第31話
――ついに、ついに、ついに!
惚れ薬を手に入れた! 手に入れることができた!
あの女の誕生日なんて祝う気にもなれないけれど、この夜会に紅柘榴の魔女が現れると聞いてしぶしぶやってきたかいがあったというものだ。あれから何度も街でもう一度あの魔女を訪ねようにもうまくはいかずに困っていたのよね。
小さな瓶の中ではとろりとした液体が揺れている。ぎゅっと握りしめて、私は会場の中を早足で歩いた。
王太子。ラウレンス様。
金の髪に宝石みたいな紫の瞳。背も高くかっこよくて、まさに王子様の中の王子様。やっぱり狙うなら彼しかいない。
その隣に当たり前のような顔をしている女が本当に気に食わないけど。
ロザンネ・エヴァ・メーヴィス。
ラウレンス王子の婚約者だけど、ゲームの中ならラウレンス王子が私に惹かれ始めたあたりから嫌がらせをしてきて、最終的には王都から追放されるはずだった。
それなのにあの女、何もしてこないの。それじゃあイベントが起きないでしょ? 王太子だってあの女のことを嫌っている感じがなかったし、周りは仲睦まじい婚約者だなんて言っちゃって。そんなわけないのに。
魔女から買った香水も、王太子には効かなくなっちゃうし。やっぱり王太子相手だと攻略の難易度って高いのかな?
仕方ないから私が自作自演でいじめられてるんですってアピールしてみたら、公爵家の息子が話を大きくして困っちゃうし。あんたじゃなくて王太子に心配して欲しいのよとはさすがに言えないじゃない?
自作自演の嫌がらせを全部あの女の仕業にしようとしたのに、ことごとくアリバイがあったりして出来なかったのよね。腹が立ってこっちからあの女にいろいろやっていたら、今度はあの女が嫌がらせを受けているって話があちこちに広まっていくんだから大迷惑!
ラウレンス王子がなんかすごく怒っているらしいし、私の仕業だなんてバレたら困るからなんか地味で目立たない令嬢に罪をなすり付けておいたけど。本当に大変だったわ。
でもあれもこれも全部過ぎたこと。
この薬さえあれば私の未来は明るいものになるんだから!
*
ストロベリーブロンドという珍しい髪の色の令嬢といったら、誰もが思い浮かべるのはただ一人だった。
「エステル・ルイーセ・プレスマン。これはどういうことだ?」
ラウレンスが掲げる小瓶を見つめながら、真っ青な顔で震える少女。その髪が、シャンデリアの下でキラキラと輝いている。赤みがかった金髪――ストロベリーブロンドだった。
ラウレンスの持っている小瓶は、エステルが『紅柘榴の魔女』から買った惚れ薬で間違いなかった。エステルがそっとラウレンスに歩み寄り、彼の持つワインにその薬を入れようとしていたところを待ち構えていた護衛たちに捕まったのだ。
ティルザの知らせは間に合った。だからラウレンスもロザンネもエステルが近づいてくるとわかった上で待ち構えることができた。
「し、知りません……! 私は何も……何もしていません!」
震える声はか弱く、周囲の人々の庇護欲を掻き立てた。しかしそれを見下ろすラウレンスの目には一欠片のやさしさもない。
「素直に認めることもしないのか……」
はぁ、というため息にエステルは言葉を飲む。エステルの演技などラウレンスにはまったく効果がなかった。
なんとか。なんとかしなければという思いで頭がいっぱいになる。
だってこんな――こんな失敗は、この先の破滅しかもたらさない。
王太子に何か怪しい薬を盛ろうとした。
エステルにかけられた嫌疑はそれだけであり、しかしそれだけでも十分すぎるほどの大罪だ。加えてラウレンスもロザンネも、その薬がなんなのか既にわかっているらしい。
「私じゃありません! そう、あの子……あの子の仕業です! リーフェ・ラウラ・ローデヴェイグ!」
エステルは精一杯声を上げて自分の無実を主張する。
以前にも罪を擦り付けた令嬢の名前を思い出して、ほっとした。過去に一度疑いをかけられた人間とエステルを比べたらどちらが怪しいかなんて誰の目にも明らかだろう。
しかしエステルがその名前をあげた途端に、ラウレンスやロザンネの目はよりいっそう冷えたものになった。
「彼女がそんなことをするはずがありませんわね。彼女は私の大事な友人ですもの」
「えっ!?」
きっぱりと言い放つロザンネに、エステルは驚いて声を上げる。
無実がどうのと王都に戻ってきたらしいとは知っていたけど、ロザンネと親密になっているなんて知らなかった。
エステルはロザンネには興味がないし近寄りたくもなかったから、彼女に関する情報なんて集めることもしない。そして周囲にいるのはエステルに魅了された男性ばかりで、令嬢たちの話題はいつも遅れて知ることが多かった。
浴びせられる視線が冷たい。
ラウレンスは隣に立つロザンネの肩を抱き、まるで汚いものを見るかのようにエステルを睨みつけてくる。
「殿下、何かの間違いでは……彼女は心根のやさしい女性で……!」
唯一、公爵家の息子はエステルの傍に駆け寄り味方をしてくれた。
そうよね、当たり前よね。
だって私は――。
「さすがにちょっと見苦しいわね」
呆れたような声がした。ラウレンスとロザンネの傍には見知らぬ女性が立っている。今までどうしてその存在に気づかなかったのか不思議なくらい、うつくしい女性だった。
そのあとすぐに、公爵家の息子は「えっ」と声を零した。そして何が起きているのかと確かめるように周囲を見回し、そして自分の手を何度も握ったりひらいたりしている。
「僕は、何を……?」
その目には今までのように甘く蕩けた感情もなく、理解できないおそろしいものを見るかのように、エステルを見た。
もう、味方はいない。
エステルがそう察するには十分なものだった。
――だってこんなの、まるでゲームの断罪イベントじゃないか。
震える足に力を込めて、エステルは駆け出した。人混みを体当たりするようにしてかき分けて、会場の窓から外へと飛び出す。とにかく今は逃げなければと必死だった。
貧乏貴族で良かった。今だけはそう思える。体力だけは、そこらの令嬢よりもあるのだ。
「逃がすな、捕まえろ!」
背後からはまるで罪人を追い立てるような声がする。
ゲームではこんな展開なかった。なかったはずだ。主人公がこんな目に遭うなんてそんなのおかしい。断罪されるのはいつだって主人公に嫌がらせをしてきた人間だ――そう、ロザンネみたいな。
そうして彼女たちは王都を追放される。深い深い森を抜けた、貴人の牢獄ともいわれるストラウク修道院で生涯を終えるのだ。
このままではもしかしたら自分が――そう考えると、エステルの足は速くなる。とにかくこの場を逃げ切って、あとはほとぼりが冷めるまで大人しくしていればいい。惚れ薬は奪われたけど、前に買った香水はまだ残っている。この際贅沢は言わないから公爵家の息子でもいい。王太子は諦めよう。
まだ。
まだ終わってない。ピンチはなんとか切り抜けることができるはずだ。そのはずなんだ。
――だって私は、主人公なんだから!
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