第24話

 ちらり、とロザンネがカレルとティルザを見る。どうするの、と問いかけてくるその瞳に、カレルは静かに首を横に振った。ここで一緒に馬車を降りるわけにはいかない。

 カレルが姿を見せれば、きっとおバカなリーフェは「お師匠さま!?」と驚くに違いないし、そうなればカレルが魔女であることも、リーフェが魔女に深くかかわっていたということも明らかになってしまう。

 リーフェが父親や屋敷の使用人に、森での生活をどう話しているのかは知らないが、危険な道に自ら足を突っ込むほどカレルは馬鹿じゃない。

 ティルザもカレルの意図を汲んで、ゆっくりと首を横に振り、声にならないほどの小さな声量で「今日はこれで」と挨拶した。ロザンネが静かに瞬きをする。了承した、という合図なのだろう。


「――お会いできるのを楽しみにしておりました」


 ロザンネは馬車から降りると、素早く扉は閉められる。馬車は公爵家に戻るために再び走り出した。

「ねぇ、どういうこと?」

「なにが?」

 ティルザの問いに、カレルは素知らぬ顔で問い返した。表情がわずかにも揺るがないので、ティルザは食えない弟分だと思う。小さい頃からあまり可愛げはなかったけれど、最近はすっかり可愛くなくなってしまった。童顔のくせに、と内心で悪態をつく。

「さっきの子、噂の伯爵家の子よね? どうしてあの子に森の加護がついているの?」

 ほんの一瞬だったのに、ティルザはしっかり気づいたらしい。姉弟子の目を誤魔化すのは難しいな、とカレルは苦笑した。

「店に戻ってから話すよ。そろそろ降ろしてもらおうか」

「……そうね」

 公爵家の人間でもないのに、いつまでも馬車に乗っているわけにもいかない。御者はおそらくロザンネの意思を尊重してカレルやティルザをそれなりに丁重に扱ってはくれるけれど、彼らにしてみれば二人はよくわからない怪しい人物であることには変わりないのだ。

 途中で馬車から降り、王都の街を歩く。カレルはあまり訪れない街だが、ティルザにとっては庭も同然だ。馴染みのパン屋で夕食と、明日の朝食の分のパンを買う。きっと店主はティルザが魔女だなんて知らないのだろう。

 裏路地に入ったところで、空気が変わる。店へと続く道に入ったのだ。カレルやティルザは無造作にそれをやってのけるけれど、当然常人にはできない芸当だ。

 魔女は自分のテリトリーを荒らされることを好まない。だからこそこうして自分の住処に通じる道に幾重もの目くらましをかけているのだ。


「で、あの子とはどういう関係なの?」


 帰り着くやいなや、ティルザは再びカレルに問いかけた。

 もちろんこのままうやむやにするつもりではなかったし、カレルは肩をすくめながら答える。

「ほんの一時、僕の弟子だったんだよ」

 カレルの答えに、ティルザは「は?」と声をあげた。

「弟子? あの子全然魔女じゃないでしょ。そんな気配さっぱりなかったわ」

「性格的に向いていたかもしれないけど、残念なことに才能はまったくなかったからね。魔女見習いの見習い、くらいなものかな」

 つまりはほぼ素人。実際カレルは家事や畑の世話についてはリーフェにいろいろと教えたし、薬草などの知識も与えたがそれは魔女になるために必要な知識というわけでもない。薬師だって知っていることだ。

「そんな子に加護を与えるなんて何を考えてんの?」

「才能がなくて見習いの見習いレベルだったとしても、森に縁があった子には違いないよ。ティルザやヘルトラウダにも加護はついているだろ?」

 レインデルスの森から魔女が独り立ちするとき、大魔女は必ずその魔女たちに加護を与えた。とはいえそれはまじない程度のもので、大きな効果があるわけではない。これから苦労することがありませんように、どうか幸運が舞い込んできますように。そんな願いが込められている。

 ティルザはすっと目を細めると、カレルの腕を突然引っ張って、その袖をまくり上げた。

「……禁は犯してないってカウントなのね」

「森に関わった子であるのは間違いじゃないからね」

 ふぅ、とティルザはため息を吐き出すと、カレルから手を離した。

 大魔女であるカレルにも破ってはならない制約はある。レインデルスの深き森の魔女である彼は『レインデルスの森の力を森以外に関することには使えない』のだ。深き森がカレルにもたらす力は強大で、強すぎるが故にその力は森のため、森の縁者のためだけに使われなくてはならない。

「……ならいいわ。でもそれなら、会わなくて良かったの?」

 一時とはいえ、弟子だったんでしょう?

 ティルザは声にせずともそう問いかけてきていた。カレルが情の深い人間であることくらい、姉弟子であるティルザはよく知っている。一度懐に入れた人間にはやさしいのだ。

「せっかく元の生活に戻ったのに僕と会ってどうするのさ。魔女に関わらずに生きていくほうが幸せだよ」

 まるで何度も自分にそう言い聞かせたみたいに滑らかに答えるので、ティルザは小さく息を吐いた。

 この弟分が、やさしすぎるがゆえに自分のことからは目をそらしがちであることをよく知っているので。



 ロザンネはリーフェが想像していたよりもずっと素敵な人だった。

 王太子の婚約者として完璧で、誰からも信頼されていて、それでいて謙虚で淑やか。初対面で緊張していたリーフェにも穏やかな微笑みを浮かべつつ、ゆったりとリーフェのペースに合わせてくれた。

「ありがとうございます、ロザンネ様。わたし、こうして同じ年頃の方と楽しくお茶会ができるなんて初めてで」

 正直こんなに楽しめるとは思っていなかったのだ。本当に。

 だってリーフェとロザンネでは同じ貴族とはいえ、住む世界があまりにも違う。

「お礼を言われるようなことではありませんわ。誤解が広まってリーフェさんが修道院へ行ってしまわれたと聞いて、申し訳なくて……」

「ロザンネ様は何も悪くありませんよ?」

「ですが、あなたは巻き込まれたようなものです。あんな噂を、私がきっぱりと払拭できていれば良かったのですけど……」

 ロザンネ自身も、幾度となく否定していた。リーフェは無関係だ、彼女から嫌がらせを受けたことなどない、と。けれどそれは『おやさしいロザンネ様』が気を使ってリーフェを庇っているのだと解釈されて、リーフェの悪い噂を消し去ることはまったくできなかった。

「過ぎたことですから、気にしてもしょうがありません。良い経験だったと思いますし」

 あんな噂が流れなければ、修道院に行くことにならなければ、きっとリーフェはこの屋敷の中に引きこもったまま過ごしていただろう。水を与えたあとの草花のきらめきも、木苺の甘酸っぱさも、自分で淹れた紅茶の味も、何一つ知らないまま。

「それにしても、わざわざロザンネ様がいらっしゃるとは思いませんでした」

「あら、どうして?」

「巻き込んだと思われたのだとしても、こうしてお茶をしながらお話するのは……その、ロザンネ様はお忙しいでしょうし」

「あなたのことを、私の友人であると印象づけておいたほうがいいのではないかと思いまして。そうすれば、またあなたに罪をなすりつけようなんてことを考える人は現れないでしょうから」

「なるほど……?」

 リーフェにはそこまでの警戒心はないが、言われてみれば王都に戻ってきたリーフェをまた悪事の張本人に仕立て上げようと考えるものがいないとも限らないのだ。世の中善良な人間ばかりでないことくらい、リーフェも知っている。

「けれど、そこまでしていただく理由はないような気がするんですけど……」

 ティーカップを持ったまま、リーフェはへにゃりと笑う。どんな顔をすればいいのかわからなかった。

「私の自己満足のようなものですわ。お気になさらないで?」

 にっこりと隙のない笑顔でそう返されては、リーフェは何も言えなかった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る