第7話
カシャン、と皿が床に落ちて悲鳴をあげる。
「あっ」
ワンテンポずれてリーフェが声を上げた時には、既に皿は割れて破片が飛び散ったところだった。
(きょ、今日だけでもう二枚目……! すっかりお皿洗いにも慣れたと思ったのに、また失敗しちゃった……)
しゅん、と落ち込みながらリーフェは箒とちりとりを取りに行く。
カレルのもとに弟子入りしてからというもの、雑用をいろいろさせてもらっているが、今のところリーフェがこれは自分の仕事だと胸を張れるようなものはなにも無い。
皿洗いだけは毎日やっているのだが、ここ数日で毎日少なくとも一枚は割ってしまっている。
「慣れてきたからせめて時間を短縮しようとか、わたしにはまだまだ早かったんだわ……」
カレルが褒めてくれるほどの仕事ぶりを見せなければと頑張るのだが、リーフェの頑張りは大抵が空振っているのだ。
「なにかが割れる音がしたけど、大丈夫? 怪我してない?」
「お、お師匠さま……」
外に出ていたはずのカレルがひょっこりと顔を出す。こういうときカレルは作業の手を止めてすぐに駆けつけてくれるのだが、リーフェはますますしょんぼりとする。
「申し訳ありません……」
「そんな死にそうな顔しないでよ。別に何枚割ったってまだ皿はあるし」
カレルは皿を何枚割ろうと寛容で、それがまたリーフェの申し訳なさを増大させる。叱られるほうがよほど良いと思ってしまうほどだ。
「怪我は?」
「ありません……」
「片付けも慣れてきたね」
くすくすと笑いながらカレルはリーフェの頭をぽんぽん、と撫でる。
かれこれリーフェが割った皿の数は六枚ほどになっている。最初こそカレルが手早く片付けるのを見ているしかできなかったが、それも三枚目の時に卒業した。
せめて割った皿を弁償できればいいのだが、リーフェはお金を持っていない。
そもそも箱入り娘で引きこもりがちな伯爵令嬢だったリーフェは買い物をすることがなかったので皿一枚の値段さえわからなかった。
(せめてお師匠さまのお役に立って……と思ったけど、全然役に立たないし)
やさしいカレルに甘えてばかりではいけない、とリーフェは思う。せめて自分がやったことの責任はとりたい。
(あ、そういえば……)
「お師匠さま、わたしが着ていた外出着を売ることはできるんでしょうか?」
割ってしまった皿を片付けてから、カレルに話しかける。カレルは突然の話題に首を傾げた。
「古着としてなら十分に売れるだろうけど、なんで?」
リーフェがここに来た時に着ていた外出着は、貴族の娘が着るには地味ではあるが質はいい。森で走りまわって汚れたところはカレルが既に汚れを落としてくれているし、街へ持っていけばそれなりの値段はつくだろう。
「それを売っていただいて、これまで割ったお皿の弁償に……」
リーフェがすべてを言い切る前に、カレルは「はぁ?」とため息を吐き出す。もしかして失礼なことを言ってしまっただろうか、カレルは怒っただろうか、とリーフェは思わず両手を握りしめた。
「弁償なんていらないよ。そんなにお高い皿なんて使ってないし」
リーフェが怯えたことに気づいたのだろうか、カレルの口調がほんの少しやさしくなる。
「また着る機会があるかもしれないんだからちゃんととっておきなよ」
「でも……」
また着ることなんてないと思う。だってリーフェはもう王都に戻ることも、貴族の娘として生きることもないのだから。
カレルのもとで暮らしてからというもの、リーフェはずっとお下がりの服で過ごしている。今まで着ていたドレスよりも、当然ながらその方が動きやすいのだ。
「……あのねぇ」
ため息を吐き出しながらカレルはリーフェに詰め寄る。
その声は怖くはないけど迫力はある。
「練習していて失敗するのは当たり前のことなんだよ。成り行きとはいえ君を弟子にすると決めたのは僕だ。弟子のやったことの責任は師匠がとるものだよ」
わかる? と強めに問いかけられ、リーフェはこくこくと頷いた。
わかっていないのに反射で頷いてしまった。
だからじっくりとカレルに言われたことを反芻して、言葉を飲み込んで、そしてリーフェは胸の前でぎゅっと手を握りしめる。カレルの言葉を理解した。
けれどだからこそ、リーフェはわからない。
「……失敗しても、いいんですか」
失敗することは、喜ばれることではない。歓迎されることでもない。リーフェは人一倍どんくさい子どもであったから、失敗した時の人の反応をよく知っているのだ。
問いかけたリーフェの声は小さくかすれていた。その声をしっかりと拾い上げて、カレルは笑う。
「君、ちゃんと聞いてた? 練習するときに失敗するのは当たり前だって言ってるでしょ」
ぽんぽん、とカレルの手がまたリーフェの頭を撫でる。自分に対してそんなことをしてくれるのは従兄くらいだったな、とリーフェは思う。それも、数年前から「もう立派なレディだからね」と言って頭を撫でてくれるようなことはなくなってしまった。
「君は急ぐと注意力散漫になるから、急がなくていいよ。急いでやるようなことは特にないしね」
「でもわたし、できることを増やしたいです」
「増えてるでしょ」
きっぱりと言い切るカレルに、リーフェは首を傾げた。
「皿洗いも、雑草抜きも、花に水をあげることも、今までの君はできなかったことだよ」
リーフェは赤い瞳を丸くして、カレルを見つめる。握りしめていた手がゆるゆるとほどけた。
「……そう、ですね」
伯爵家にいた頃は一度もやったことがない。ここに来てから初めて経験したことだ。
「でも、お師匠さまみたいにいろいろできなくて」
「それも当たり前だろ。一週間やそこらですぐに立派な魔女になれるとでも思ったの? そもそも大魔女の僕と比べることが間違ってる」
カレルの指が俯きがちなリーフェの鼻をつん、とつついた。
「君はまだ殻のついたひよっこなんだから、そこんとこちゃんと自覚しなさい」
やさしさの滲んだ声に、リーフェは何も言えずに小さく頷いた。
少し前まで握りしめていたリーフェの手に、カレルは手を伸ばした。
「手も、少し荒れてきたね」
白くなめらかだったリーフェの手は、指先が少しかさかさになっていた。水仕事などしたことのなかった手だ。荒れるのも早い。
「働いている人の手になってきて嬉しいです」
「手入れはちゃんとしなさい。クリームがあったはずだな……」
カレルはぶつぶつと言いながら戸棚から小さな瓶につめられた白いクリームを出してくる。
「それを水仕事のあとに塗るといいよ」
「どのくらい? ですか?」
試しにと瓶をあけてみたリーフェは首を傾げた。手荒れを注意されたのだから塗るのは手で間違いないのだろう、と思うくらいにはリーフェは無知だった。
「それも知らないの……? 指でひとすくい……って多いよ多すぎ! べたべたになるでしょ! いやいや多い分戻してもダメだよ!」
カレルはため息を吐きながらリーフェの手をとる。ハンドクリームが多すぎてべたべたになっている小さな手を包み込むようにしながら余った自分の手にもクリームを伸ばしていく。
(……お師匠さまの手って大きいのね)
「いい香りがします」
カレルの手がリーフェの手のひらを撫でるたびにふわりといい香りが漂う。
「カモミールだね。リラックス効果がある」
「この香り、好きです」
「それは良かった」
くすりと笑いながらカレルは手を離す。「はい、おしまい」と言われてリーフェはなんだか名残惜しかった。
荒れていた手のひらからは甘くてやさしい香りがする。先ほどまで感じていたカレルのぬくもりを思い出して、リーフェはこっそりと微笑んだ。
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