第一章 願うは王家の花

第一話

 木の葉が色づき始めた、秋の日の午後。


莉璃りりさま、こちらの裁縫道具はどうしますか?」


 部下に指示を仰がれた莉璃は、動かしていた手をはたと止めた。

 顔を上げると、目の前には美しい女人が――いや、どこからどう見ても女人に見えるものの、実は女装をした男が立っている。

 結った栗色の長い髪と、同色の澄んだ瞳。すらりと高い背が印象的な彼は、零真れいしん、二十二歳。

 ひと月半ほど前から莉璃が雇っている、腕のいいお針子だ。


「さっきはさみを一揃え運んだから、その近くにまとめておいてちょうだい」

「承知いたしました」

 女人用の襦裙じゅくんを身に着けた零真は、裳裾もすそをなびかせながら歩いていった。

 女装は初めてのはずの彼だが、しずしずと歩く所作や表情など、なかなか板に付いている。


 ――まさか女装をしてまでわたくしについてこようだなんて。


 そうと聞かされた時には困惑した莉璃だが、結果、彼には感謝しなければならない。

 お針子として、とにかく腕のいい零真だ。彼がいなければ、莉璃は今回の仕事の先行きに不安を覚えていたことだろう。


「こんなに持ってきたつもりはなかったのだけれど……」

 莉璃は馬車の扉の前に立ち、中をちらりとのぞき見た。

 色とりどりの糸がぎっしり詰まった麻袋に、布を裁断するための台、刺繍用の道具や型をとるための紙など、持参した仕立て道具は、実に馬車二台分になる。


 ――ここが王宮……初めて来たけれど、まるで迷路みたいだわ。


 周囲を落ち着きなく見回せば、結った黒髪に挿したかんざしがしゃらりと音をたてる。莉璃の黒曜石のような瞳には、黄瓦の屋根や遠くに建つ高楼、あたりを囲む塀などが映っている。


 ここは王の居城である王宮。

 莉璃はここに、花嫁衣装の仕立てをするため――つまり仕事をするためにやってきた。

 だが王宮の、いったいどのあたりに自分が立っているのかは把握していない。

 なぜなら莉璃と零真が王宮の裏門から入る際、馬車の窓を開けられないよう細工をされてしまったのだ。

 おそらく間者の諜報活動などを警戒してのことだろう。


「いけない。早く終わらせなければ」

 王宮の雰囲気に気圧されている場合じゃないと、ふたたび荷の仕分けを再開する。

 持参した道具類は目の前の殿でんに運び入れ、すべて検分される手筈となっている。荷の中に大ぶりの刃物や毒物などがないか、厳しく取り調べられるのだ。


「莉璃さま、どうやら官吏たちが運ぶのを手伝ってくれるようです」

 やがて戻ってきた零真の背後からは、五人の若い男たちがついてきた。

 全員、女装姿の零真目当てなのだろう。浮き足だった様子で、馬車の中から荷を出し始める。


「ちょっと色目を使いましたら、あちらから申し出てくれたのです。悲しいかな、男とはたやすい生き物なのですね」

「なんだか気の毒な気もするけれど」

「使えるものはとことん利用しましょう。賃金を払わず労働力を得られるなんて、こんなにも素晴らしいことはありませんよ」

 零真は涼しい顔で官吏たちに指示を出し始める。


「あとでちゃんとお礼を言っておいてちょうだい」

「なんなら頬に口づけのひとつでもしてやりますよ」


 それからおよそ二刻後。

 官吏たちの働きのおかげで、すべての荷を殿の中へと運び入れることができた。

 そのため莉璃と零真は、仕事場となる隣の殿へ、さっそく向かったのだ。


 *   *   *


 ここは大陸の東に位置するれい国。

 豊かな国土では農民が田畑を耕し、各州都では街道や街並みの整備が進められ、王都では建築や商売が盛んにおこなわれている王国だ。


 そんな黎国には、『四星家しせいけ』とよばれる四つの大貴族が存在する。


 ひとつはかつて北方を治めていたりゅう家。

 ひとつはかつて西方を治めていたしゅう家。

 ひとつはかつて南方を治めていたほう家で、もうひとつは王族であり、東方の地で黎国を統治しているそう家だ。

 位は上から蒼家、鳳家、柳家、秋家の順となる。


 それら四家の当主は王都に居住し、時に力を合わせながら、時に牽制し合いながら、国に発展と安寧をもたらした。

 その時々の当主の手腕や莫大な財をもって、国のために長らく尽力してきたのだ。


 しかしそれも今や昔。

 政変による特権階級の減少や当主の能力不足、手広く行っていた商売の失敗など、四星家は徐々に勢力を失っていった。

 極めつけは五年前に新しい王が即位したことだ。

 若き王の意向により、朝廷は世襲制から実力主義へと移行。科挙を通過した有能な新興貴族の台頭が目立ち、貴族間の勢力図が大きく変化したのである。


 そのような状況下、四星家で真っ先に没落したのは二の位を持つ鳳家だった。

 能なし当主である莉璃の父は、時代の変化に見事に対応できないばかりか、悪あがきで始めたいくつかの商売のすべてに失敗した。

 そのため鳳家の財政は急速に悪化し、莉璃の母が興した花嫁衣装の仕立て業でどうにか食いつなぐという日々を送るようになった。


 しかしその母も二年前に急逝。

 仕立て業は莉璃が引き継いだものの、客足は次第に遠のき、鳳家の経済状況はまたしても窮地に陥ることとなったのだ。


 そんな時、何の因果か、新興貴族の家から莉璃に政略的縁談の申込みがあった。

 すると父は二つ返事で了承。

 つまり金で名家の血を売ることを決めたのだ。――ただし、莉璃本人は、いまだ全力で抵抗中なのだが。


 *   *   *


「仕立屋の方はどうぞこちらへ。のちほど今回の衣装製作に関しての説明がございます」


 官吏にうながされ、とある殿に入ると、莉璃たちのほかに数人の女人が待機していた。

 通されたのは蓮華模様の格子窓が印象的な大部屋だ。

 この場所が王宮のどのあたりなのかはやはりわからないが、莉璃たちの作業場となる部屋が存在する殿のようだった。


「長いことお針子仕事をしていますが、まさか貴妃になる方の花嫁衣装を制作することになるとは、いまだに信じられませんよ」

 零真がひとりごとのように言った。


「戸惑っている暇なんてないわよ。あなたには、とにかくわたくしの力になってもらうのだから」

「賃金分はしっかり働かせていただきますので、ご心配なく」

「今回はそれ以上に働いてもらうことになるかもしれないわ」

「となればのちほど旦那様に不足分を請求させていただきましょう。仕事場が王宮に移ったことによる特別手当と、時間外手当と、ああ、女装をしなければならないことによる精神的苦痛に対する手当も請求しなければ……」

 零真はなにやら計算を始めている。


 ――まったく、この部下は。


 針仕事や衣装の型紙制作は達人級、仕立屋界隈の情報もたくさん持ち得ている上に、容姿までも抜群に整っている彼だが、守銭奴気味な性質なのが玉に瑕だ。


「大丈夫よ。わたくしは必ず『王家の花』に選ばれてみせるわ。そうしたらあなたの給金も大幅に上げることができるはずよ」

 そう、そのためには。

「このような機会、きっともう二度とないもの。必ず母さまのように素晴らしい衣装を制作しなければ……」

 あらためて決意した莉璃は、両の拳をぐっと握る。


「貴妃はどのようなお方なのか……上衣下裳じょういかしょうの色は深紅として、縫い取りは金糸がお似合いなのか、銀糸のほうがいいのか……衣装の形によって刺繍の柄も変わってくるもの。早く正式な図案を起こさなければ」

「今回は予算も多いようですし、高価な素材もふんだんに使えますね」

「そうね。そうしたらきっと……」

『なにか違う』と客に言わせることのない、極上の衣裳を手がけることができるだろうと、莉璃はひそかに期待した。

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