第30話

 はぁぁぁ、と呆れも混じったため息がティルザの口から零れる。

 カレルとティルザはひとまず偽物の少女を連れて会場を出た。夜会の参加者が休憩するために用意されている部屋に移動して、数分が経ったところである。

「あなた名前は?」

 ソファに腰掛け、足を組み、不機嫌そうにティルザが問う。対する少女は立ち尽くしたまま真っ青になっていた。さすがの彼女もティルザが魔女であることは気づいたのだろう。

 少女はぶるぶると震えているばかりで問いにも答えない。それがまた余計にティルザをいらいらとさせていた。

「……ねぇカレル、声は奪ってないわよね?」

「当たり前でしょ」

 こちらは確認しなければならないことがあるんだから、身体の自由は奪っても話せなくなるような真似はしていない。

 カレルは部屋のなかのものを確認しながら答えた。何か飲み物をと思ったがワインがあるだけでカレルの望む紅茶などは用意されていない。お湯がなければならないようなものは置いていないのだろう。

 ティルザほど怒っているわけではないカレルは、せめて怯えているこの少女を落ち着かせるようにお茶を用意したかったのだけど、仕方がない。

「そこの魔女はものすごく怒ってはいるけど子どもを痛めつけるような趣味はないから安心していいよ」

 お茶を諦めたカレルは扉にもたれながら遠回しにフォローする。こうして扉を背にしていれば少女も不意を突いて逃げることはできないし、誰かが乱入してくることもない。

 少女は薄茶の髪に青い瞳の、痩せた子どもだった。大きなローブが身体のサイズにまったく合っていない。おそらく客を相手にするときには目くらましと同様に外見を変えるような魔法を使っていたのか、相手の想像する姿に見えるような認識阻害の魔法を使っていたのか、そのどちらかだろう。もともとの姿の少女は誰がどう見たって『紅柘榴の魔女』には見えなかった。

「わたしは、ミルケと、いいます……」

 虫の羽音のほうがよほど大きいと思うほどか細い声で少女は答える。

「魔女名は?」

 ミルケというのは少女の名前で間違いないのだとして、カレルやティルザが知りたいのは魔女としての名である。

 魔女の名には一応傾向があって、たとえばレインデルスの深き森の魔女に連なる者はたいてい植物や森に繋がる名が与えられる。花狂い、紅柘榴というように。

 カレルの知る魔女に連なる子であるのなら、抗議はもちろんそちらにもするべきなのだ。監督不行届、魔女としての常識を叩き込んでから独立させろ、と。

「……あ、ありません」

「ない?」

 ティルザが眉を顰める。

「あなたが使っていた目くらましの魔法は、独学でできるようなものじゃないわよ。師はいるんでしょう?」

 カレルが多少手を焼くほどの魔法を、師も持たない若い魔女が使いこなせるとは思えない。

「お師匠様はいました。でも、その、ある日突然朝になったらいなくなっていて……」

 どんどん声が小さくなるミルケに、ティルザは「はぁ!?」と声を上げた。

「じゃああなたまだ独立もしてない見習いだっていうの!?」

「す、すみません、よくわからないんですが、これくらいしかお金を稼ぐ手段がなくて……!」

 師のもとから独立していない見習いが一人で魔女としての依頼を受けることなどありえない。そもそも魔女として認められていないのだから、お金を稼ぐも何もできないはずなのだ。

「そんなことも知らないの!? あなたの師匠っていったい誰よ!?」

「な、名前は教えてもらえなくて……! ただお師匠様と呼んでいたので」

 師の名前を知らないことも大問題だが、魔女としての常識を教わらずに、魔女としての技術だけを学んだような状態だ。それはあまりにも師として無責任すぎる。

「なんたらの魔女って名乗っていたでしょ!? 知らないの!?」

 ともあれティルザが知りたいのは師の魔女名である。さすがに師匠まで魔女として認められていないような状態だったら笑えない。

「あ、それなら……」

 ミルケが思い出したように顔をあげた。


「『春雷の魔女』と言っていました」


 その名前に、ティルザだけではなくカレルの表情が凍りつく。

 突然の沈黙に、ミルケは困惑した。

 静まり返った部屋の中で、ティルザがそろりとカレルを見る。気遣うような眼差しに、カレルは小さく息を吐き出した。

「……なるほどね、それは災難なことだ」

 零れた声は呆れだけでなく同情を含んでいる。そしてカレルは自嘲気味た笑みを浮かべていた。

 ――災難? と首を傾げるミルケに、カレルは問う。

「それで、君はこの会場にいる誰かと既にやり取りはしたのかな?」

 誰かに薬は渡した?

 カレルからの問いかけに、ミルケはおずおずと口を開いた。言わないという選択肢が用意されていないということはミルケにもわかるのだろう。やさしい口調でありながらも、それは有無を言わさぬ力がある。

「あ、えっと、一人だけ……」

「誰かわかる?」

「名前はわかりません。以前に一度、魅了の香水を買った方で」

 王都の街角で、と小さく零す。ミルケが紅柘榴の魔女と偽っていた時の話だ。

 ほんの一瞬のやりとりだ。名前など聞いているはずもない。

「……それで、今日は何を求めてきた?」

「ほ、惚れ薬です。名前は知りませんけど、容姿は覚えてます。珍しい、ストロベリーブロンドの方です」

 魅了の香水。ストロベリーブロンド。

 その二つだけで、カレルとティルザは誰かすぐに検討がつく。

「ティルザ。すぐにロザンネ嬢に伝えて」

「わかった」

 ティルザは立ち上がり急いで会場に戻った。カレルが行くよりもティルザのほうがロザンネに声をかけやすいはずだ。

 この場で惚れ薬を買い求めた人間が何をやるかなんておおかた想像がつく。狙われているのはほぼ間違いなく王太子だ。

「……君、客は選んだほうがいいよ。この先の展開次第では庇いきれないし、処刑されても文句は言えない」

 庇ってやる義理はないが、何も知らない子どもが罪を背負わされるのはカレルも見ていて気分が悪い。だがもし、既に魔法薬を王太子が口にしていて、会場で騒ぎにでもなっていたら――。

「ど、どういうことですか」

「魔女には魔女のルールがある。君はそれを知らなかったとはいえいくつも破っているし、迂闊に何より手を出してはいけないものにまで手を出した」

 王族なんて、普通の魔女だってそうそう手を出さない。あとが面倒だからだ。

 ミルケは正しくはまだ魔女とは呼べず、それゆえにカレルやティルザにあるような制約が存在していない。だからこそ、誰彼構わず魅了の薬だの惚れ薬だのを売りつけることができたのだ。

 真っ青だったミルケの顔はもはや蒼白だ。これでも自分のしでかしたことの重大さを半分も理解できていないのだろうなとカレルは思った。

 ティルザがロザンネに渡している『お守り』を今日も身に着けているだろうか。それならばあるいは、惚れ薬を口にしたところで効果を相殺できるかもしれない。そんなことを考えながらカレルはため息を吐きだした。

「……あの」

 部屋に満ちた沈黙に耐えかねてミルケがカレルを見る。なに、と目線だけで応えたカレルに、そっと問いかけた。

「お師匠様のことを、ご存じなんですか」

 春雷の魔女という名を聞いたあと、災難なことだ、とカレルは言った。

 それはその人を知らないと出てこない言葉だろう。

「……ああ」

 ミルケの問いに、カレルは小さく冷めた声を零した。その声に聞いてはいけないことだったのだと察したが、ミルケが「やっぱりいいです」なんて告げる間もなく、カレルは口を開く。


「母親だよ、僕の」


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