第9話

 なかなか部屋から出てこないリーフェを待ちつつ、カレルはお茶を飲む。

 リーフェも伯爵令嬢だった頃は入浴も侍女に手伝ってもらっていたはずだ。服の中まで泥が侵入しているような状態だったから、おそらく時間もかかるだろうとカレルは先に一息つく。

「……つかれた……」

 なんだか短時間にバタバタして疲れてしまった。予想外の行動をする弟子をもつと大変だ。

 ふぅ、と息を吐きながらカレルはリーフェの部屋の扉を見た。

 それにしても妙なご令嬢だ。

 育ちは完全に箱入り娘。世間の荒波に揉まれて苦労したような様子もなく、しかしただ溺愛されていたにしては本人に自信がなさすぎる。

 そもそもあのどんくさい子が誰かに嫌がらせだなんて、誰が信じるというのだろう。

 王都の誰もが信じきって彼女は修道院送りになったのだから、よほど他の貴族たちと交流がなかったのだと推測するしかない。

「……とはいえ、身内くらいはあの子の性格をわかっていそうなものだけど」

 だが彼女は言った。

 勘当されたのだと。もう伯爵令嬢ではないのだと。

 あれほど世間知らずの娘に育て上げたくせに、彼女が嫌がらせができるほど器用な娘ではないとわからなかったとでも言うのだろうか。

それとも。


「あの……お師匠さま」

「うん? どうしたの?」


 扉を少しだけ開けて顔を出したリーフェに、カレルは首を傾げる。

 着替えたのだとしたら、このリーフェの行動はどうにもおかしい。

 今のリーフェは、三つ編みがうまくできなくて困っている時と同じ顔をしていた。何か困ったことが起きたらしい、ということをカレルは瞬時に把握した。

「いえ……その、背中ってどうやったら拭けるんでしょう? がんばっても手が届かなくて……」

 案の定リーフェは困りきった顔でそんなことを言う。

 つまり今、リーフェはまだ服を着ていないということだ。

「君って子は! 恥じらいってもんがないの!?」

 思わず声を荒らげたカレルは頭を抱えたくなった。

 ……ほんと、この子どうしたらいいんだろう。




 もちろんカレルがリーフェの背中を拭いてやるわけにもいかないので言葉でどうにかこうにか説明した。

 弟子は家族同然だと言われて育ったとはいえ、妙齢の女性の無防備な素肌を拝むわけにはいかない。カレルはこれでも成人済みの立派な男性である。

「すごいですねお師匠さま! タオルの端をこう持つと一人でも背中が洗えるんですね!」

 無事に身体を拭き終えて着替えたリーフェはタオルを持ちながら興奮気味に話している。

「うん……わりと皆知ってるよ……」

 ぐったりと疲れた顔でカレルは答える。

 この家にやってきて数日経つが、いつもリーフェはなかなか背中には手が届かないなぁと思いながら諦めていたらしい。背中が拭けないからといって人間は死んだりはしない。

 はぁ、と何度目かのため息を吐き出していたカレルは、ふと顔を上げる。リーフェはカレルが用意していたお茶をちょうど飲み終わる頃だ。

「……リーフェ。飲み終わったなら木苺を摘んできてくれるかな」

「木苺ですか?」

 カップを置いたリーフェは木苺という単語に目を輝かせた。

「そう。この家から東に行けばすぐ見つかるよ」

 カレルが窓の向こうを指差す。それほど離れた場所ではないらしい。

「あとはこれを持っていきな」

「……鍵?」

 それはとてもシンプルな作りの鍵だ。そういうデザインのネックレスだと言われても頷いてしまいそうになるほど。

「この家の鍵……というより、それを持っていれば必ずこの家に帰って来れるようにまじないがかかっているから」

「魔女の魔法ですか!?」

「そうだね。そのひとつ」

「えっと、帰りはいいとして、わたし一人で行けるでしょうか」

 いくら近くだとしても、森の中は方向感覚が狂いやすい。そしてリーフェは方角を知る術など学んでいないし、そもそもドジでおっちょこちょいだ。

「迷わないよ。この森にいる限りはね」

 不思議なくらいにカレルは断言するので、リーフェは首を傾げる。

「そういうものなんですか?」

「そういうものだよ」

 そうなのか、とあっさりリーフェは納得する。

「木苺はこの籠に入れて。真っ赤になったやつを摘むんだよ。全部じゃなくて半分は森の動物のために残してやってね。籠半分もあれば十分だから」

「はい!」

 カレルから渡された籠を持ち、意気揚々と出発するのだった。


 レインデルスの森は噂に聞いたものとはまったく違って、とても穏やかな森だ。

 荒れ果てているようなことはなく、足元もけっこう歩きやすい。リーフェが一回躓く程度で済むほどには。

 カレルが指差した方角へ歩いて十分ほど。リーフェの足でそれなら、カレルなら半分くらいの時間で到着するだろう。

「わぁ……!」

 そこには何本も木苺が植えられている。もしかすると何代か前の森の魔女が植えて育てたものなのかもしれない。

 緑の葉の合間に真っ赤な実がたくさん揺れている。

「木苺ってこれよね! すごいわ、実がなっているところなんて初めて見た……」

 ティータイムにタルトに変貌して出てくる事はあったけれど、当然リーフェが木苺を摘むのは初体験だ。

 宝石みたいな実にそっと触れて見る。力を入れたら潰れてしまいそうだ。次から次へと摘んで籠に入れていくと、あっという間にいっぱいになる。

(全部とったらダメなのよね……!)

 夢中になるとつい目についた木苺を摘み取ってしむいそうになるが、カレルから言われたことを思い出してリーフェもぐっと堪える。

 しかしついつい大きな実を選んでしまう。だってリスなどの小さな動物が食べるなら小さい実でもいいはずだと言い訳しつつ初めての木苺狩りを堪能する。

「すごく美味しそうだけど、このまま食べてみてもいいのかしら……いつもお菓子になったものしか食べてないし」

 じーっと木苺を見つめてリーフェは考える。

 美味しそう。

 いやでも食べても平気かわからない。

「そ、そもそもお師匠さまに頼まれたことなんだからつまみ食いはダメだわ……!」

 家に戻ったらそのままでも食べられるのか聞いてみよう、と一際大きな一粒を籠に入れる。籠にはこんもりと木苺が山のように盛られていた。

「……とりすぎちゃった?」

 木にはまだまだ木苺がなっているし、言いつけの通り全部摘み取ったわけではないのだが。

「きっと少なすぎるよりは……たぶん、うん」

 木苺を何に使うか聞いていないが、足りなくなるよりは多すぎるほうがいいはずだ、とリーフェは勝手に納得することにした。




 木苺がたっぷりと入った籠を手に、来た道を戻る。

 リーフェのあやふやな記憶ではこちらであっているはずだ、と歩き始めてから十分ほどで家が見えた。

(本当に全然迷わなかった……)

 帰るのに来た時の倍の時間はかかるだろうと覚悟していたリーフェは驚きながら家に入る。

「お師匠さま、ただいま戻りました!」

「おかえり」

(……あれ?)

 家を出た時にはなかったはずの木箱があった。

 その中には日用品らしいものがいくつも入っている。

「……どなたかいらっしゃったんですか?」

 籠をテーブルに置きながらリーフェは木箱を見つめる。

「通いの商人だよ。月に一回くらいくるかな」

「そうなんですか。お会い出来なくて残念です。ご挨拶したかったですね」

「……今度ね」

 カレルは小さく微笑みながら、木箱の中から小瓶を取り出した。

「はい、これは君に」

「はい? なんでしょうか、これは」

「化粧水と、追加のハンドクリーム」

 透明の液体がちゃぽんと揺れている瓶と、もう一つは見覚えのあるものだった。

 ハンドクリームはまだしも、化粧水をカレルが必要としているとは思えない。だとすれば彼はリーフェが使うだろうと注文してくれたということだろうか。

「……わたしのために、わざわざ?」

 瓶をぎゅっと握りしめて、リーフェは問う。しかしカレルは「まさか」と言って笑った。

「買い物のついでだよ。ヘルトラウダの化粧品はあいつからしか買えないし、今日はたまたま仕入れてあったし」

「ヘルトラウダ?」

「前に話したことなかったっけ? 知り合いの魔女だよ」

 知り合いの魔女というと。

「ええと、ハーブティーの魔女さまですか?」

 リーフェは記憶を遡って首を傾げる。確かカレルの口から出てくる魔女は多くはなかった。先代の魔女の他には、弟子入りしたがったリーフェにすすめてきた魔女が一人。

「そう。花狂いの魔女ヘルトラウダ。姉弟子でね。ハーブティーや化粧品なんかを趣味で作ってる」

「ではこちらもその方が作ったんですね。いつかお会いできるでしょうか」

 カレルの姉弟子というのならこの家にやって来ることもあるのではないだろうかとリーフェは無邪気に笑う。

「……さぁ、どうだろうね。彼女は自分の家から離れないから」

「そうなんですか? 残念です」

 そう答えながらつい先ほども似たような会話をした気がする、とリーフェは思う。

 魔女に弟子入りして数日。

 思えばまだカレル以外の人と会ったことがないんだな、と気づいた。

(魔女さまって、けっこう暇なのかしら……)


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