第7章 魔女ともう一度、

第32話

 リーフェは完全に迷子になっていた。


 こうなるとお腹の痛みもどこかへいってしまって、ただただ困り果てるしかなくなる。もしかして外からのほうがわかりやすいだろうかと庭に出てみたけど、周りにあるのは木や花ばかりだし、夜会の会場に近づいている気配はない。

「どうしよう……きっとヒューベルトお兄様も探しているわよね……」

 それにこのまま迷子になっていると、もう一度カレルに会って話をすることもできない。

 ううん、と唸りながら歩いているけれど、夜だから周囲も見えにくい。外に出るんじゃなかったと後悔しても、今度は室内に入れそうな扉も窓も見つからないのだ。

「どこかにお屋敷の方はいないかしら……」

 素直に迷子になりました助けてください、と言うくらいリーフェはなんとも思わない。普通の令嬢だったら恥ずかしくてできないかもしれないけれど。

 しかし当然、屋敷の使用人たちは誰もが夜会の裏方として忙しなく働いている。こんな時間に暢気に庭にいるようなものはメーヴィス公爵家にはいない。

 さてどうしようとリーフェが木のかげから一歩足を踏み出した時だった。


「ちょ!? なんでこんなところに人が……って、きゃああ!」


 突然現れた女性に体当たりされたのである。

 二人はそのままもみくちゃになって倒れた。ドレスというものは本来動きにくいものだし、体当たりをされることを前提に作られてはいない。

「痛っ! なんなのよもう!」

「す、すみません……いえでもちゃんと周りを確認せず走り回るのは危ないと思います……」

 もちろんぼんやりとしていたリーフェも悪いのだけど、猛スピードで突進されては避けることもできない。

「そっちが突然出てきたんじゃないなんなのよ!」

 リーフェの上に乗ったままその令嬢はぎゃんぎゃんと喚きたてる。重いから早くどいてくれないかなぁ、と思っていたところに、どたばたと複数の足音が聞こえた。

 なんだろうとリーフェが足音のする方へ視線を向けると、幾人かの護衛らしき男性の他にロザンネの姿がある。

「リーフェさん!」

「あ、ロザンネ様!」

 よかった助かったこれで会場に戻れる、と喜ぶリーフェとは別に、令嬢が弾かれたように顔をあげる。その瞬間、ロザンネが声を上げた。

「その人を捕まえて! 逃がさないで!」

「え、あ、はい!」

 緊迫感すらあるロザンネの声に、リーフェは反射的に動いた。立ち上がって逃げようとしていた令嬢の腕を掴みぎゅっと力を込めた。

「ちょっと離してよ!」

「えっと、あの、この人誰ですか!?」

 捕まえてと言われたり離してと言われたり、リーフェとしてもどうしたらいいのか迷ってしまう。とりあえず誰だろうと令嬢とロザンネを交互に見て、結局ロザンネに問いかけた。

「エステル・ルイーセ・プレスマンよ! あなたに濡れ衣を着せたのもその人なの!」

「あ、そうなんですか」

 わりとそこはもうどうでもいいと思っているリーフェの反応は鈍かったが、この人が悪い人ならとしっかりと腕は掴んだまま離さない。

「ちょっ……なんでこの子こんなに力あるのよ!?」

 ぎゅうっと腕を握りしめるリーフェにエステルは驚いて腕を振り回すが、リーフェは負けじと手に力を込めて心なしか自慢げに口を開いた。

「舐めないでください! 毎日畑に水やりした成果です! 腕が太くなっててメイドに怒られました!」

 以前のリーフェなら捕まえたところで振り払われるし引きずられて足止めにもならなかっただろうけど、カレルのもとで修業として畑仕事を毎日やってきた効果は確かにあった。腕にも下半身にも筋肉がついたので、リーフェがぐっと踏ん張るとエステルはなかなか逃げ出せない。

 するとすぐにラウレンスの護衛が駆けつけてきて、リーフェに腕を掴まれているエステルを拘束した。その後に遅れてやってきたラウレンスやロザンネがほっと息を吐き出している。

「――あ」

 そしてその背後から、カレルともう一人あの綺麗な女性が姿を現した。

(お師匠さま、やっぱりあの綺麗な人と一緒にいる……)

 またきゅうっとお腹が痛くなる。

 リーフェの先ほどまでの元気はどこかにいってしまった。お腹が痛くて苦しくて、泣きたくなる気持ちがあっという間に膨れ上がった。

「やめて、放してよ! こんなのおかしい、絶対に何かの間違いだわ!」

 捕まったエステルは半狂乱で叫んでいた。護衛たちも少し手を焼くほどに暴れていて、髪の毛はすっかり乱れていたし走り回ったせいでドレスも汚れていた。そこには、憐れな令嬢などどこにもいなかった。

 見苦しい、とラウレンスが小さく呟いた。

 ロザンネはその隣で一度目を伏せ息を吐く。そしてまっすぐにエステルを見つめると、つかつかと歩み寄った。

「ねぇあなたがなんかやったんでしょ!? おかしいじゃない! 本当ならこうなるのはそっちなのに、私は主人公なのに!」

 眉を顰めるラウレンスや、ため息を零すティルザやカレル、よくわからずにきょとんとするリーフェには、エステルの言っていることがまったくわからなかった。

 ロザンネは何も言い返さずにエステルを見つめ、そしてその手のひらで彼女の頬を打った。パシンッと乾いた音が響く。

 その音はやけに大きく聞こえた。誰もが言葉を飲み込み、ロザンネとエステルを見る。

「――痛いでしょう? 当たり前だわ。だってこれは現実だもの」

 夢でも物語でも、ゲームでもないんだから。

 そう告げるロザンネに、エステルは崩れ落ちる。どうして、と小さく零して、それきり彼女は何も言わなくなった。


 エステルは護衛たちに連れていかれ、その場にはわけもわからないリーフェがなぜか残っている。ラウレンスとロザンネと向かいあい、ティルザは口を開いた。

「この魔女に関しては、私たちにまかせてもらってよろしいかしら?」

 ティルザが指さしたのはカレルの隣にいる少女――ミルケだった。大きすぎるローブに身を包み、視線が自分に集まったかと思うとびくりと肩を震わせる。

「そうですわね、今後同じようなことが起きないのなら、こちらは何も言いません」

 もともと『紅柘榴の魔女』の偽物についてはティルザの抱える問題だ。どこで、誰から、どんなものを買おうと、結局のところ使ったものが悪用した人間が悪い。

「ありがとうございます。今回もご協力いただき助かりましたわ」

「それはこちらのセリフでもありますわね。おかげでラウレンス様も無事です」

 ねぇ、と微笑みかけてくる婚約者に、ラウレンスはやさしそうな眼差しで頷いた。

 リーフェは、そんなやりとりをなんとなく見ているしかなかった。濡れ衣を着せられたとかどうとかあったけれど、完全に部外者だったし、王太子が無事であろうとなかろうと、リーフェにはあまり関係のない話だったので。

(たぶんこれがお師匠さまの言っていた『野暮用』なのよね……?)

 そうでなければ、ここにカレルがいる説明がつかない。魔女がどうのと言っているので間違いないのだろう。

 それならカレルは帰ってしまう。

 あの森に。レインデルスの深き森に。

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