が集まった。


「申し訳ございません。部屋はどの家も三つずつと決まっておりますゆえ」

「ばか言わないでちょうだい。どう考えても少なすぎるわ。作業部屋と四人が生活する部屋と……それじゃわたくしの部屋が一つになってしまうじゃない」


 あろうことか圭蘭は、成官吏相手に駄々をこね始めた。

 おかげで衣装制作に関する話が一向に始まらず、あたりに重苦しい空気が漂い出す。


「申し訳ありませんが、これはすでに決定事項。変更はできかねます」

「できるかできないかを聞いてるんじゃないわ。部屋を増やしなさい、と命じているのよ」

「ですからそれはできかねると――」

「成官吏、あなたへらへら笑っているけれど、わたくしの話をちゃんと聞いていて? まさか耳が遠くて聞こえないなんてことはないでしょうね」

「いやはや、もちろん聞いておりますが」

「あなたがどこの家の出なのかは知らないけれど、わたくしが四星家のひとつ、柳家の人間であることは知っているでしょう? だったらわたくしに従っておいたほうが、あなたのためにもなるのではなくて?」


 ――この方……本気で言っているの?


 いつしか莉璃は呆気にとられていた。


 なんて傲慢な人なのだろう。

 理不尽な主張や、相手を傷つけるような言動は大嫌いな莉璃だ。

 しかも『四星家』の威光をふりかざして成官吏を従わせようとするなんて、とてもまともな人柄とは思えない。


「失礼、さしでがましいようですが」

 莉璃はつい口を開いていた。


「莉璃さま、何を」

 途端に零真が血相を変える。

 けれど彼女に告げたかった。規則ですもの、納得するべきでは? と。あまりに成官吏に失礼じゃないかしら、と。


 しかしその時、莉璃の言を遮るように、背後にある扉が開いた。


「――こちら中書省。入室します」


 部屋に響いたのは、低く透き通った声音。

「いったい何をもめているんです?」

 なんだか聞き覚えのある声だわ、と、莉璃は思った。

 しかしそれが誰のものであるのかは思い出せない。たしかにどこかで聞いたことがある気がしているのに。


「ああ、白影はくえい殿。いえ、部屋割りの件で柳家のご令嬢とお話しておりまして」

 白影? それは誰の名だったかしら?


「では私が代わりに話をしましょう」

 そこでようやく、声の主が莉璃たちの前に姿を見せた。

「え……」

 嘘でしょう?

 その顔を目にした瞬間、莉璃は呆然と口を開けてしまう。


 ――そんな、だって彼は……。


 今まさに、信じがたいことが目の前で起きていた。

 圭蘭の前に立つのは、美しい白銀色の髪を持つ青年――莉璃は了承していないが、自分の婚約者となった司白影だったのだ。

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