第四話

「なかなかいい度胸をしてるな、おまえ」


 しばらく睨み合ったのち、先に目を逸らしたのは句劾くがいのほうだった。


「生意気を言っているのはわかっております」

「いいだろう。俺にそこまで言うやつは初めてだ。どうしたって退かないつもりだろうからな、特別に作ってやる」

「本当ですの!?」

「が、本番用の素材は使わないぞ。純度が低くて捨ててしまうような金銀を使って作ってやる。しかもおおよその形を作るだけで、細かな細工はなしだ」

「そんな……! どうしてですの? それでは受ける印象がまったく違います!」


 思わず詰め寄れば、句劾は不満げに眉をひそめた。

「話を最後まで聞け。何もおまえのものだけそうするわけじゃない。りゅう家とかい家が使う予定のものもそうやって作る。――せい官吏、それでいいだろう?」


 彼が視線を向けた先には、事の成り行きを黙って見守る成官吏が立っていた。


「つまり、衣装が決定してから正規の宝飾品を作る、というわけですな?」

「二つ製作したところで貴妃が使用する宝飾品は一つ。かんざしと頸鏈けいれん耳環じかんを作るとなるとかなりの金がかかるからな。材料と時間と腕がもったいなさすぎる」

「宝飾品の図案まで提出してきたのはほう家だけですが、王と貴妃はそれも含めて許可を出しました。おそらく予算はすぐにおりるかと思いますが」

「と言っても戸部が大騒ぎするに決まってる。日頃から『とにかく金がかからないものを作れ』とうるさいからな、あのくそ野郎どもは」

 句劾は苛立たしげに、卓子たくしを指で叩いている。


 予算。

 そこまで考えていなかった莉璃りりは、途端にばつが悪くなった。


 ――そうよ。絹や糸も安くはないけれど、金や宝石はそれとは比べものにならないもの。


 つまり莫大な金がかかるのだ。


 今回、衣装製作に関する費用は、すでに決められた額を戸部から与えられている。

 莉璃たち仕立屋は、それを用いて生地や糸の調達をし、王宮にやってきた。


 だが宝飾品に関しては、まったくの別予算。

 本来は仕立屋が関わるところではない。

 自分の衣裳に合う最高の宝飾品を、とばかり考えていたが、あまりに浅はかだったのかもしれない。


「そういえば、おまえ名は?」

 句劾に問われて我に返った。 


「鳳莉璃と申します」

「鳳? まさか四星家しせいけの二の位の鳳家じゃねえだろうな」

 莉璃が「そうですわ」と首を縦に振れば、彼は釈然としなさそうに眉をひそめる。

「王家に継ぐ大貴族の姫が仕事とは、驚きだな。なんでまた仕立屋を?」

「好きだからです」

 その返答でじゅうぶんだったのか、句劾は「なるほど」と納得する。


「ということは、おまえも王家の花になることを希望しているのか?」

「もちろんですわ」

「だったら莉璃、教えてやるよ」

 いきなり名を呼びつけにされ、どきりとした。

「王家の花なんて目指すのはやめておけ。これはいずれ大きな足枷になる」

 そう言って彼が指差したのは、腰帯から下げられている佩玉はいぎょくだ。

 牡丹の形が彫られたそれは、王家の花と認められた者にだけ与えられる証。


「なぜですの?」

 わからなくて首を傾げれば、彼は仕切り直すように上衣の襟を正した。


「莉璃、おまえは王家の花に対してどんな印象を持ってる?」

「それは……王宮の中にこうして作業場をいただけて、好きな仕事に没頭できて、この先それを続けていくことを許される。……夢のような身分だと思っておりますわ」

 すると句劾は突然、腹を抱えて笑い出す。

「ははははっ! おもしろいな、それ」

 彼はひいひい言いながら、目に滲んだ涙を拭った。


「夢のような身分? まあ確かにそう思うかもしれないな。事実、俺もそう考えて王家の花を目指したわけだしな。はははっ!」

「何がおかしいんですの?」

 なんだかばかにされているような気がして、莉璃は苛立ちを覚えた。


「教えてくださいませ、句劾さま。どうして笑うんですの?」

「おまえが王家の花に対してそんな印象を持ってるなら、やはり花になるのはやめたほうがいい」

「ですからそれはなぜですか」

「好きな仕事に没頭できるなんて夢物語だ。この指輪一つ作るにしても、図案の段階から多方面の顔色をうかがわなければならない。王家の望むままの案を上げたところで、予算に関して朝廷からさんざん厭味を言われる。完成したものの出来栄えに関係なく、悪意ある噂を流され、けなされる。つまり王宮の中に味方はいないということだ」

 いつしか句劾は真剣な眼差しをしていた。


「それに、ここは魑魅魍魎ちみもうりょうよりも恐ろしい人間どもが巣くう場だぞ。俺たち職人だって、簡単に悪意の渦に巻き込まれる。……おまえ、先代の王家の花であった仕立屋が、なぜ王宮から退いたか知ってるか?」

「いいえ、知りません」

「先代の王の暗殺未遂事件に巻き込まれたんだよ。王の衣装に毒針を仕込んだ輩がいたんだが、少なからず仕立屋の協力があったんだろうと疑われてな、牢にぶち込まれたんだ。実際は無実だったという話だがな」

「そんな……」


 あまりに衝撃的なことを聞かされれば、自然と言葉を失った。

 衣装を作る仕立屋とは、つまり職人だ。普段、政とは無縁の場所にいる。

 にもかかわらず、仕事場を王宮に移しただけで、国を揺るがすような大事件に簡単に巻き込まれてしまうのだろうか?

 想像するだけで不安になり、背筋に寒気が走る。


「実際、俺もとんでもない依頼をされたこともあるしな。まあ、そのときはすぐに御史台ぎょしだいに密告して、その馬鹿の人生終わらせてやったが」

 それは今、ここで明かしてもいい話なのだろうかと、莉璃は眉根を寄せた。

「そいつ、今も恨んでるだろうな、俺のこと。なにせそれが原因で一族郎党捕まっちまったからな。もしかすると俺、そのうち消されるのか?」

 ぞっとするような話を、そんなにもあっけらかんとした調子で口にしないでほしい。


「というわけで、気軽な気持ちで来たなら、王家の花にはならないことをすすめるぜ。おまえが考えているより、ずっと過酷でおそろしいものだからな」

「――でも、なりたいのです」


 過激な話を聞かされたところで、迷いは生じなかった。


「どんなにおそろしい場所でも、思ったように衣装を作ることができなくても、それでも王家の花になりたいのです」

「なぜそんなにもこだわる?」

「王家の花になれば、この国一の仕立屋だと認められるから……」


 そうなれば莉璃が手がけた衣裳には大きな価値が生まれ、月華館は繁盛する。

 やがて鳳家は安泰を手に入れ、莉璃はこの先も花嫁衣装の仕立てを続けることができるだろう。


 ――それが叶わなければ、いよいよ政略結婚の道しか残されていないもの。


 けれど家に嫁げば、莉璃は仕事をあきらめなければいけなくなるのだ。


「なにか事情がありそうだな」

「ええ、お察しの通りに」

「一応、忠告はしたからな。俺の話を聞いたうえで、どのような結果を出すかはおまえ次第だ。ただ、甘い世界じゃないということだけは覚えておけよ」

「ええ……ありがとうございます」

「理想や夢なんて簡単に打ち砕かれる。ここは悪鬼はびこる王宮だからな」

 句劾のその言葉は、重い鉄塊となって莉璃の心にのしかかった。


「ああ、そういえば最近、鳳家に関する噂を聞いたな。たしかおまえ、司家の息子と婚約してるんだったよな?」

 今思い出したと言わんばかりに、句劾はぽんと手を叩いた。

「中書省に務める、あのいけすかない奴か」

 いけすかないか否かはわからないが、婚約に関する話に間違いはないので、莉璃は「そうですわ」とうなずく。

 すると句劾は、「ははあ、そういうわけか」と、顎に手をやって目をすがめた。

「事情があるって、それ絡みか。おおかた仕事をやめろとかなんとか言われてるんだろ」


 ずばり言い当てられたが、さして驚かなかった。

 莉璃の身分で仕事を持っていることのほうが特殊なのだ。結婚を前にし、王家の花にならなければならない事情があると聞けば、誰しも句劾のように考えるだろう。


「事情はございますが、それを明かすつもりはございませんわ」

 ですのでこの話は終わりにいたしましょう。

 そうまとめた莉璃だが、句劾はまだ話を続ける。

「まあ、司家に嫁ぐのも面倒そうだよな。あの息子――白影とか言ったか。正当な嫡子ちゃくしではないって噂だが、実際はどうなんだ?」

「え?」


 思わぬ情報を与えられ、莉璃は目をまたたいた。

「どういうことですの?」

 逆に聞き返せば、さらに句劾が問うてくる。

「おまえ、知らないのか? その話」

「ええ、まったく」

「ふーん。……まあ、ただの噂だからな、おおかた間違った情報なんだろ」

「ですがそのような噂話があること自体は事実なのですね?」

 句劾はおもしろがるように目を細めた。

「気になるなら、俺じゃなくて本人に聞けばいい」

 本人。つまり白影に。

「婚約してるんだろ? なら本人に直接聞いたほうが正しい情報を得られるだろうが」


 たしかにそうだ、と、莉璃は納得する。

 けれどそのうちに、その件はわりとどうでもいいことのように思えてきた。

 白影が正当な嫡子であろうがなかろうが、彼自身が何か変わるわけではないのだ。

 さらに鳳家と司家の関係性が――此度の婚姻による条件が変化するとも思えない。


 ――しかも、情報元はただの噂話のようだし。


 その内容が事実であるとは、とても思えなかった。


 それこそ句劾の言葉を覚えていたら、あとで白影に直接問うてみよう。

 莉璃の中では、その程度のこととなったのだ。

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