第四話
「ようやく終わりましたか。なかなか長丁場でしたね」
「
「そう思ってくださるのなら、余計な問題は起こさないでください。なにも
隣を歩く零真が、迷惑げに顔をしかめた。
「……ええ、わかっているわ」
そう。零真の言っていることは正しい。
けれどやはり悔しかったのだ。
莉璃が――莉璃と母が大切にし続けてきた花嫁衣装の制作を、あんなにも軽く考えられていることが。
「とにかく、あなたが終わりにしてくれて助かったわ」
あらためてそう言えば、零真はちらりとこちらを見て、息を吐いた。
「柳家のわがまま姫の言葉など、きれいさっぱりお忘れください。それよりも衣裳のことを考えたほうがよろしいのでは? 見事王家の花に選ばれ、私の賃金を上げてくださるのでしょう?」
「ええ、そうね。いよいよ始まったんですもの、気を引き締めなくては」
莉璃は気を取り直すかのように深く息を吸い込む。
先ほどの大部屋で説明に要したのは約四刻。
そのほとんどが成官吏からの衣装製作に関する話で、最後に総監である
終了後は割り振られた部屋の場所を教えられ、ただちに解散となった。
莉璃と零真が向かっているのは、本日から滞在する部屋――殿の南東に位置する三部屋だ。検査を終えた道具類は、すでにそこに運び込まれているらしい。
「まずは明日、
「図案の締切は十日後とのことでした」
「図案に了承をいただけたなら、今度はひと月をかけて衣装を製作する。そして完成した三つの中から、蒼貴妃と主上がお気に召されたものをお選びになる」
つまり完全な競争形式だ。
「予想以上に時間がありませんね。
「それでは通常の仕事が立ちいかなくなってしまうわ。それに皆があなたみたいに腕がいいわけじゃないもの。負担をかけることになってしまうけれど、頑張ってくれるかしら」
「ですから賃金分はせいいっぱい働かせていただきますよ」
やがて二人は、指定された部屋の前までやってきた。
「まずは道具の整理をしなければいけないわね。今日はその作業で終わってしまうかもしれないけれど」
と、その時、ふいに名を呼ばれ、立ち止まる。
「莉璃姫」
鼓膜をなでる低い声。
今度はすぐにわかった。白影のものだ、と。
「少々お時間をいただきたいのですが」
振り返るとすぐ背後に、瑠璃色の官服をまとった彼が立っていた。
彫刻のように整った顔には、不機嫌そうな色。
いったい何用だろう?
「……零真、先に部屋に入っていてちょうだい」
莉璃の部下である零真は、もちろん二人の関係を知っている。
「なにかございましたらお声がけください」
言うなり、彼は早々に部屋の中へと消えていった。
「……いったいなんのご用です?」
莉璃は白影と向かい会うように立った。
彼の迫力すら感じる美貌に気後れしそうになるが、その琥珀の瞳をまっすぐ見つめる。
「なにかと忙しくしておりますので、手短にしていただけると助かるのですが」
つい素っ気なく言ってしまったのは、先ほどの件を引きずっているからだ。
即座に気づいた莉璃に対して、
「ならば単刀直入に聞きましょう。私の妻となるはずのあなたが、なぜここに?」
「仕事をするために、です」
「仕事……? あなたは仕事を持っているのですか?」
怪訝そうに問うてきた白影に対して、莉璃はさらに苛立ちを募らせた。
司家側にはすでに、莉璃の経歴を記した身上書を渡してある。それには莉璃の現況――つまり花嫁衣装の仕立てを仕事としていることも記してあるはずだ。
それなのに彼は、まるで把握していない。
ということはつまり。
「白影さまは、わたくしにまったく興味がないのですわね?」
ずばり問うてみると、白影は一瞬、きょとんとした顔をした。
「わたくしの顔も覚えていない。わたくしの仕事についても把握していない。つまりわたくし自身にさっぱり興味がないということでしょう?」
「……なるほど。あなたは名家のご令嬢のわりには、なかなか現実的な思考をしていらっしゃるようだ」
感心するように言った彼に、莉璃は「ええ」とうなずいてみせる。
「よく言われますわ。現実的な性格でかわいげがない、と」
「後半はわかりかねますが」
「それより、違うと言うならどうぞ否定なさってくださいませ。白影さまは、わたくしに興味がないのですわね?」
重ねて問うと、彼はあっさり首を縦にふった。
「否定する気はありません。あなたの言うとおり、私はあなた自身にはさっぱり興味がありません」
まるで他人事のように、涼しい顔。
「悪いがまるっきり、です」
やっぱり、と、莉璃は納得がいった。
「我が
「それはもちろんわかっておりますわ」
そう、あらためて言われなくとも理解している。
今をときめく司家が、没落寸前の鳳家と縁組みする理由などそれしかない、と。
「あなたと結婚することで司家の格は大いに上がり、結果、私の将来にも良い影響を及ぼします。だからこそ私はこの縁組みを願いました」
彼にとって重要なのはその点。
つまり鳳家直系の血が体の中に流れているならば、どのような娘が相手でもよいということだ。
「たしかに私は、この結婚を熱望していても、相手であるあなた自身にはまったく興味がありません。――ですがご安心を。私は今この時から、妻となるあなたをこの上なく大切にし、あなたに好かれる努力をすると誓いましょう」
「え……?」
莉璃は戸惑いに目を瞬いた。
「わたくしに興味がないのに、わたくしに好かれたいと願うのですか?」
白影は「ええ」と、二の句を継ぐ。
「いくら金で買うとはいえ、あなたには私の元にずっと居続けてもらわねばなりません。それこそどちらかの命が絶えるまで。……ですが私は、このようななりの男です。そして司家はたんなる振興貴族だ。正直、私との結婚はお嫌でしょう?」
「このようななりとは、どういうことですの?」
わからなくて問うてみたが、白影はそれについての返事をくれなかった。
そればかりかさらに話を続けようとする。
「だからといって、私の妻であることを憂えたあげくに、万が一にでもあなたに逃げられてしまっては困るのですよ。ですからそうならぬよう、あなたのことをこの手でいつくしみ、守り、大切にすると誓いましょう。――この命がある限り、いつまでも」
さらりと言われたが、それはまるで熱烈な求婚の言葉のようだった。
いや、実際にそうなのだろう。莉璃に対する、彼なりの。
けれどちっとも心を動かされない。
なぜなら彼は、自分と司家のためだけを思って、それを口にしているからだ。
「……わたくしに興味がないのに、それでも大切にすると言うのですか」
「ええ」
「わたくしのことを、好きでもないのに」
「そうですね」
彼は迷いのない眼差しをしている。
「このような男と突然結婚することになり、あなたにはとんだ災難でしょう。けれど決めたのです。何があろうと、莉璃姫――あなたに私の妻になっていただくと」
「このような、って……」
さきほども聞かされた言葉だが、なぜそんなにも自己評価が低いのだろう。
今をときめく貴族の嫡男。そして中書省に籍をおけるほどの優秀な人物。さらにこんなにも麗しい外見を持つ彼なのに、やけに謙虚な発言だ。
――ああ……この方はきっと、真面目な人なんだわ。
唐突に、莉璃は思った。
この結婚、鳳家にとっても自分にとっても、悪い話ではないのかもしれない、と。
莉璃の身分ともなれば、政略結婚は避けられぬ宿命。
しかも鳳家の現状を鑑みれば、いくら振興貴族とはいえ、司家と婚姻関係になれるのは願ってもない話だ。
司家にとって、なによりも大切なのは鳳家が持つ四星家の二の位。
ということはこの先、鳳家の存続が危ぶまれる度に、司家は力になり続けてくれるだろう。
そして当の本人である白影は、最初から隠すことなく真実を莉璃に明かしている。
これは家のための結婚。莉璃自体にはまったく興味がないのだ、と。
その上で莉璃を大切にする、と宣言しているのだ。命ある限り、とまで付け加えて。
おそらく彼は、真面目で、現実的な思考で、なおかつ強い信念がある人なのだろう。
――嫌いじゃないわ、そういう方。
そう考えるとやはりこの婚姻は、悪い話ではないのだろう。――ただし、莉璃に『王家の花になる』という夢がなければ。
「……わたくしには、夢があるのです」
今ここで、彼に明かしたほうがいいと判断した。
「それは花嫁衣装の仕立て人として、『王家の花』に選ばれることです」
もし彼がそれを許してくれるのなら、一生涯を彼とともにしよう。
そう覚悟を決めて。
けれど白影は、即刻首を横にふった。
「それはとても認められません」
おまけに。
「今回の衣装制作に参加することも認められません。ですから即座に王宮を辞してください」
きっぱり言い切られて、莉璃はつい声を大きくする。
「なぜあなたにそこまで制限されなければいけないのですか……!」
いまだ正式な婚約をしたわけでもないというのに。
「私の妻になる女人に仕事は不用。今ここで貴妃のための衣裳を作るくらいなら、鳳家に戻って自分のための衣裳を作ったほうがよほど合理的でしょう。それを告げようと、今、あなたをたずねてきたのです。ですから――」
「嫌ですわ」
冗談じゃないわ、と、白影の言葉を遮った。
「わたくしは仕事をやめるつもりはございません。それに今回の件は父さまだって了承しているもの。いまだ他人であるあなたに指図される筋合いはないわ」
すると白影は、天を仰ぐように顔をあおむける。
「双波さまはなぜそのようなことを……」
「あなたに何と言われようとも、わたくしは絶対に帰りません。ここで貴妃の衣裳を作り、王家の花になると決めているのです」
「ですから王家の花だなどと、とても認められないと言っているでしょう」
「でしたらどうぞ婚約を破棄してくださいませ。わたくしの夢を認めてくださらないのなら、わたくしはあなたと結婚することは――」
できません、と言おうとして、続く言葉をのみこんだ。
「白影さま! こちらにいらしたのですわね!」
柳家の圭蘭が、小走りでこちらにやってきたからだ。
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