第33話

「……君、なんでこんなところにいるの」

 いつの間にかカレルが隣にやってきて小さな声で話しかけてきた。その声にきゅっとお腹が苦しくなった。

「ええと、迷子になってしまって、外から会場に戻れないかなぁって」

 ぼそぼそと小さな声で答えると、カレルは「は?」と呆れたような顔でリーフェを見た。

「夜に一人で見知らぬところをうろつくなんて危ないでしょ、バカなの?」

「うぅ……」

(もとはと言えばお師匠さまが……)

 リーフェの知らない、綺麗な女の人といるから。

 心の中でカレルのせいにしようとしながら、リーフェはロザンネと話しているティルザを見た。結局あの人は誰なんだろうか。

「あの……あの方は……?」

 カレルの服の袖をつんつんと引っ張りながら、控えめに問いかける。どうやら関係者らしいことは雰囲気でわかるけど、ロザンネとも知り合いのようだしリーフェにはさっぱり繋がりが想像できなかった。

「あれ? 姉弟子。言ったでしょ姉弟子の手伝いでって」

「え、じゃああの方も魔女さまなんですか!?」

 だって、姉弟子というのはつまりそういうことだ。

 リーフェがはじめて出会った魔女はカレルだったし、もちろん魔女が基本的には女性であることは知っていたけど、全然まったく予想していなかった。

(もしかして魔女さまって美人が多いのかしら? お師匠さまも綺麗なお顔だし……)

 お腹の痛みはびっくりするほどあっさり消えて、リーフェは暢気にそんなことを考える。

「……ねぇ君って本当にバカなの? ここにいるのは知っている人だけだからいいけどそんなにぽんぽん魔女魔女って言わないでくれる?」

 ため息を零しながらカレルが呆れた顔をするのでリーフェはびくん!と肩を震わせる。

「あ、ああ! ごめんなさい!」

 リーフェは慌てて自分の両手で口を塞ぐけど、出した言葉は戻らない。幸いカレルの言う通りロザンネたちの他には誰もいないので問題はなさそうだ。

 まぁいいけど、と呆れたように呟くカレルにリーフェはほっと息を吐く。

「……ほら、君はもう会場に戻りなよ」

「え、でもお、」

 お師匠さまは? と聞こうとして、そう呼んではダメだと言われたことを思い出した。

 カレルさんと呼ぶのはなんだか慣れなくて、スムーズに言葉にはならない。結局リーフェは口をもごもごとさせて言葉を喉に詰まらせてしまう。

「君と一緒に戻るわけにいかないでしょ、婚約者にいらぬ誤解をされるよ」

「婚約者?」

 リーフェは首を傾げた。

(婚約者っていったい誰のことかしら? あ、もしかしてわたしのことじゃなくて、お師匠さまに婚約者さんがいるってこと……?)

 だからリーフェと一緒にいるところを見られたくないのだろうか。

 そんなことを考えて、またお腹がちくりと痛む。

「君を迎えに来た人、婚約者なんでしょ?」

 本格的にお腹が痛みを訴えてくる前に、カレルがそう告げた。え? とリーフェは目を丸くする。

「ヒューベルトお兄様ですか? わたしの婚約者ではないですよ? うちの伯爵家の跡継ぎではありますけど……」

 今度はカレルが目を丸くする番だった。

「あー……確かに。みたいなもの、とは言っていたけど断言はしてなかったか……」

 ぼそりと呟きながらカレルは頭をかく。騙されたような気分だ。

 ヒューベルトとしてはただの親戚ではリーフェを本気で探していると思われないかもしれないと考えたのだろう。カレルは勝手に思い込んだだけだ。

 なんだと息を吐き出したあとで、カレルはリーフェを見る。

 それでも、と吐息のような小さな声でカレルは続けた。彼が――ヒューベルトが、リーフェの婚約者じゃないのだとしても、と。

「……早く戻りな」

 元の生活に。

 魔女のいない暮らしに。

 そう告げてくるカレルはとてもやさしい目をしていて、リーフェはなんだかまた苦しくなった。




 名残惜しそうにしているリーフェの背を押し、会場は向こうだよと教えてやる。

 リーフェのそばに歩み寄ってきたロザンネたちも共に戻るようだから、今度は迷子になる心配はないだろう。

 その背を見送りカレルは思う。

 たぶんこれが最後だろうな、と。

 髪は丁寧に結われ、綺麗なドレスを着て、華やかな会場で友人と語り合う。

 それが正しいリーフェの暮らしだ。どんなに突拍子もないことをやらかそうと、社交に向いていないのんびりとした性格をしていようと、彼女は伯爵令嬢なのだから。

「――で、この子どうする?」

 カレルと一緒にリーフェやロザンネを見送っていたティルザがミルケを指さして問いかけてきた。

 魔女の問題は魔女が。そういってミルケの身柄はこちらに預けてもらったのだから、カレルたちでどうにかしなければならない。

「どうするって聞かれてもね……正式には魔女と呼べるレベルじゃないし、とはいえ野放しにもできないし」

 本来はまだ独り立ちもできない程度の知識しか与えられていない。

「……君は春雷の魔女に弟子入りしていたってことでいいのかな」

「弟子入りというか……偶然お師匠様と会って、才能があると言われまして」

 カレルの問いかけに、ミルケはぽつぽつと答えた。

 半ば強引に魔女としての知識を教わったこと。肉親もいない上にまだ子どものミルケにはまともな仕事もなく困っていたのでちょうど良かったこと。

 しかし。

「ある日目が覚めたらいなくなってまして……『あなたならもう大丈夫よ』という走り書きだけが」

 教わったことは多くない。身を隠すため、そして見た目を偽るための認識阻害の魔法。そして異性を魅了する薬や惚れ薬などといった類の魔法薬の作り方をいくつか。それだけだ。

 ミルケから話を聞いたカレルとティルザは、長いため息を吐き出した。


 春雷の魔女。

 春雷とは、冬の終わりを告げ春の訪れを知らせる雷のことである。

 地中の虫たちの目覚めとなる春の雷鳴。それは森に由来するとは言い難く、むしろ雷は森を焼く要因にもなりかねないものだった。

 レインデルスの深き森の魔女の血筋でありながら、植物の名も持たない女。むしろ先代から森を焼きかねない災厄だとその名に刻まれたようなものである。

 森の加護も与えられず、森の魔女の名を継ぐこともせず、ただ自由であることを求めて姿を消した。

 ――それが、カレルの母親である。


「……おおかた、そろそろ弟子をもってみようかななんて安易な考えで始めてみたけど面倒になって投げ出したんだろうね」

 あれはそういう女だ。

 カレルの言葉をティルザも否定しなかった。その通りだと彼女自身も思ったからだ。

 しかしこうなると、責任の追及は難しい。ふらふらとあちこちを旅する魔女を見つけることなんて容易ではないし、責任をとるつもりがあるような魔女ならそもそもミルケを無責任に放り出したりはしない。

 そして元を辿ると、不本意ながら森の魔女の血縁がやらかした問題だ。

「ティルザが引き取ったらいいよ、野放しにはできないし、才能があるんだからこれからきっと役に立つと思うよ」

「ちょっ……なんで私!?」

「だって僕はそういう魔法薬作りは得意ってわけでもないし。適性としては君に師事したほうがいい」

 それにそろそろ君も弟子を持ったっていいんじゃない? とカレルが告げるとティルザはむぅ、と口を閉ざした。奔放だし雑なところのある姉弟子だが、これで意外と面倒見はいい。

「でも別に、私じゃなくたって、あんたのところでもいいじゃない」

 カレルも魔法薬を作るのが苦手なわけではない。というよりも、カレルはティルザよりもずっと多くの魔法が使える。専門分野に特化していくのは魔女の生き方の基本ではあるけれど、師事するなら広い分野に目を向けられるほうがいいのではないか。

 しかしティルザの主張に、カレルは笑った。

「僕は弟子はとらないよ」

 きっぱりと、言い切る。

 所詮繋ぎの魔女だからね、と。

「……弟子がいたくせに」

 小さく呟くティルザにカレルは苦笑する。

 あれは、迷い込んできたリーフェを保護しただけ。その口実に、彼女に弟子という名を与えただけのことだ。

 これまでもこれからも、おそらくカレルが弟子と呼ぶのはリーフェだけだろう。その彼女ももう森には戻ってこない。それでいいとカレルは思う。

 どうかしあわせに。毎日をしあわせに過ごしてくれれば、それでいい。


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