第8話
「リーフェ、そっちの花壇に水あげてきてくれる?」
「はい!」
汲んできた水の入ったバケツを持ち上げてよたよたと歩きながらリーフェは言われた通りに野菜に水をあげる。
これでも腕が筋肉痛にならなくなってきたので少しは成長しているらしい。
魔女の生活というのは実に平穏だ。噂話の中ではおどろおどろしく語られる魔女だけど、リーフェが見る限り人間の血肉を怪しい薬の材料にしているなんて様子はない。怪しい薬は時折作っているみたいだけど、怪しくない薬を作っている方が多かった。
「あ、リーフェ。畑から人参をとってきて」
「はい! ……はい?」
水やりを終えるタイミングを見計らってカレルは次の指示を出す。いっぺんに頼むとリーフェが忘れてしまうということを、既にカレルは学んでいた。
「……人参……って、どれですか?」
こてん、と首を傾げるリーフェに、カレルは凍りついた。
畑にはいくつかの野菜が植えられている。葉っぱの形が違っていたりするので、違う野菜なのだということはリーフェにもわかるし、たとえばトマトなら実っているのを見ているのでわかる。わかるようになった。
「……あー……そうだね、そうだよね。調理前の形すら知らなかったんだから、植えられている時の状態も知らないよね……」
カレルは苦笑まじりに納得する。
先日、カレルが料理をしているときに「それがじゃがいもなんですか?」とリーフェは物珍しそうに見てきたことで、料理となって出てくる前の野菜を見たことがないと判明した。
リーフェは生まれてからずっと伯爵令嬢として育ったのだから、無理もない。厨房に近づくようなこともなかったし、畑なんてここにやって来るまで見たこともなかったのだ。
「……すみません」
(やっぱりわたしは全然お師匠さまの役に立たない……)
畑からもさもさと生えている葉っぱたちも、それぞれ形が違うことはわかってもそれがどんな野菜なのか知らなかった。まだまだ水やり程度で必死になっているリーフェには、知ろうと思う余裕すらなかった。
しゅん、と萎れるリーフェにカレルは眉を寄せた。
「ちょっと。君、また余計なこと考えてるでしょ」
歩み寄ってきたカレルが眉間に皺を寄せてそう言う。リーフェは首を傾げた。
「余計なこと?」
「わたしって役立たずだなぁ……とか考えてそう」
それはまさに今さっきリーフェが考えていたことだ。
「お師匠さまは心の中もわかるんですか!?」
さすがですね! と目を輝かせるリーフェに、カレルは苦笑いだ。
「……ああ、うん……。君限定でならわかるのかもね……」
なんせリーフェの表情はわかりやすすぎるくらいにころころと変わる。その癖どうも自己評価が低いらしいということも、カレルは察していた。
「ほら、おいで。これが人参の葉っぱ」
「ふさふさですね!」
「土のとこを見ればオレンジ色が少しだけ見えるでしょ」
カレルの手がふさふさもさもさとした葉をよけると、地面からほんのりとオレンジ色が顔を出していた。
「あっ本当です! 人参の色です!」
葉の形は知らなくとも、人参の色くらいはリーフェだって知っている。オレンジ色の野菜なんて他にはそうそうないから。
「このあたりに植えてるのは根菜だから覚えておきな」
「こんさい……?」
ってなんだろう。
という顔をしているリーフェにカレルは笑う。予想通りの反応だった。
「食べる部分が土の中に植わっている野菜」
カレルの説明に、リーフェは素直に「へぇ」と声を零しながら畑に植えられている野菜を見回す。
「人参の他にはどんな野菜がありますか?」
「昨日食べたカブとかがそうだよ。ほら」
言いながらカレルはカブを引き抜いた。
「ぬ、抜いていいんですか!?」
「食べるために植えているんだからいいんだよ」
引き抜いたカブはなかなか大きくなっている。他のもそろそろ収穫時かなとカレルは見下ろした。
「このあたりの人参も抜いてみな」
「はい!」
「人参は三本、カブもあと二本抜いて持ってきて」
「はい!」
人参を「ふぬぬ……!」と言いながら引っこ抜くリーフェを残してカレルは家に入る。野菜はポトフにでもして、残りは酢漬けにでもしようと準備を始める。
「お師匠さま! 持ってきました!」
「なんでそんなに泥だらけになってんの!?」
どやっとした顔で野菜を収穫してきたリーフェはなぜか泥だらけだった。
「野菜を抜いてるときに転んでしまって……」
水をあげたばかりの畑の土はぬかるんでいる。転んだりすれば当然泥だらけになるのだが。
「せいぜい尻もちくらいかと思ったのになんで前後見事に泥がついてるの……」
カレルが呆れるのも仕方ないほど、リーフェは顔や髪にも泥をつけている。
「野菜は死守しました!」
「野菜より自分の顔を守りなよ。女の子でしょ……」
つまり前のめりに転んだ時に野菜を守り顔から突っ込んだらしい。
リーフェから野菜を受け取ると、カレルは再びリーフェを家の外に放り出す。
「井戸の水で泥を落としてきな。お湯を用意しておいてあげるから」
「はい……」
しょぼしょぼと井戸に向かうリーフェの背中にカレルは嫌な予感がした。泥だらけの次は濡れ鼠になってくしゃみをする姿が目に浮かぶ。
「あんまり水を被りすぎたらダメだよ!? 風邪引くからね!?」
「えっ……難しいですね……」
振り返ったリーフェの困ったような顔に、カレルは諦めて付き添うことにした。
そもそもリーフェが井戸から水を汲む速度を考えたら全部カレルが手伝った方が早い。
「服についた泥は手で落として。髪と顔についたのを洗い流すんだよ」
つい自分の手で服の泥を落としてやろうと手を伸ばしたが、いろいろ問題がある。さすがにカレルがリーフェの胸元や尻を触るわけにはいかないが、被害が大きいのがそのあたりだ。
リーフェは素直にカレルの言うとおりに服の泥を落とす。その間にカレルは井戸から水を汲んだ。
「服の中がじゃりじゃりします……?」
「中にも泥が入ったんでしょ……それはあとでいいよ」
顔を洗うリーフェのお下げについた泥をカレルがとる。結んでいたからマシだが、リーフェのようなくせっ毛では泥まで巻き込んでしまっていそうだ。
まったく、何度転んだらこんなに泥だらけになれるのだろうと苦笑しながらカレルはリーフェの髪を解き、絡まった汚れも落とす。
「綺麗になりました!」
顔を洗い終えたリーフェが振り返るけれど、その額にはまだ泥が残っていた。つくづく詰めの甘い弟子である。
「まだ残ってるよ」
苦笑まじりにカレルはリーフェの額に手を伸ばす。手のかかる子ほど可愛いとは聞いたことがあるけれど、なるほどなとカレルは思った。
家に入るとカレルは手早くお湯を用意する。
大きな盥にお湯をはり、リーフェの部屋に運び入れた。
偉大な森の魔女も暮らしは庶民と変わらない。貴族のように入浴するための浴槽などはないので、盥のお湯で身体を拭く程度だ。
「ちゃんと身体を拭いて、着替えるんだよ」
「はい」
さすがにこれはカレルが手伝う訳にはいかない。扉をしっかりと閉めたカレルはお茶を淹れることにした。
リーフェの身体は冷えてしまっているだろうから、温まるものが必要だろう。
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