第4章 魔女と訪問者
第15話
ぼさぼさの髪のままで、リーフェは部屋を出る。いつもならもう少し自分で三つ編みをしてみようと試みるのだが、今日のリーフェはそんな気分になれなかった。
(早くお師匠さまに髪を梳いてもらいたい……)
ついででもいいから、頭を撫でてもらえたらもっとうれしい。
きっとそうしたら、この胸の奥の曇り空も晴れる気がする。
「おはようございます」
「おはよ。……夢見でも悪かった?」
リーフェは何も言っていないのに、カレルはまるで見透かすみたいに問いかけてくる。
どきっと胸が怯えるように震えて、リーフェは目を伏せた。悪いことはしていないのに、悪いことをして見つかったときみたいな居心地の悪さがある。
「えっと……」
「まぁ、僕には関係ないけど。ほら、おいで。髪を結ってあげるから」
リーフェが口籠ると、カレルは素っ気ないことを言いながら櫛を片手に手招きする。
「はい……!」
リーフェはそれがうれしくて、子犬のようにカレルに駆け寄った。
カレルの手はやさしくリーフェの髪をとかしていく。いつもより丁寧にゆっくりととかされている気がするのは気のせいだろうか。
「……髪もちょっと傷んできたかなぁ」
「そうですか?」
「そうだよ。令嬢みたいに香油を塗っているわけじゃないし、日光に当たりすぎると傷むからね」
髪を梳きながらカレルはどうしたものかと悩んでいるようだった。
リーフェは特に傷んだという感じはしないし、別にどうでもいいのだけど。だってもともとどんなに手入れしてもひどいくせっ毛のままだから、リーフェはこの黒髪がそんなに好きじゃない。
そんなくせっ毛を器用に三つ編みにして、カレルは櫛を片付ける。
「ありがとうございます」
「どういたしまして。もう日課みたいになっているけどね」
「三つ編みをちゃんと覚えたい気持ちはあります……」
えへへ、とリーフェは苦笑する。くせっ毛の上に無駄に長い黒髪は、不器用なリーフェが扱うには難しい。
「覚えなくても死なないし、いいんじゃない」
カレルは昨夜のうちに作っておいたスープを温めなおしながら、相変わらずさらりと答える。
できなくてもいい、失敗してもいい。
カレルはいつもそうだ。やれることをやればいいし、やりたいことならやってみればいい。リーフェは小さく「えへへ」と笑った。
「リーフェ、お皿出してくれる?」
「はい!」
リーフェは笑顔でカレルとともに買いに行った皿を棚から出す。
この穏やかでやさしい日々が早く日常になればいいとリーフェは願っていた。もうあんな夢を見なくてもいいように。
*
それから数日。
リーフェは相変わらず朝はカレルに髪を結ってもらっているし、毎日カレルにハンドクリームを塗ってもらっている。
大きな手に包み込まれるたびにリーフェはうれしくもくすぐったい気持ちになった。
けれど嫌ではない。正直、もう自分で塗ることもできる気がするけれど、カレルに塗ってもらうのが好きで甘えている。
「お師匠さま、カラスがいます」
庭での水やりを終えたリーフェが、家の入口でちょこんと大人しくしているカラスを見つける。
そんなところにカラスがいるのを、リーフェは今まで見たことがない。そもそも森でカラスはあまり見かけなかった。
リーフェに言われてカレルが顔をあげる。
「ああ、姉弟子の使い魔だよ」
(使い魔!)
なんて魔女らしい響き!
カレルが近寄ると、カラスは慣れているようでカレルの腕にとまる。カラスの足に括り付けられていた手紙らしきものを受け取っている。
「お師匠さまにはいるんですか? 使い魔とか」
「僕にはいないよ。いなくても困らないし」
わくわくしながら聞いてみたリーフェはちょっとがっかりした。
「ええと……どんなお手紙でした?」
短い手紙だったらしく、カレルはさっと目を通しただけですぐにポケットにしまってしまう。
「ちょっと面倒ごとがあるから手伝えって……まぁ断るけど」
「断るんですか?」
わざわざ連絡をよこしてきてまで手伝ってほしいことだというのに、カレルは思ったよりも素っ気ない。
「王都の魔女だからね、今そっちに行くような暇はないし」
「王都に魔女さまがいらっしゃったんですか!?」
「いるよ。まぁ、普通の人は簡単には会えないけどね」
この森と同じように条件を満たした者だけが魔女の家にたどり着けるようになっているらしい。
「し、知らなかったです……」
生まれてからずっと、リーフェは王都の屋敷で暮らしていたのに。魔女といったらレインデルスの森の魔女くらいしか聞いたことがないし、それもおとぎ話のようなレベルの話だ。
「君、噂話とか聞くような機会ないでしょ。それに王都にいるのは僕みたいな暮らしはしてないよ」
「え? でも姉弟子だって……」
魔女とは皆、こういう暮らしではないのだろうか。まして姉弟子というのなら、師が同じなのだから暮らし方は似たようなものになると思う。
「姉弟子だけどね。得意分野は違うから。あれは恋愛のいざこざとかに絡むのが好きだからなぁ……」
「れんあい」
それはリーフェの耳に噂話が届かないのも納得だ。
恋愛なんて、リーフェにはまったく関わりのないことで、おそらくこれからも当分お近づきにはならないことだと思う。
「君をここにおいて王都に行くわけにはいかないし、君を連れていくわけにもいかないでしょ?」
「そ、そうです、ね……」
リーフェは苦笑いを浮かべて頷いた。
実質的に王都を追放された身だ。リーフェの顔を知る人は少ないけれど、のこのこと帰るわけにはいかない。
カレルはそんなことまで気をつかってくれているらしい。ありがたいのやら申し訳ないのやらでリーフェは眉を下げた。
「……そろそろ木苺のジャムがなくなっちゃうから、午後はまた摘みに行ってもらおうかな」
そんなリーフェを元気づけるようにカレルは楽しい用事を申し付ける。狙い通りリーフェの目はパッと輝き始めた。
「はい! まかせてください! ……あ、お師匠さま」
「なに?」
はい! と手を挙げて質問してくる弟子に、カレルは首を傾げる。
「木苺ってそのまま食べても平気なんですか?」
「平気だよ? 前の時は食べなかったの? つまみ食いくらいしていると思ったのに」
(あ、食べてもよかったんだ……)
あの時は頼まれたことをやり遂げずにつまみ食いなんて、と思ったけれど、今ならカレルがそのくらいのことは想定して――いや、当然それくらいのことをしているだろうと考える、とリーフェにもわかる。
「じゃあ今日はつまみ食いします!」
「つまみ食いなんて、そんなに気合を入れてするもんじゃないけどね……」
ぐっと拳を作り宣言するリーフェに、カレルは笑った。
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