第16話
「それではお師匠さま、いってきますね!」
気合いもやる気も十分にリーフェは木苺を摘みに行こうと玄関へ向かう。
「はいはい。ちゃんと鍵は持った?」
「はい! 首から下げてます!」
家の鍵は紐を通して、なくさないように肌身離さず持ち歩いている。紐を引っ張って服の中から取り出して見せるとカレルは「よろしい」と頷いた。
「今度はジャムだけではなくて、タルトやパイにしてもいいかもね」
リーフェに籠を渡しながらカレルがそんなことを言う。
(タルト! パイ!?)
おかげでリーフェはすっかり美味しいお菓子たちのことで頭がいっぱいだった。
(ジャムは絶対に欲しいし、でもタルトやパイも食べてみたい……! この間よりちょっと多めに摘んで帰ってもいいかしら?)
あの時はまだ赤くなっていない実もあったし、まだたくさん残っているはずだ。森の動物たちが木苺ばかりを食べていなければ。
わくわくしながら歩いていると、すぐに目的地にたどり着く。木苺は宝石のようにきらきらと輝いてみえた。
「良かった! まだたくさんあるわ」
全部を摘み取るわけにはいかないが、それでもジャムとタルトかパイを作るには十分な量がとれるんじゃないだろうか。
夢中で赤く色づいた木苺を摘んでは籠に入れていく。
(そうだ、つまみ食いしてみよう……!)
ちょうど一粒摘んだときにリーフェは思い出した。
つまみ食い。
なんだか悪い子になった気分だ。
「でも、お師匠さまもいいって言っていたし……!」
えいや! と真っ赤な木苺を一粒、口の中に放り込む。
「甘酸っぱい……!」
ジャムにした時よりも酸味は強い。それになんだか、ぷちぷちしている。美味しい。
これはやみつきになりそう……気をつけなければお菓子になる分がなくなってしまう。
やはりつまみ食いは危険だ! とリーフェは気合いを入れ直し、再び黙々と木苺を摘む作業に戻った。
*
リーフェが出かけてから数分後のことだった。
結界を誰かが越える気配がして、カレルは顔をあげる。どうやら客らしい。
「こんなに頻繁に来ることってあんまりないんだけどなぁ……」
リーフェを含めると三人目だ。
魔女の家を訪ねてくる者は月に一人いるくらいなのに、近頃は多い。
カレルはさっと鬘を被り、ローブを羽織ってからフードを深く被る。日常生活の名残と思えるものは片付けてしまう。魔女に神秘性を求める客は少なくないからだ。
ぶ厚いローブで身体の線はわかりにくくなっているものの、意識的に肩を落とした。そうすることでぐっと女性らしく見えるようになる。
そして極力、手は見せないようにする。手は骨格がわかりやすいので、聡い人間にはすぐに男だとバレてしまう。
魔女というからには、女である。
そういう先入観があるからこそ通じる変装だ。
男だと知られたところで問題があるわけではない。男だろうとなんだろうと、カレルがレインデルスの森の魔女であることには変わりない。
「……でもまぁ、受け継いだ名前だしね」
代々継いできた魔女の名だ。
カレルの代でその名を汚すことは許されない。
数分もせずに、玄関を叩く音がする。
「こちらにレインデルスの森の魔女はおられるだろうか」
若い男の声だった。
魔女の家にやって来る人物は様々なので、カレルは特に驚きはしない。小さな子どもがやって来たこともあったし、老人が戸を叩くこともあった。
「玄関は開いているよ」
そう応えると、しばし迷うような沈黙のあとでゆっくりと扉が開く。
背の高い焦げ茶の髪の青年だ。身なりからして上流階級。こちらを伺う瞳から思慮深さも感じられる。
さてどんな願いだろうかとカレルは小さく息を吐く。
偏見かもしれないがこれまでの経験上、上流階級の人間の願うことは、たいていカレルにとってはあまり好ましいものではない。
「……あなたが?」
どんな風貌を想像していたんだろうか、青年は訝しげな目でカレルを見る。
自分で言うのもなんだが、これほど魔女らしい姿をしている魔女なんていないと思うんだが。
「信じられないならとっとと帰んな。こっちも暇ではないからね」
素っ気なくあしらって、カレルは扉を示す。
文句があるならこちらを頼らなければいい。たとえ客が帰ろうと、カレルは困ったりしない。
どうせ内容によっては断ることになる。
「失礼。そういうわけではなく……想像よりお若くて驚きました。気分を害されたのなら申し訳ない」
声だけで若いと判断したのか。
嗄れた婆さんが出てくるとでも思っていたんだろうか。
数年前なら想像通りの魔女が出迎えたはずだけどね、とカレルは苦笑いを零して青年に椅子をすすめる。
「帰らないならそこに座るといいよ。用件を聞こう」
青年は礼を言い、椅子に腰掛けた。
古びた椅子に座っているとは思えないほどかしこまって、無駄に姿勢がいい。
お茶くらい出してやるか、とカレルはティーポットを出す。どうやら青年は馬鹿真面目な部類の人間だ。歓迎するわけではないが邪険に扱うこともないだろう。
カレルはその人を観察すればたいてい何を願うか予想がつくようになっていた。
人を殺せと言い出す人間は嫌な目をしているし、罪悪感からじっとりと汗をかいている。
病人のための薬が欲しいと願う人間は縋るような目でこちらを見てくる。
青年は多少緊張して身体が強ばっているが、その瞳はまっすぐにカレルを見る。これは後ろめたいことがない人間の目だ。それでいて縋りついてくるほどの必死さはないが、焦りは滲んでいる。
となればおそらく――
「用件は失せ物探しかな? それとも人?」
お茶をことりと置きながら問いかけると、青年は驚いたように顔を上げた。
「人の顔を見ればだいたい予想はできるよ」
魔女の力をかりたいと願うほどに大事なもの、あるいは人。早く見つかって欲しいと焦っても、冷静さを欠くことはない。
人を呪うような後暗さもなければ、栄華を求める貪欲さも青年にはない。
「さすが森の魔女ですね。……そうです、私は人を探しています」
カレルの勘が当たることは珍しくない。だから肯定されたところで、カレルはまったく驚かなかった。
「年は十七歳。黒髪のくせっ毛に、赤い瞳が特徴の少女です」
息を吐き出したあと、青年の瞳は覚悟を決めたようにカレルを見る。
「名はリーフェ。リーフェ・ラウラ・ローデヴェイグ。この森で行方知れずとなった伯爵家の娘です」
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