第3章 魔女と買い物
第11話
リーフェがカレルに弟子入りしてからというもの、リーフェはかつてないほど知識を詰め込まれていた。
「じゃあ、これは?」
カレルは本を開いて、花の絵をリーフェに見せる。名前の書いてある部分はカレルが手で隠してしまって見えない。
リーフェは「ううーん」と唸ったあとで記憶を掘り返す。
カレルは厳しいが意地悪な師ではないので、教えていないことを不意打ちで聞いてきたりしない。
「えっと、その花はジキタリスです。乾燥させたものは心臓の病気の薬になります。扱いが難しいのでわたしは触ったらダメです」
よどみなく答えられた! とリーフェは嬉しくなるがにやつきそうになる顔をキリッと引き締める。
そんなリーフェの心情はお見通しなのだろう。カレルはくすくすと笑いながらまた別のページを開いて見せた。
「当たり。じゃあこっちは?」
濃い紫色の花だ。ジキタリスほどの華やかさはない。今度はあまり自信がない。
「ええっと、トリカブト……です?」
「うん、そうだね」
カレルの顔色を伺いながら花の名前を答えてみたら当たりだった。
「……毒性が強いけど、薬としても使えて、えっと……毒矢にして狩りに使うことが多い……?」
「加熱すると毒性が下がる。これは忘れないように。トリカブトは鎮痛薬なんかに使われることもあるね。もちろん君は触らないように」
リーフェの回答に補足して、カレルは本を閉じる。今日の勉強はここまでらしい。
カレルは庭にある花を見せながらリーフェに知識を与え、そのあとに忘れていないか確認するように本を見せてくる。カレルも同じように覚えたのだと言っていた。
本物の花を目に焼き付けたあとで本に書かれた細かな特徴を覚える。その後また本物を見て再確認するところまでがセットだ。
「お師匠さま。触っちゃダメなものを勉強するのはどうしてですか?」
リーフェが本に描かれたトリカブトの花を見て問う。カレルから教わった植物たちは、見た目には毒があるとはとても思えないほど綺麗なものばかりだ。
「毒を毒と知らずに触ることが何より危険だからだよ」
きっぱりと、まるでリーフェの質問を予想していたかのようにカレルはすぐに答えた。
「庭には毒のある植物も多いしね」
たとえ毒であっても、扱い方次第では薬になる。カレルはその薬草畑も、薬師としての知識も祖母から受け継いだ。
レインデルスの森の魔女を頼る者のなかには薬を求めてくる者も少なくない。
「今日はけっこうがんばったから、昼食はパンケーキにしようか。木苺のジャムもまだあるしね」
「パンケーキ! それじゃあお茶を淹れます!」
すっかりお茶を淹れることは自分の仕事だと主張するようになった弟子に、カレルは微笑みながら課題を与える。
「お茶の効能も考えて選んでみな」
「え、ええっと……たくさん勉強したので頭をすっきりさせたいです! なのでミントティーにします」
いいですか? と律儀にカレルに確認する。はいはい、と答えながらカレルは手際よくパンケーキの準備を始めるのでリーフェは慌ててカレルがパンケーキを焼いている間にテーブルの上を片付けて、ミントティーを準備し始める。
先日リーフェが摘み取ってきた木苺はジャムになったのだが、リーフェが随分気に入ったようで減りが早い。
もう一度くらいは摘みに行ってもいいかもしれないな、とカレルはパンケーキを皿に載せながら思った。
昼食を終えると、リーフェは「任せてください!」と食器を片付け始める。
カレルはそんな弟子を見ながら若干不安になった。
リーフェがやる気を出すと五割くらいの確率で何かをやらかすのだ。先程のミントティーは美味しく淹れることが出来ていたので、そろそろ何かやる。
「あっ」
リーフェが声をあげた数秒後にはカシャン、と皿が床に叩きつけられた。
「す、すみません……」
しゅん、とリーフェはすぐに萎れる。満ち溢れていたやる気はどこかへ消え去ってしまった。
「最近は割ってなかったんだけどね。怪我はない?」
「はい、大丈夫です」
答えながらリーフェは箒とちりとりを取ってくる。さすがに割れた皿を掃除するのも慣れたらしい。
リーフェが割った皿の数はそろそろ両手で数えられなくなってきた。
……この子の親は、本当に、こんなに危なっかしい子を放り出したんだろうか?
カレルはリーフェが掃除しているのを見ながら考える。
リーフェはほんの少し前まで赤の他人だったカレルすら目が離せないと思ってしまうほどのおっちょこちょいだ。放っておけないと思わせることに関しては才能がある。
「……君さ、心配しているような人はいないの? 誰にも連絡していないだろう?」
きちんと掃除を終えたリーフェは、カレルから話しかけられて目を丸くした。ちっとも予想していなかった質問に、驚いているような顔だ。
リーフェがこの家に転がり込んできて、カレルの弟子となってから彼女は一度も外部に連絡をとろうとしなかったし、その方法をカレルに聞くこともなかった。
「……君を探している人とか、いるかもしれないだろう?」
たとえ勘当まがいに遠い修道院へと追いやられたとしても、娘が行方不明となれば普通の親なら心配するものではないか。
生憎、普通の親というものをカレルも知らないので想像することしかできないが、しかし行方知れずとなった家族を見つけて欲しいと魔女に願った人も過去にはいた。家族とは、そういうものなのではないかとカレルは思う。
「いませんよ」
それは思いのほかはっきりとした、リーフェの声だった。
「わたしを探す人も、心配している人も、いないと思います。母は私が生まれてすぐに亡くなりましたし、父はわたしに失望しているので」
兄弟はおりませんし、とリーフェは最後に付け加えた。その声音には特別な感情など宿っている様子もなく、ただ事実をのべているだけといった雰囲気がリーフェらしくないように思える。
「……それは、今回の騒動のせいで?」
「いいえ、もうずっと前からです」
踏み込んで良いものかと悩みながらもカレルが問えば、リーフェは再びはっきりと答える。
親子といっても人それぞれ、カレルはこれ以上はリーフェに何も聞かないことにした。
リーフェは割れた皿を片付け終えたところだ。
ついつい注意力散漫になってしまうらしい弟子が皿を割らないようになるためにはどうしたらいいものか。
「……買い物に行ってもらおうかな」
「お買い物、ですか?」
そう、おつかい。
森に引きこもっている身とはいえ、買い物にまったく行かないわけではない。リーフェもたまには森の外に出てみてもいいだろう。
「お皿、新しいのを買おう。君も自分のお気に入りの皿ならもっと慎重になるかもしれないし」
カレルは使えるものならどんな柄であろうと気にしないし、リーフェが選んでくればいい。そうすればきっとより大切に扱うだろう。
「あの、でもお師匠さま」
おずおすと、リーフェが困ったような顔でカレルを見る。すっかり下がった眉がリーフェらしくて、なんだかカレルは安心した。
「わたし、お買い物ってしたことないです」
「…………君ってほんと箱入り娘だよね」
たっぷりと時間をかけて返答し、カレルには呆れを通り越して「この子どうしよう」という気持ちが湧き上がる。
しかしこれまでのリーフェの箱入りっぷりを考えてみれば、買い物なんてしたことがなくても当然かもしれない。
「じゃあ一緒に行こうか。これも人生経験だしね」
「はい!」
そもそもこの弟子からあまり目を離すのは危険だったな、とカレルは笑う。森の中ならいざ知らず、一人で街に行かせたらカレルはフォローができない。
それじゃあ明日、と二人は約束する。
暇そうに見える魔女の生活も、やることはある。必ずやらなくてはいけないことではないけれど。
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