第25話

 この世界は私のために用意されたものに違いない。

 だって、そうでなきゃおかしい。


 私の名前は主人公と同じエステルだった。エステル・ルイーセ・プレスマン。

 うちは子爵家で、生活はそれほど豊かじゃない。お父様は気弱でしっかりしてないし、お母様は暢気な箱入りのお嬢様。夢に見たような貴族のキラキラした暮らしはあまりできない。王都の隅っこの古いお屋敷で、ただ時間ばかりが流れていく。


 ねぇどうして? 十六歳になったらイベントが始まるはずじゃないの?

 街でお忍びの王太子と偶然出会ったり、悪い人たちに絡まれているところを公爵家の息子に助けられたりするはずでしょ?

 十六歳の誕生日以降ちょくちょく街を歩き回ってみたのに、そんなイベントは全然起きない。ゲームだとすんなり発生するのに。


「――何かお困りのことがおありですか?」


 本当ならとっくに出会いのイベントが起きてるはずで焦っていた頃だった。街をぐるぐる歩き回っていたせいでいつの間にか裏路地に迷い込んでいたらしい。

 そこにいたのは占い師みたいな女の人だった。深く被ったローブのせいで顔はよく見えないけど、唇に塗られた真っ赤な口紅ばかりが目を引く。

「占いなら必要ないわ」

 だって未来は決まっているもの。私は王太子妃になるか、公爵家に嫁ぐか。今の全然贅沢ができない暮らしとは早くおさらばするんだから。

「わたくしは占い師ではございません。そうですね……紅柘榴の魔女といえばご存知でしょうか?」


 紅柘榴の魔女。


 それは何度も噂話で耳にした、王都に住まうという魔女の通り名だった。

 恋をする乙女の味方。この魔女の協力を得られたら、叶わない恋などないのだとか。

 神様はやっぱり私に味方してくれているのかもしれない。イベントがスムーズに起きなかった分、こうしてフォローしてくれてるってことよね?

「知っているわ。紅柘榴の魔女は有名だもの。……本物なの?」

「ええ、もちろん。わたくしが紅柘榴の魔女です。お嬢様は運が良かったですね」

 まるで天に味方されているかのよう。

 魔女の言葉に私は当たり前でしょ、と笑う。だって私は主人公なのよ? 神様だろうが天だろうが、私の味方をするに決まっているじゃない。

「お嬢様にはこんなものはいかがでしょう。ごく普通の香水に見えますが、これは異性を魅了する効果がございます。これを使ったあなたには、どんな男性でも虜になりますよ」

「ふぅん……惚れ薬とかはないの?」

「もちろんございますが、そちらは少々高額になっております」

 ちらり、と魔女が私を見たような気がした。街を歩き回るから質素なワンピースを着ているのであって、うちにはちゃんとドレスもある。まるでそんなに金はないだろうと言いたげな態度には腹も立つけど、今手持ちのお金はあまりないのも事実。

 惚れ薬は、もう少ししてから買ってもいい。みんなが私を好きになれば、きっとたくさん贈り物をもらえるようになるし。そうすれば惚れ薬代くらいは手に入るだろう。

 ……まぁ、その頃にはそんなもの必要なくなっているかもしれないけど。

「いいわ、じゃあそれをちょうだい」

 これが神様がくれたチャンスだって言うんなら、遠慮なく使わせてもらうわ。

 魔女の提示した金額は安価とは言えないものだったけれど、これで滞っていた何もかもがうまくいくようになるというなら安いものだ。


 香水を自分に振りかけてみる。なんてことはない、甘い香りがするだけのただの香水のように思えた。

 けれどその数日後の舞踏会で、私はその効果を実感する。今まで私に話しかけてくることのなかった公爵家の息子が声をかけてきたんだもの!

 その後はとんとん拍子にうまくいった。公爵家の息子はあっという間に私にめろめろになって、王太子ともお近づきになれた。けっこういい雰囲気になってきたし、これはきっと王太子妃も夢じゃない――そう思っていたはずなのに。


 ねぇ、どうして?

 ある日突然、王太子は私に冷たくなった。以前のように――いや、以前以上の距離ができてしまったように思える。香水の効果がきれたのかとも思ったけれど、公爵家の息子はまったく変わらない。

 悪役令嬢であるはずのロザンネは私にはなんにもしてこないし、おかげで起きるはずのイベントが起きない。起きなきゃ他の攻略対象とも仲良くなれないのに。


 どうして、どうして、どうして!

 主人公は私なのに、どうしてこんなにうまくいかないの!

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