第29話

 どうして? と訴えてくる赤い瞳に苦笑しながら、カレルはその背を押した。

 そろそろリーフェのパートナーが彼女を探し始める頃だろう。こういう場に慣れていないリーフェが誰かと一緒にテラスにいるなんて、彼女の連れからしたら驚き以外のなんでもないはずだ。

 ――まして婚約者なら、他の男と二人きりでいる光景なんて気分が悪くなるだけだ。

「君の連れが心配する頃だよ、会場に戻りな」

「え、でも……」

 もう少し、と名残惜しそうな顔をするリーフェに「いいから」と強引にテラスから追い出す。

 カレルはこのままテラスに残ることにした。会場にいるとあちこちから見られて落ち着かない。カレルにはカレルのやることがあるのだ。


 意識を集中して会場にいる人々を観察する。


 人々のなかに紛れ込んでいるであろう、『紅柘榴の魔女』の偽物を探す。こういう繊細なことはティルザはあまり得意ではないから、必然的にカレルの仕事になる。

 ティルザはカレルが心配したとおり、あちこちから声をかけられて身動きがとれないので早々に別行動をとった。カレルとティルザではどう見てもカレルのほうが年若く、婚約者にも恋人にも見えないので男性たちは遠慮なくアプローチしてくる。おおかたティルザはどこかの貴族の若き未亡人だとでも思われているのだろう。

 少し前から会場の中から異質な気配がしている。普通の人には感じない、魔女の使う魔法の気配だ。三流というわりに身を隠すのはうまいらしい。すぐに見つかるというカレルの予測は外れて、少し手間取っている。

「魔法薬はどう考えても三流の仕事だったんだけどな……」

 わかりやすく人々が異変だと感じるような効果をもたらす薬は三流の仕事だ。カレルやティルザならもっとうまくやれる。カレルは人の心を左右する類の薬の依頼なんてあとが面倒だから基本的には受けないけれど、ティルザはそのあたりが得意分野だ。なんせ恋する乙女の味方だそうだから。

「もしかしてまだ見つからないの?」

「男に囲まれて何もしてないくせに文句言わないでくれる?」

 ようやく『お誘い』を断りテラスにやって来たティルザが驚きを滲ませながら話しかけてくる。

「文句じゃないわよ、びっくりしてるのよ。カレルにも見つけられないなら私には無理だし」

「無理ではないよ、きっと。たぶん死ぬほど面倒で大変でもう二度とやりたくないっていうくらいには集中しないとできないだろうけど」

 カレルは会場をじっと見つめたまま答える。

 それは細い糸を手繰り寄せるような作業だった。見つけたと思って糸を掴んでも、ぷつりと切れてしまう。そういう目くらましがいくつも用意されている。

「それが私にはもう無理。がんばってよ」

「これがタダ働きっていうんだから最悪だ……」

 応援するだけの姉弟子に何か奢らせるくらいじゃないと割に合わない働きだ。小さく舌打ちをしたあとで、カレルは目を見開いた。


「――見つけた」


 手繰り寄せた糸を指先に絡める。カレルが瞬く間に主導権を奪い取り、糸はその先にいる人物を拘束した。

「捕まえた?」

「もちろん」

 楽しげに目を輝かせるティルザはまるで獲物を見つけた猫のようだ。喧嘩を売る相手を間違えたと思うよ、とカレルはほんの少し偽物に同情する。

 注目を浴びないように、これ以上ティルザが男性から声をかけられないようにと認識を阻害するための魔法をかける。まったくいないものとはなれないが、会場にいる人々にとっては空気のようにどうでもいい存在になる、そんな程度の簡単な魔法だ。

 魔法はきちんと効果を発揮し、誰にも声をかけられずにカレルとティルザは移動する。途中、ロザンネと目が合ったのは彼女が二人を既に知っている人間だからだ。

 会場の隅で動けなくなっている偽物に歩み寄る。もともと夜会の参加者に紛れるつもりではなかったのだろう、薄汚れたローブが華やかな会場のなかで浮いていた。強い目くらましの魔法を使っているので、おそらく声をかけるまで偽物の存在には誰も気づかない。

「……ねぇ、カレル。本当にこの子?」

「そうだね……正直信じがたいけど間違いないよ」

 ティルザは毒気を抜かれたように偽物を見下ろした。

 突然身動きがとれなくなり半泣きになっている『紅柘榴の魔女』の偽物は、まだ十四歳ほどの少女だったのだ。



 テラスから会場に戻ってすぐ、リーフェのもとにはヒューベルトが駆け寄ってきた。

「リーフェ。どこに行ったのかと思ったじゃないか」

「ごめんなさいお兄様、少し外の空気を吸っていたんです」

 カレルと一緒だったことはさすがに言えない。今のカレルはどこからどう見ても男性だし、ヒューベルトにとって森の魔女は女性だから同一人物だと紹介することもできない。

「挨拶はもう終わったんですか?」

「そうだね、リーフェはもう帰りたくなったんじゃないかい?」

 くすくすと笑う従兄に、少し前のリーフェだったら「そうですね、帰りましょう」と答えただろう。

 しかし。

(……お師匠さまは、まだいるのよね? 野暮用って、手伝いってなんなんだろう。また少しでいいから、お話できないかしら……)

 野暮用が済んでしまったら、カレルは森に帰ってしまう。

 ――帰ってしまったら、今度こそもう会えなくなるのだろうか。

「リーフェ?」

 心配そうに覗き込んでくる従兄の向こう、声をかけることもできないほどの距離にいるその人の姿にリーフェの思考は停止した。

 先ほどまで一緒にいたカレルが、女性と共にいる。

 とても綺麗な人だった。美しい赤茶の髪に、うっとりするような微笑み、誰もが目を奪われてもおかしくないほど妖艶な女性だ。

(だ、だれ……? どうしてお師匠さまがあんな素敵な人と一緒にいるの?)

 夜会などの華やかな場にほぼ参加していなかったリーフェには、あの女性が誰かなんて見当もつかない。二人は寄り添って歩いているし、なんだかこっそりと話しているようにも見えた。まるで、恋人たちが愛を囁きあうように。

「リーフェ? 具合でも悪いの?」

 ヒューベルトの声に、リーフェははっとする。従兄の顔に視線を移して返事をしようと思うのに唇は震えてうまく動かない。

「え、えっと……」

 一瞬目を離しただけなのに、カレルは女性と一緒にどこかにいなくなってしまった。

 具合は悪くない、大丈夫だ、それなのにリーフェは混乱して仕方なかった。どうしてこんなに動揺しているのかもわからない。

 なんだかお腹が苦しい。痛い、ような気がする。

「な、なんだかお腹が痛いのでお手洗いに行ってきます……!」

 ヒューベルトにだけ聞こえるようにそう告げて、リーフェは会場から飛び出した。とても腹痛を訴えている人間だとは思えないほど早い動きだった。


 よくわからないけど急に泣きたくなってきた。

 きっとお腹が痛いせいだ。会場ではまだそれほど食べていないのに、変なものにあたってしまったんだろうか。それとも空腹すぎてお腹が痛いのだろうか。

 無我夢中で廊下を走り、息が切れたところでリーフェは立ち止まった。会場の音楽が随分遠くに聞こえる。

「……あれ?」

 息を整えながら、リーフェは自分の失敗に気づいた。

 そもそもお手洗いの場所なんてリーフェは知らないし、周りをよく見ずに走ってきてしまったのだということに。

「ここ、どこかしら……」

 周囲には夜会の参加者どころか使用人の姿もない。

 リーフェは完全に迷子になってしまっていた。

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