第22話

 じとりと睨んでくるカレルに、ティルザは暢気に「大丈夫大丈夫」と笑った。余裕すらあるその態度にカレルはまたため息を吐く。

「これでもあたしだって考えてるわよ。相手は貴族相手に商売しているんだもの、調べるならこっちもそこから調べればいいだけの話よ」

「いや、簡単に言うけど……それ、伝手あるの?」

 カレルもティルザも育ちは庶民そのもの。ティルザにいたっては孤児だったところをカレルの祖母が保護したくらいだ。尊い血など一滴も流れていない。

「あんた誰に言ってんのよ。あたしは王都で魔女やってるのよ。そりゃ何人かは常連がいるし、あてになりそうな人も思いつくわ」

 ティルザの制約がかかるのは異性を魅了する薬や魔法に関することだけだ。常連客も最初はそういう薬を求めてきたりしたけれど、今は化粧品などを求めてきたり、ティルザにいろいろと相談をしたいとやってくる者もいる。貴族にとっても馴染みの魔女がいるというのはひとつのステータスになるのだろう。

「……案外まともに商売しているみたいで安心したよ」

「当たり前でしょ。後ろ暗いことなんてしたら師匠に祟られるわ」

 ふん、とティルザは胸を張る。媚薬だの惚れ薬だの、効能を考えればあまりよろしくない商売に思えるがティルザの場合、それは人の心を操るものではなく、まことの恋の手助けになる。彼女にも彼女なりのルールがあるらしく、完全に心を奪うような薬は作らないらしい。

「それで、伝手って?」

「今回は常連じゃないけど、たぶん一番当たりだと思う子がいるのよね。カレル、王都の噂はどのくらい知っている?」

「ついこの間王太子の婚約者をいじめたって令嬢が王都を追い出されたのは知っている」

 何を隠そうその噂の人がこの間までカレルの弟子をやっていたのだ。

「あ、それデマだったらしいわよ。んーと、それより前のことは?」

「知らない」

 正直なところ、リーフェがカレルのもとに転がり込んでこなければ、王都の噂だのには興味も沸かない。森で暮らすカレルに王都のゴシップなんて関わりのないことだ。

「少し前くらいにね、注目されていた令嬢がいるのよ。エステル・ルイーセ・プレスマン。子爵家のご令嬢なんだけど、半年くらい前かしら? その子が王太子に気に入られてねぇ」

「……王太子に?」

 カレルは眉を寄せた。王太子といえば婚約者のロザンネとの仲は悪くないはずではなかったか。だからこそリーフェは王都を追い出されたのだ。

「そう。しかもそれだけじゃないのよ、公爵家や伯爵家の子息も彼女にメロメロになっちゃって、一時期社交界ではいろんな意味で注目の的だったわ。婚約者がいる野郎どもが突然一人の女の子に夢中になったら当然よね」

 いくらその婚約が家同士が決めたものであったとしても、幼い頃から貴族としての教育を受けてきた者がそんな騒ぎになるほど軽率な行動をとるのはおかしい。もう少し人目を忍ぶとか、やりようがあるだろう。

 しかしティルザが言うには、それはもうあからさまにエステル嬢はちやほやされていたらしい。彼女の取り合いのようにもなっていたのだとか。

「それ、変じゃない?」

 人の心は簡単に移ろうものだが、何人もの男が同時に一人の女性に魅了される。それは魔女の目からすれば明らかに魔女の秘薬が使われている事態だ。

 そして王都に店を持つ魔女はティルザだけ。その彼女がエステルに薬を売った覚えがないというのなら、答えは簡単だ。エステルはティルザ以外の魔女から薬を買ったということになる。

「変どころじゃなくて完全に真っ黒。幸い、王太子は今は興味も失せて相手にしていないみたいだけど」

「ティルザ。まさか君、王太子に――」

 何かしたのか、とカレルは真っ青になる。

 この姉弟子、度胸だけはあるからありえなくはない。ありえなくないからおそろしい。

「まっさか。王都の魔女とはいえ、王太子にお近づきになる機会があるわけないじゃない」

 にっこりと笑う姉弟子に、カレルは安堵のため息を吐いた。

 王太子ではない。けれど、王太子にかけられていたらしい魅了の効果は消えた。

「じゃあ王太子の婚約者と何かあったわけか」

「カレルは賢いわね。そう、その子がね、うちに来たことがあるの」

 紅柘榴の魔女の店に。

 この店に辿り着くことができるのは『まことの恋』をしていて『魔女の助けを求めている』者だけだ。

「ティルザの薬を買い求めたってこと?」

「いいえ。ふふ。それがねぇ、おもしろいのよ」



 その令嬢は、意図せず、偶然ティルザの店に迷い込んだらしかった。

 無意識に助けを求めてやってくる者は珍しくない。そういう者は相手が魔女だと知ると取り乱すことも多いのだが、ロザンネは冷静だった。

『では、あなたが魔女様なのですね』

『ええ、そうよ。どんな薬をお求めかしら? 惚れ薬? 媚薬? それともあらゆる人を魅了するための薬?』

 ティルザは紅色の唇で弧を描き問いかける。

 しかしロザンネはその問いかけで真剣な目をしていた。人の心を奪う薬を求めるような者の目ではなかった。

『……魅了……魔女様、それは、どんな相手でも魅了することができる薬なのでしょうか? そんな薬が存在すると?』

『ええもちろん、魔女の秘薬ならば。作り手によって効果にばらつきはあるけれど、あたしの薬は一級品よ?』

『その薬、近頃誰かに売った覚えはありますか?』

 その問いにティルザは笑った。

 王都に暮らす魔女である以上、噂話には敏感だ。既にこの時ティルザもエステルに関する話は聞いたことがあった。

 ティルザの客ではない。妙だとは思うが、どこかから薬を手に入れてくることは可能だ。この時まではティルザもこの件に関わるつもりはなかった。

『あら、探偵ごっこかしら? いくら公爵家のお嬢さんでも、顧客の情報を教えるわけにはいかないわね』

 相手が誰であれ、ぺらぺらと情報を漏らすことなどできない。客商売のうえ、ティルザは特に客の秘密に触れやすい仕事だ。

『……それもそうですね。忘れてください。無理を言いました』

 ロザンネはあっさりと引き下がった。それがティルザには興味深かった。

『たとえば既に魅了の薬を使われていたとしても、あたしの薬に勝るものはないわよ。紅柘榴の魔女はまことの恋をする者の味方だもの。あなたのこと、けっこう気に入ったから最も効果の高い薬を売ってあげるわよ?』

 それは魔女の誘惑だった。

 その薬をもってすれば、離れていってしまった婚約者の心を取り戻せると、確かにそう告げていた。

『いいえ』

 しかしロザンネはきっぱりと、その申し出を断る。

『私にはその薬は必要ありません』

 うつくしい紫紺の瞳はひたすらにまっすぐで、愚直なまでに魔女の誘惑を跳ね除けた。

『よろしいのかしら? このままではあなた、勝ち目はないけれど』

『どんな事情があれ、あの方に怪しい薬など飲ませる訳にはいきません』

 ティルザの言葉にロザンネが揺れることはなかった。魔女の目には、それがなんとも楽しい。この店にやってくる者としてはロザンネはたいへん珍しい客だった。

『ふふ。あたし、あなたみたいな子好きだわ』

『ありがとうございます。失礼いたしますわね』

 ロザンネは踵を返し、何一つ商品を手に取ることなく帰ろうとする。

『記念にこのカードを持っていって? お守りになるわ』

 カードには『紅柘榴の魔女』という文字と、不思議な模様が刻まれていた。微笑みながらそのカードにキスをして、ティルザはロザンネに渡す。

『あなたの恋に、幸運がありますように』

 またのご来店をお待ちしております、と皮肉混じりに微笑んでティルザはロザンネを見送った。

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