第三話

 莉璃りりは慌てて白影はくえいから身を離した。

 ここは殿の廊だ。このような場面を見られてしまえば、とにかく気まずくなってしまう。

 声の主はどこにいるのだろうかと、あちこち視線をやって、彼等を探す。

 と、回廊から見える中庭に、圭蘭けいらん悠修ゆうしゅうが向き合って立っているさまを見て取れた。


 二人でいったい何をしているのだろう?

 不思議に思って注視していると、やがて悠修が莉璃と白影の存在に気づき、手をあげた。

 彼はいつもと変わらない調子でこちらにやってくる。


「白影さま、中書省にお戻りですか?」

「その前に西七五所に行く予定だ。おまえはそこで何をしている?」

「それが、圭蘭さまをお見かけしたので口説いてみたのですが、なかなか手強くて」

 さすがの節操なしだ。

 莉璃は相変わらずの悠修にうんざりする。


 やがて悠修の後ろから、満面の笑みを浮かべた圭蘭がやってきた。

「白影さま、お会いできて嬉しいですわ。こちらでいったい何をしておいでですの?」

 なにやら面倒なことになりそうだと、莉璃は嫌な予感を胸に抱く。

 そもそもこの面子が揃って、面倒ごとに発展しないわけがないのだ。


「ではわたくしはここで失礼いたしますわ」

 逃げるが勝ちだと、莉璃はさっそくその場をあとにしようとした。

「お待ちください。こう句劾くがい殿の部屋まで送ります」

 そう言った白影に、しかし圭蘭がひっしとしがみつく。

「お待ちくださいませ、白影さま。わたくし白影さまにご相談があるのです!」

「悠修に聞いてもらってください」

「この方ではだめですわ! わたくしのことを口説くばかりで、話になりませんもの」

「ならばせい官吏にでも」


 圭蘭はどうにか白影を引き留めようと、彼の腕や腰に必死にしがみついた。

 それを力ずくで引きはがそうとする白影だったが、怪我をさせるわけにもいないのだろう。珍しくたじろいだ様子を見せる。

「はっきり言って迷惑です。さっさと腕を離してください」

「まあ、迷惑だなどと……ひどいですわ!」

「そうですよ白影さま、女人に対してそのような発言は許されませんよ!」

 うるさく騒ぐ者たちを見ているうちに、莉璃の頭はだいぶ冷えてきた。


 ――いけない。この時間のない時に、これ以上、油を売っていられないわ。


 本来の目的をようやく思い出し、途端に焦り出す。

「句劾さまの房は覚えていますから、わたくし一人で大丈夫ですわ」

 では、と踵を返し、返事も待たずに西七五所へ向けて歩き出した。

「お待ちください、莉璃姫……! さきほどの返事をまだいただいてません」


 さきほどの返事。

 つまりまた口づけをしてもよいか否か、ということだろう。


 ――よくないに決まっているでしょう?


 けれどそれを今、ここで言うわけにもいかなくて、莉璃は聞こえていないふりを装った。


 *   *   *


「おかえりなさいませ、莉璃さま」


 白影たちと別れ、句劾の房を訪ねたのは夕刻のこと。

 それから句劾に宝飾品の微調整を願い、仕上がった品を抱えて自分の作業部屋に戻った頃には、もう夜もふけていた。


「ただいま零真れいしん。見て、できあがったのよ」


 部屋に入るなり莉璃は、作業台の上に宝飾品の数々を並べた。

 それらは純度の低い金属で作られてはいるものの、それでも溜息が出るほどに美しかった。


「まずこれがかんざしよ」

 満天花を模したそれは、小花がいくつか集まっているものを八本作ってもらった。

 花の中心には赤珊瑚に似せた丸い装飾。これは価値の低い天然石を用いているらしい。


「それからこれが頸鏈けいれん耳環じかん。花の刺繍をまねて作っていただいたの」

 首から下げる頸鏈と耳につける耳環は、長く垂らした三本の細い鎖に、金銀で作った小花を付けてもらった。

 よく見れば小花の花びらには細かな模様が彫ってある。


「これは……さすがに素晴らしい出来ですね。捨ててしまうような金銀とおっしゃられていましたが、素人目にはまったくわかりません」

「貴妃が使用されるにしては純度が低い、というだけのことだそうよ」

「人形の首にかけてみますか?」

「刺繍に引っ掛けないよう気をつけて、耳環はこのあたりに下げて……」

 布製の人型に飾り付け、数歩さがってまじまじと眺める。


「さすが句劾さま、想像以上だわ……」

「ええ、本当に……これらを身に着けたら、どんなにか美しく幸せでしょうね……」

 二人の口から、感嘆の息がこぼれる。


 莉璃と零真が心を込めて製作した衣裳に、句劾の宝飾品が華を添える。

 それらは互いをよりいっそう輝かせていた。

「これならきっと、貴妃も主上も喜んでくださいましょう」

「もう少しだもの、がんばりましょう」


 衣裳の提出期限まであと三日。

 ここで気を抜かずにいっきに仕上げ、今度こそ花嫁に満足してもらいたかった。


 ――だから今は、白影さまのことを気にかけている暇はないわ。


 莉璃はぶるぶると首を左右に振って、頭の中からよけいな物思いを追い出した。

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