第三話
「今、誰かをぶん殴ってやりたいほどに忙しいんだ。またあとにしてくれ」
礼部の
そこは王家の花に任命されたとある彫金師が、王から与えられた仕事場だ。
「聞こえなかったか? さっさと出て行けと言ったんだ」
「ですが
「それとも俺に殴られてもいいって言うのか?」
冗談なのか本気なのか、男は苛立った様子で問うてきた。
王の居城では、冠や
そのためこの国一と評価される彫金師は、部下とともに日頃から多忙を極めているのだという。
「句劾殿、まあそう言わずに。こちらの方もここまで来ているのですから」
成官吏がとりなしてくれようとするが、句劾と呼ばれた男は顔を上げることすらしない。
「今、大事なところなんだよ。この指輪にはさんざん手こずらされたが、ようやく俺にいじられる気になったみたいだからな。この機を逃したくないんだ」
まるで金属が生き物であるかのような口ぶりだ。
歳は二十代後半といったところだろうか。作業台の前で正座をしている彼は、台の上に置かれた万力のようなものに手をのばしていた。
よく見ればそこには、金色に輝く小さな指輪がある。
今、まさに
――彼が、『王家の花』の彫金師である
短めの茶色の髪に、やや着崩した男物の
整った顔立ちをしているのに、どこか大雑把そうな印象を受けるのは、その言動ゆえ、かもしれない。
「あっ、また反抗し始めやがって……まったく面倒な指輪だな。俺の命令をきかないなら、ただの金属に戻しちまうぞ」
句劾はぶつぶつ文句を言いながら、鏨を持つ手を動かし続けている。
いったいどのようなものを作っているのだろう?
莉璃は彼の手元をのぞきこんだ。
そして。
「これは……すばらしいわ。なんて繊細な模様なの……!」
思わず感嘆の息をもらしてしまう。
「あ? いきなりなんだ、おまえ」
「も、申し訳ございません」
「邪魔しやがって……本気で俺に殴られたいのか?」
「邪魔するつもりはございません。ただ、あまりに素晴らしい技術でしたので、つい」
莉璃は、激怒されるのを覚悟で、彼に話しかけてみることにした。
「その細工、
「あ? ……そうだな、一応、純度の高い銀にする予定でいるが」
面倒くさげだが、句劾はちゃんと答えてくれた。
「すてきだわ……それでしたら銀糸の衣装にも金糸の衣装にもよく似合いますわね。色も選ばないし、指にとても馴染みそうな形だし、着け心地もよさそう」
「まあ、当然そうなるだろうな」
「そのような指輪は、今まで見たことがございません」
「だろうな。俺だからこその仕事だからな」
「おっしゃるとおりだと思います。今まで何人かの彫金師の方にお会いしたことがありますが、技術の程度があなた様とは格段に違いましたもの」
「ほう……なかなかわかってるじゃねえか、おまえ」
莉璃の言葉に気をよくしたのか、句劾はにやりと笑った。
動かしていた手を止め、鏨ややすりなどの道具類を作業台の上に置く。
「しかたねえな。少しなら話を聞いてやろうじゃねえか」
「本当ですの!?」
「この俺と話ができるなんて、とにかく運がいいぞ。おまえ、貴妃の花嫁衣装の仕立屋だろ? 宝飾品の相談に来たのか?」
「ええ。句劾さまにぜひこのようなものを作っていただきたくて」
句劾の前に勝手に座り込んだ莉璃は、持参した数枚の紙を床の上に広げた。
「これは……」
「かんざしと頸鏈と耳環の図案ですわ」
「見ればわかる。少し黙ってろ」
「も、申し訳ございません」
句劾は考え込むように腕を組む。
沈黙がしばらく続く。
評価を待っている間は時の流れがゆるやかに感じられて、莉璃はもどかしさを覚えた。
「……これはおまえが考えたのか?」
「ええ。ぜひ貴妃に身につけていただきたくて」
衣装と宝飾品との総合的な調和がとれれば、花嫁はより華やかになる。
だが宝飾品に関しては、莉璃は素人だ。本職である彼の率直な意見を聞いてみたかった。
「どうでしょうか。今回、花を主題にしたいと考えているのですが」
「おまえ、珍しい仕立屋だな」
え? と莉璃は目をまたたいた。
「ほかのやつらもさっきここを訪ねて来たが、衣裳の図案を置いてそそくさと帰って行ったぞ。これに合うものを作ってください、とだけ言い置いてな」
どうやら
「それは句劾さまがお忙しそうにしていらっしゃったからでは?」
「帰れと言われてそれに従うってことは、たいした話もなかったんだろ」
句劾は顎に手をやり、ふたたび莉璃の図案に視線を落とす。
「それで句劾さま、わたくしのこの案はどう思われますか?」
一刻も早く評価をもらいたくて、莉璃は図案の上に身を乗り出した。
ただでさえ衣裳に厳しい評価を下されているのだ。そのうえ宝飾品にまでだめ出しをされれば、いよいよ立ち直れないかもしれない。
――しかもこれは、わたくしが好き勝手に考えたものだもの。
かつて母が手がけた宝飾品の図案は、月華館のあらゆる場所を探しても見つからなかったのだ。
「そうだな……悪くはないな」
「本当ですか!?」
びっくりして、つい声が裏返った。
「だが、手直しをする必要は大いにあるな」
句劾は筆と紙を用意し、さっそく修正案を描き始める。
無骨な手に握られ、紙の上を滑るように動く筆。
迷いはない。おそらく彼の頭の中には、すでに完成図が出来上がっているのだろう。
「まずかんざし。満天花を模したようだが、花をここまで小さくして密集させるとなると金属を多量に使用することになる。ということは重さが出るということだ」
「金属の重さ……」
思ってもいなかった部分を指摘され、言葉を失わずにいられなかった。
「それをこれだけ頭にさしたら、貴妃は卒倒。華燭の儀は一刻も保たずに終了だな」
想像するだけでもぞっとする光景だ。
「見栄えだけでものを作ろうと思ってるんだったら、まだまだ半人前だな。俺たち職人は、それを身に着ける者のことを第一に考えなければならない。時には見栄えの良さを捨てる選択も必要だ」
「見栄えの良さを、捨てる……?」
ある意味、衝撃だった。
そのようなことは一度も考えずにここまできた、と、動揺を隠せないまま口元を手でおさえる。
莉璃はいつだって、花嫁を美しく飾ろうと努めてきた。
そのためなら多少着心地が悪くても問題ないと、今の今までそう思っていたのだ。
けれど句劾の言葉にハッとさせられる。
見栄えがよくても着心地が悪い衣装は、花嫁に要らぬ不安を与えてしまうのかもしれない、と。
「このかんざしだったら、一つの花の大きさはこれくらいだろうな。飾りが欲しいなら花の中心に赤珊瑚を付けてやるといい。強度は落ちるが、刺す部分は薄く作って、貴妃に負担がかからないようにして……って、これは面倒な作業だな、おい」
句劾は煩わしげに筆を放りだした。
「まさかこれを俺に作れと言うんじゃないだろうな? しかも頸鏈も耳環も!」
「お願いいたします!」
「というかそもそも俺は、三つの衣裳のどれにでも似合うものを一つ、製作する予定でいる。おまえもほかの仕立屋と同じものでいいだろうが」
「それではだめなのです……!」
莉璃は床に頭を擦りつける勢いで懇願した。
「どうしても貴妃にこの宝飾品を身につけていただきたいのです!」
王家の花である句劾が考える宝飾品は、間違いなく素晴らしい代物になるはずだ。
図案を見せてもらわなくても、それはじゅうぶんにわかっている。
けれどそれを理解したうえで願っているのだ。莉璃の衣装をまとった貴妃をより輝かせるのは、この宝飾品たちのほかにないと信じているから。
「おまえ、俺が誰だかわかってものを言ってるのか?」
「もちろんです」
「わかった上で、俺が考える案より自分の案のほうがいいと言ってるのか」
「わたくしの衣装に合わせるものに関してのみ、であれば」
「……傲慢にもほどがあるな」
怒らせてしまったのだろうか。
句劾は凍てつくような眼差しを莉璃に向けてきた。
こわい。けれど退くことはできない。
脳裏には莉璃の衣裳と宝飾品を身につけ、幸せそうに微笑む貴妃の姿が浮かんでいるのだ。
「必ずや貴妃に喜んでいただける自信があります。ですからどうかお願いいたします……!」
これは勝負だ。
莉璃は負けるものかと句劾のことを睨み返した。
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