第10話

「……お師匠さま」

 リーフェが眉を下げ困ったような顔でカレルを見上げる。この弟子、近頃こういう顔をすればカレルが助けてくれると無自覚に把握しているらしい。

「君、どうして何度やってもハンドクリームを塗るのは上手くならないんだろうね……」

 リーフェはべたべたになった自分の手を見て途方に暮れていた。

 他のことは多少なりとも成長を感じられる弟子だが、なぜかこれだけはいつまで経ってもできない。蓋を開けられなかったり、多くつけすぎて困り果てていたり、今度は少なすぎて指先にしか塗れてなかったり。

 カレルはリーフェの手を自分の手で包み込んで、余り余ったハンドクリームを自分の手へと塗り込む。

「こういうもの、自分で塗ったことはないもので……」

「君の場合、目分量ってのがわからないのかもね」

 リーフェはそもそもハンドクリームが必要な生活をしていない。話を聞く限り、化粧水などを使った肌の手入れも侍女がやっていたようだ。

 だからこうして、カレルが手を撫で回そうがされるがまま。警戒心というものを学ばせなければならないようだ。

「……君、本当はこういうことを男にされたらダメなんだからね」

「そうなんですか? でもわたし、お師匠さまに手に触ってもらえるとなんだかうれしいです」

 だってほら、とリーフェは笑う。

「わたしの手もお師匠さまの手もぴかぴかです」

 それはそれはしあわせそうに笑う弟子を前に、カレルは苦虫を噛み潰したような顔になる。

「君、本当に気をつけなよ……」

ろくでもない男にひっかからないように。

 心配する師をよそに、リーフェはきょとん、と目を丸くしていた。


 ふ、とカレルが顔をあげる。

 その横顔にはリーフェが知るやさしい表情も呆れたような色もなく、どこか遠く感じるようなものだった。

「……リーフェ。こっちの薬草をもって自分の部屋に入ってなさい」

「はい?」

「十本くらいずつ束にしておいてくれる? あとで干して乾燥させるから」

「はい、えっと、あの」

 矢継ぎ早に指示され、リーフェは困惑する。

 こういう薬草の処理は既にカレルから教わっているので、たぶんリーフェ一人でも問題ない。

 しかしおかしな点は、リーフェの部屋でというところだ。いつもはこの部屋でカレルに教えてもらいながらやっていたのだが。

「お客さんみたいだ。僕が相手するから、帰るまで絶対に部屋から出ないように」

 お客さん。

 この魔女の家にやってくるお客さんというと、つまりは森の魔女の力を求めてやってきた人だということだろう。

「え、どこですか!? わ、わかるんですか!?」

 どんな人がやってくるんだろう! とリーフェは窓から外を見てみるが、人影はない。

「結界を通過したら僕にはわかるようになってるんだよ。あと数分もすれば来る」

 そう言いながらカレルは慣れた手つきで鬘をかぶる。カレルの陽だまりのような金茶の髪が真っ黒になって、リーフェはなんだか寂しかった。

「わたしもお手伝いします! お茶とか、お茶とか出したり……!」

 つまりお茶を出すくらいしかリーフェにできることはないわけで。

 お茶の淹れ方はカレルから教わったばかりだ。実践するいい機会では、とリーフェはやる気を見せる。

「それはあとで僕に淹れて」

 ぽん、とカレルは宥めるようにリーフェの頭を撫でてからローブを羽織り、フードを深くかぶって顔を隠す。

(……魔女さまだ)

 たったそれだけなのに、それだけでカレルはリーフェと出会ったときの「森の魔女」に変わってしまう。

「……どうしてわたしはお客様に会ってはいけないんですか?」

 薬草の積まれた籠を抱えたリーフェが部屋に押し込められる。カレルが扉を閉める直前に、リーフェは問いかけた。

 これはまるで、リーフェを隠そうとしているみたいだ。

(そりゃ、まだまだお師匠さまの自慢の弟子とはいえないけど)

 邪魔だとしても、もっとやりようがある。

 考えてみれば、先日の木苺摘みの時もカレルは通いの商人とリーフェを会わせたくなかったのではないか。

「……君みたいな子は、魔女の力を求めてくるような人間とは関わらないほうがいいよ」

 低い声で諭すように告げられる。

 フードのせいでカレルの顔が見えない。わずかに見えたのは口元だけ。

 それは。

 それは、どうして?

 リーフェが次の言葉を紡ぐ前に扉は閉じられてしまった。


 しばらくすると、玄関の開く音がする。

 その後には何やら話し声。相手は男性らしい、ということは聞き取りにくい低い声から推測できる。

(……気になる、けど)

 けれどリーフェはカレルから頼まれたことがある。

 このまま聞き耳をたてていれば、どんな人がやってきたのか、なぜ魔女の家を訪ねてきたのかわかるかもしれない。

 カレルもそのくらいのことは予想しているだろう。

 リーフェは扉を見つめる。鍵はかけられなかったから、リーフェが望めば簡単にこの部屋を出ることができる。

 しかしそれは違う。

 違う気がする。

(……お師匠さまが、関わらないほうがいいとおっしゃった)

 リーフェは魔女の家にやってくる人がどのような人か知らない。

 レインデルスの森にある魔女の家を訪ねることができるのは、魔女に危害を加えないもの、邪な感情を持たぬもの、ただその力を頼りにしているもの。

 そうでなければ、森は訪問者を惑わせいつまで経ってもこの家への道を開かない、らしい。

(……薬草を束ねよう)

 気になる。

 とても気になるけれど、リーフェにはやることがある。

 きっと聞き耳をたてて頼まれたことをちっともやっていなくても、カレルは怒らないだろう。リーフェの師はとてもやさしいお人だ。




 時間にして三十分もなかったと思う。

 カレルがリーフェの部屋の扉をノックした時、返事はなかった。おかしいと思ってそろりと開けてみると、弟子は真剣な顔で薬草の束を作っていた。

 ……ちゃんとやっていたのか、と思う。

「あ! お師匠さま! お客様は帰られたんですか?」

「さっきね。もうほとんど終わってるね。教えた時より速くなってる」

 山盛りにした薬草は、リーフェがすべて束にするには多すぎると思ったくらいだったのだが。

「ほんとですか!?」

 リーフェはカレルの言葉に目を輝かせた。

褒めて褒めて、とまるで犬が尻尾を振っているような幻覚が見える。いや、犬ほど利口ではないかな、とカレルは笑った。

「ここまで出来てると思わなかった。がんばったね」

「はい! がんばりました!」

 カレルが褒めながら頭を撫でるとリーフェはうれしそうに笑う。

「あ、お茶を淹れますね!」

 ぽん、と手を叩いてリーフェはお湯を沸かし始める。

 カレルがあとで淹れて、と言ったのを覚えていたらしい。まだ少し危なっかしい弟子の手つきを見守りながら、カレルは素直にお茶が入るのを待つことにした。

 沸かしたお湯をポットやカップに注いで、器をあたためておく。

 あたためたらポットの中のお湯は捨て、ティースプーンで人数分の茶葉をいれる。そのあとしっかりと沸騰させたお湯をポットに注いで蓋をして、茶葉を蒸らす。

「……ええと」

「その茶葉なら蒸らすのは三分くらいかな」

 悩み始めたリーフェにカレルはそっと助言をする。茶葉によって蒸らす時間はまちまちだ。

 まだ弟子は茶葉ごとの時間を覚えていないらしい。

 蒸らしたあとはあたためておいたカップに注ぐだけ。最初はもっと危なっかしい手つきだったが、なんとか見ていられるようになったなとカレルは笑う。

「ねぇお師匠さま。どんなお客様がいらっしゃったのか、聞いてもいいですか?」

 カップをカレルのもとに差し出しながら、リーフェが遠慮がちに問いかけてくる。

 素直な子だなぁ、とカレルは思った。聞き耳をたてていることもできたのに、馬鹿正直にたのまれたことをやって、あとからカレルに聞いてみるという選択肢を選ぶ。

「いいよ。今日来たのは中年の男の人。奥さんの病気を治したくてここまで来たんだって」

「そうだったんですね……」

「幸い薬があれば治る病気だ。……まぁ、薬が買える人間ばかりではないから、こういう頼み事は珍しくないよ」

 薬は庶民が手に入れるには高額なものが多い。だから薬さえ飲めば治るような病気でも簡単に死んでいく。

 そんな立場の人間が救いを求めるのが魔女なのだから皮肉だなとカレルは思う。

「お師匠さまがお薬を用意したんですか?」

「そこにある棚、なんだと思ってるの。触っちゃダメって言ってあるのは、そこにあるのが薬品だからだよ」

 知らずに触れると危ないものもあるからね、とカレルは言う。

「お師匠さまはお医者様でもあったんですか……!?」

「医者っていうより薬師かな……森に住んでると薬草は育てやすいし手に入りやすいからね」

「すごいです!」

 目をきらきらさせている弟子にカレルは笑う。

 今日の来客が普通の人間で良かった。こうして彼女に笑って話せる内容で。


 魔女に危害を加えない。

 魔女に邪な感情を持たない。


 家に辿り着くための条件をクリアできるなら、どんな悪人だってやってくることもある。

 浮気している妻とその浮気相手を殺してくれと頼んできた男もいた。未婚で子を身篭ってしまったので堕ろしたいと泣きついてきた少女もいた。

 もちろんそんな頼みは丁重にお断りするけれど、そんな人々とはリーフェは関わってはいけない。

 ……関わらせないように、しなければ。


「……君、すぐに騙されそうだもんねぇ」


 魔女は強かな人間でなければなれない。

 少なくともカレルの言葉に不思議そうに首を傾げているような子では無理だろう。

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