第五話

莉璃りり姫……! あなたとんでもないことをしてくれたわね! 信じられないわ!」


 顔を合わせるなりわめきちらすのは圭蘭けいらんだ。

 彼女の背後にはりゅう家の使用人たちが立っているが、皆一様に、莉璃に敵意を向けている。


「とんでもないこと? どういうことですの?」

「しらを切る気? わたくしの衣裳、あなたが盗んだんでしょう!?」


 その瞬間、莉璃は頭を鉄槌で殴られたかのような衝撃を受けた。


 ――盗んだ……? わたくしが、柳家の衣裳を?


「な、何をばかなことを……!」

 考える間もなく声が出る。

「なぜわたくしが? おかしなことを口にするのはやめてちょうだい」

「けれど皆そう思っているわよ!」

「まさか。そのようなことあるわけがないでしょう?」


 そんなはずがないわ、と、莉璃はあたりをぐるりと見回した。

 と、せい官吏や礼部の官吏が不自然に目を逸らす。

 なぜだろう。皆、気まずそうな顔をして、黙り込んでいる。


 ――まさか……本当に疑われているというの? わたくしが犯人だと?


 途端に手の平に冷たい汗が滲み出した。

 もしや今、莉璃の目の前で行われている作業は、莉璃が犯人だと決めつけた上でのことなのだろうか?

 莉璃が盗んだ証拠が何かあるはずだと、部屋の中を捜索しているのだろうか。


「心外だわ、まさか疑われるなんて……!」

「けれどかい家の部屋では見つからなかったもの。あとはここにしかないじゃない!」


 その時、莉璃の私室から、悠修ゆうしゅうが勢いよく飛び出してきた。

「ありましたよ! 寝台の下です! というか本当にあるなんて、ちょっときついですね、この状況。白影はくえいさまになんと言えばいいのか」

 彼の手には刺繍が刺された真っ赤な絹の生地が握られている。


 それはまるで切り裂かれでもしたかのたように、不揃いな裁断をされていた。

 刺繍の柄は見覚えのないものだ。なぜそんなものが莉璃の私室にあるのか、理解ができなかった。


「ああ……これはうちのだわ! 帯の端の部分よ! ねえ成官吏、この色柄にあなたも見覚えがあるでしょう?」

 生地をじっくり眺めてから、成官吏は重々しくうなずいた。

「残念ですが……たしかにこちらは柳家の衣裳の一部でございます」

 残念。その言葉がどのような意味を持つのか、少し遅れて莉璃は気づいた。


 残念だけれど、柳家の衣裳の一部が、競争相手である莉璃の部屋で見つかってしまった。

 それはつまり。

「わたくしが犯人だと……そう決めつけるおつもりなのね?」

 ぽつりと呟いた声は、他人のそれかと思うほどに低いものだった。


 やがてこちらにやってきた刻周こくしゅうの手には、銀色に輝く鍵が握られていた。

ほう莉璃。これはおまえの私室の卓子たくしの上にあったものだが、見覚えはあるか?」


 まじまじと眺めてみるが、ありふれた意匠の真鍮製の鍵だ。

 とくに覚えはない。

「いいえ、ございませんが……この部屋の鍵ではないのですか?」

「違うな。これは礼部の鍵だ」

 刻周は勝ち誇ったように顎を上げる。

「つまりこの鍵を使えば礼部に簡単に侵入でき、礼部に保管されている鍵を使えば柳家の作業部屋にも簡単に侵入できるということだ」

「なるほど。で、なぜそのようなものがわたくしの部屋にございますの?」

「こっちのせりふだ。なぜおまえがこれを持っている?」

「わたくしはそのようなものにはまったく覚えがございませんわ。――ねえ、零真れいしん、あなたもそうでしょう? この部屋であの鍵を見た覚えがあって?」


 追い詰められた莉璃は、零真に助けを求めた。

 けれど彼も戸惑っているのだろう。困惑した顔で、唇を噛んでいる。

「莉璃さま、もう何がなんだか……これはどうなっているんですか?」


 ――何かが起きている。わたくしの知らないところで。


 周囲に立つ皆が、疑いの眼差しで莉璃を見ている。おまえが犯人なのだろう、と。

 誰が何の目的で莉璃を陥れようとしているのか。

 わからなくて頭の中が真っ白になったとき、ふたたび悠修が声をあげた。


「ちょっと待ってくださいよ、これ……どういうことですか!」

 いつしか彼は、莉璃が製作した衣裳のそばに立っていた。


「やめて、衣装にはさわらないで! 何をするつもりなの!?」

「あなたこそ、何をするつもりだったんですか、莉璃姫」

 彼の手が、上衣の襟元をぞんざいにまくった。


「それは……」

 よく見ればそこには、銀色の針のようなものが存在していた。

 三本――いや、四本だろうか。襟の折り返し部分に、まるで隠すかのように刺されている。

 なぜ、と莉璃は息をのんだ。なぜそのようなものがそこにあるの、と。


「鳳莉璃……おまえは貴妃にあだなすつもりでいたのだな?」

 刻周が鬼のような形相でこちらを睨んできた。

「あだなすって……」

 害を与えようとした、ということ?

「まさか、するわけがないわ!」

「嘘を吐くな。潔く認めろ!」

「そんなこと……! するわけがない……! するわけないじゃない!」

 取り乱した莉璃の声は、なかば悲鳴のようになっていた。


「襟に針を仕込むなどなかなか卑劣……これに毒を塗れば貴妃は即座に死に至るぞ」

 うなるような刻周の声に、周囲からどよめきがあがる。

「おそろしい。まさかそのようなことを企てているとは……」

「莉璃姫、あなた、そう貴妃を害するつもりだったのね!?」

「まさか鳳家がこのようなことをするとは……」


 ――もうやめて。お願いだから、わたくしを陥れようとしないで。


 震える手で、上襦じょうじゅの胸元をきつく握りしめる。

 不安と怒りで頭の中が真っ白になり、ただ唇を噛みしめる。


 莉璃がそのようなこと、企てるわけがない。

 貴妃をどうにかしようと考えたことなどないし、そもそもそうする必要がないのだ。


 それなのに今、たしかに衣裳の襟元に針のようなものが存在している。

 しつけ用の針を抜き忘れたとは思えないし、縫い針が紛れてしまったとも考えにくい。なぜなら莉璃と零真は、使用した針の本数を数え、確認してから作業を終えているからだ。


 ――そういえば句劾くがいさまが言っていたわ。


 前王の御代みよ、王家の花であった仕立屋が、王宮から去った理由を。


『王の衣装に毒針を仕込んだ輩がいたんだが、少なからず仕立屋の協力があったんだろうと疑われてな、牢にぶち込まれたんだ。実際は無実だったという話だがな』


 まさしく今、莉璃はその時と同じ状況に陥ろうとしているのだ。


「その針を見せてくださいませ。針を見れば何かわかるかもしれないわ」


 みすみす陥れられてたまるものかと、抵抗に転じようとした。

 けれど刻周の手が、莉璃の腕をとらえて自由を奪う。


「状況証拠がここまで揃えば充分だ。鳳莉璃、御史台府ぎょしだいふに同行してもらうぞ」

「納得できませんわ!」

 咄嗟に身をよじり、どうにか逃れようとするものの、身動きがとれない。

「何もしていないのに、どうしてわたくしが捕まらなくてはならないのですか!」

「おまえの部屋に柳家の衣裳の一部と、礼部の鍵があった。衣裳に仕込まれた針は調べる必要があるが、これらはすべて今、皆の目の前で明らかになった事実だ」

「それでもわたくしは無関係なのです」

 もはやそう主張することしかできずに、何度も繰り返した。


「往生際が悪いわよ、莉璃姫。状況から考えればあなたが犯人だというのは明白だわ」

 圭蘭が、ここぞとばかりに口をはさんでくる。

「これでいよいよ鳳家も終わりね。罪人が出ればさすがに四星家しせいけの二の位ではいられないもの。白影さまだって婚約破棄を願うはずよ」

 その刹那、莉璃の脳裏に白影の顔が浮かぶ。

 月光のような白銀色の髪や、満月のような琥珀色の瞳。想像の中の彼は、少し怒ったような表情をしていた。


「時間の無駄だ、御史台府へ行くぞ」

「拒否いたしますわ。だってわたくしは何もしていないのですから。――ねえ零真、そうでしょう?」


 だが零真は無言。

 周囲の雰囲気にのまれているのか、莉璃の声に応えてはくれなかった。


「零真? どうしたの?」

 彼の様子に違和感を覚えた莉璃は、まさか、と息をのむ。


 ――まさかわたくしが犯人だと疑っている……?


 そんなわけないわ、と思いつつも、もしかしてと不安になれば胸が苦しくなった。


「零真……」

 お願いだから何か言って。

 いつものように、「莉璃さま」と呼びかけて。


 けれどやはり返事はなく、莉璃は刻周に腕をひかれて部屋の外に出されてしまう。

 もうだめだ、と、さすがに目頭が熱くなった。

 その時だった。


「――誰の許しを得てその方にふれているのですか」


 殿の廊に声が響いた。

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