第6章 魔女と令嬢

第26話

 ロザンネはこまめにリーフェと連絡をとってきたし、お茶会への誘いも幾度となくあった。

 ロザンネ様と二人きりなら、という条件でリーフェも会うことは拒まなかったし、今なら二人は友人であるといっても問題ないのだろう。


「今度我が家で私の誕生日を祝うための夜会があるのですけど、リーフェさんもぜひいらしてください」


 にこにこと和やかに話していた時である。ロザンネが問答無用の笑顔でそんなことを言ったのは。

「や、夜会というとあれですね……人がたくさんいてキラキラひらひらで眩しいやつですね……?」

 リーフェがとても苦手なやつである。

 なんならとても行きたくないやつである。

 一人で行くわけにはいかないからヒューベルトにエスコートを頼むことになるし、ロザンネの誕生日を祝う夜会だと父に言ったらドレスまで新調することになりかねない。そうなると採寸から何からやることになるので本気でリーフェとしてはお断りしたい。

 しかし。

「私の誕生日、祝ってはいただけないのかしら……?」

 悲しそうな顔でロザンネにそんなことを言われてしまうと、嫌だとはとても言えない。

「わ、わかり、ました……」

 もちろんリーフェにもロザンネの誕生日を祝いたい気持ちはある。夜会が好きではないし苦手だし可能な限り避けたいというだけで。

 ましてリーフェにとっては、王都に戻ってはじめての夜会だ。たとえ噂がすべて嘘だったと伝わっていても、人の心はそう簡単に変えられない。

(それに、お師匠さまに弟子入りしたことは事実だから魔女と言われても否定はできないし……)

 あの短期間ではリーフェは魔女になんてなれてないけれど、魔女と一緒に暮らしていたことは間違いない。

 魔女を利用するくせに魔女を畏れるのもまた人だ。勝手なものだとリーフェは思うけどそういうものだとも理解している。

「……たぶん招待客は多いでしょうけど、多すぎてかえってリーフェさんが目立つこともないと思いますよ」

 リーフェの懸念を読み取ったのか、ロザンネが紅茶を飲みながらそう呟く。

 もしかして。

「……気を使ってくださいました?」

「この件に関しては私にも落ち度があるので、気にかけるのは当然のことです」

 リーフェが濡れ衣を着せられたことに関してロザンネは頑ななほどに自分の非を訴えてくる。リーフェにしてみればロザンネも巻き込まれた被害者なのではと思うのだけど、彼女は自分が悪いのだと主張する理由をちっとも教えてもくれないので何も言えない。

「ふふ、ロザンネ様はヒューベルトお兄様に似てます」

 いつもリーフェが気づかないようなところまで気を配ってくれる。たぶん、リーフェが嫌な思いをしないように。

 思わずリーフェが零すと、ロザンネが首を傾げた。

「リーフェさんにお兄様はいらっしゃらないと思ったけど?」

「あ、従兄なんです。小さい頃からお兄様と呼んでいて……」

 ヒューベルトは昔からリーフェに優しかった。父が言葉にせず態度にせずただ密かにリーフェを守り続けてくれていたのだとすれば、ヒューベルトは常にリーフェに寄り添い往く道に見えた石をそっとよけるような、そういう守り方だった。

「そういえばその、夜会には王太子殿下もいらっしゃるんですか……?」

 おずおずとリーフェは問う。

 リーフェの頭をよぎるのは、幼い頃の大失敗だ。さすがにこの年で盛大に転んだりはしないけど、王太子の名前を聞くと過去の失敗を思い出してお腹が痛くなる。

「それは、もちろん。婚約者である私の誕生日を祝う夜会ですし」

「そうですよね……」

 思わずリーフェは青い顔で小さく呟く。

 何より一度は王太子にもロザンネに嫌がらせをしていたと思われていたのだ。たとえそれが冤罪だったとしても、リーフェの印象はあまりよくないと思う。

「あなたはとても大切にされてきたのね」

「え?」

「嫌だと思うことを無理にしなくても良かったんだろうなと思って」

「そ、それは、そうですね……。ロザンネ様でも嫌だなと思うことがあるんですか?」

 それがむしろ意外だ。

「当たり前です。私だって嫌なこともめんどうだなと思うこともあるわ」

 ただ、ロザンネは嫌だめんどうだといって我儘を言うわけにはいかなかったし、周りもそんな甘いことは許さなかった。

(……本当に、わたしはずっと大切にされていたんだろうなぁ)

 一度そばを離れてみることで見えてきたものはたくさんあった。父もヒューベルトも、真綿で包むようにリーフェを大切にしてくれていたのだ。

 けれど。

(大切にされてきた。守られてきた。……でもわたし、どうしてかしら)

 リーフェは俯いて、ティーカップに映る自分を見た。

 伯爵家に戻ってから、リーフェは自分の手でお茶を淹れたことはない。やりたいといっても、用意されたのは既にティーカップに注ぐだけになったお茶だ。当然皿洗いなんてしていない。

(……お師匠さま)

 リーフェの隣に、あるいは後ろに立って、できるまで見守ってくれたカレルの姿を思い出す。できないことは悪いことじゃない。できるようになるまで練習すればいいと何度皿を割っても怒らなかった。いつもそのたびに、リーフェは怪我していないかと聞いて。

 何もしなくていいよと、嫌なことや煩わしいことから遠ざけるのも愛かもしれない。

 だがリーフェは、なんだか少し、違うような気がしていた。



 ティルザは誰もやって来ない店のカウンターでぐったりと項垂れていた。

「うーん……見つからないわね、偽物」

「三流魔女にしては隠れるのがうまいね」

 カレルはハーブティーをティルザのそばに置きながら、自分の分を飲む。今日はレモンバームを使った。

 王都といえどさすが魔女の家、ハーブの類はちゃんと鉢植えで育てているらしく、カレルが滞在している今はそれらの世話もカレルがやっている。ティルザはこういうことはあまり得意ではないのだ。

 貯蓄されている乾燥させたハーブはおおかたヘルトラウダからもらったものだろう。ここでは育てにくいものまでしっかり取り揃えてある。

「いっそ私がどどーんと本物の紅柘榴の魔女です! って出ちゃえばいいんじゃない?」

「短絡的にもほどがある。魔女に好意的な人間ばかりではないんだよ」

 人間と魔女は常に一定の距離を保ちながら暮らしてきた。それは、魔女が人にとっては脅威にもなりえる存在だからだ。

 長い歴史の中では、魔女が迫害された過去もある。また逆に、魔女の怒りを買って一夜にして滅んだ村や街もある。

 今は魔女は魔女として己に制約をかけ力を制限しているし、人も距離感を保ちながら利用し利用されている。この距離が適切だと、カレルは思う。

 決して馴れ合わない。けれど、完全に相容れないわけではない。

「……まぁ、おびき出すというのは悪くないかもな。紅柘榴の魔女が来るらしいなんて噂が流れたら、偽物も姿を見せないわけにはいかないんじゃない?」

 カレルも地道に偽物を探すのには飽きてきたところだ。ロザンネから情報を得たものの、偽物は王都の路地裏でそっと客を見つけては声をかけているようなのだが、どうやらその場所はいつも同じというわけではないらしい。

 しかも、現れたという場所に行ってみても痕跡は見つからない。調合に関しては三流なのに、逃げ隠れするのは一流なのかと苦笑いを零したものである。

「おびき出すって、どこに?」

「顧客がたくさん集まるところ。ロザンネ嬢に協力してもらえばどうにかなるんじゃないの?」

 茶会とかそんな感じのところにこっそりと忍び込ませてくれればいい。のこのこ偽物がやってきてくれれば捕まえられるし、屋敷の周辺をうろついている可能性もある。

「偽物が来なければその時は君が一人か二人に姿を見せたらいい。おしゃべりな年頃だからその派手な見た目はすぐ広まるよ」

 ティルザの赤い髪は一度見たら忘れないほど鮮やかだし、印象に残るはずだ。

 魔女に好意的な、そして好奇心が強くおしゃべりな令嬢の一人や二人に会うくらいは危険にはならない。そして姿を覚えられたところで、ティルザの店にたどり着ける者は限られている。

 ティルザはにやりと笑う。

「いいわね、そういうの好きよ」

 なんだか想定よりはるか上のことを考えていそうな顔をしていて、カレルは間違えた提案をしたかもしれないと後悔した。

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