第5章 王都の魔女
第20話
リーフェ・ラウラ・ローデヴェイグはどうやら無実らしい。
リーフェが王都に戻った時にはそんな噂が広まりつつあり、ヒューベルトによると父は集めた証拠とともに王太子に直訴する準備もほぼ整っているとのことだった。
(……わたしが修道院に行ったらそれでおしまいなんだと思っていたわ)
久しぶりの自分の部屋で目覚めたリーフェはぼぅっとしながらそんなことを思う。
リーフェがすべての罪を負って王都から消えれば、いつか皆リーフェのこともその時に起きたことも忘れる。そう思っていた。
しかし父は、ヒューベルトに連れられ帰宅したリーフェを見て明らかに安堵していた。思えばここ数年、父の顔を見ることができずにいたリーフェは表情から感情を汲み取るなんてできなかった。
(……お父様、皺も白髪も増えたような気がするわ)
心配をかけてしまったからだろうか、と思うと胸が痛む。
「おはようございます、お嬢様。もう目が覚めていらっしゃったんですね」
メイドたちが部屋にやってきて、カーテンをあける。彼女たちはぼんやりとしているリーフェのくせっ毛を梳かしながら、毎度悪戦苦闘していた。
(……お師匠さまはあっという間に三つ編みにしてくださったんだけど)
梳いてもらっている身として文句は言わないが、メイドたちとカレルの違いはなんだったのだろうとリーフェは思う。
「お嬢様、今日はどうなさいますか?」
以前のリーフェは一日中屋敷の中で過ごしていた。本を読んだり、ちまちま刺繍をしたり、ゆったりお昼寝したり、そういうのんびりとしすぎた一日を繰り返して過ごす。それがリーフェだ。
しかし、今のリーフェにそれは退屈すぎる。
「庭に行きたいの」
「庭に? ではお供いたします」
「ううん、いらないわ」
メイドたちは不思議そうな顔をしている。
ほぼ引きこもりだったリーフェが庭に行くということすら意外なのに、ついて行くというメイドの申し出を断ることも驚きだった。
リーフェが何かを拒むことなんて、今まであっただろうかと目配せしているほど。
「……では何かあればお呼びくださいね」
メイドたちは庭に出るといっても散歩程度だろうといつもと変わらないドレスを着せる。
ここ数日、このドレスを着せられるのがリーフェには苦痛だった。動きにくいし重いし苦しい。
「日傘をお忘れなく。ただでさえ日焼けしてしまっているんですから、これ以上肌を焼いてはいけませんよ」
(……傘なんて邪魔なだけなのに)
令嬢の肌は白く透き通っているべきだ、日焼けがどうのとメイドたちが逐一うるさいことにもうんざりする。
以前はこれが当たり前だったはずなのに、今では随分窮屈に感じる。
ゆったりと流れる時間はなんだかもったいないし、バターのたっぷり使ったクロワッサンより木苺のジャムをのせた少しかためのパンが恋しい。
ローデヴェイグ伯爵家の王都にある屋敷はそう広いものではないが、丁寧に手入れの行き届いた庭がある。
かつてのリーフェはその庭を窓から眺めることしかしなかったが、今はメイドに押しつけられた日傘を手にうきうきと庭を歩く。
(もちろんお師匠さまのところの畑とは全然違うけど)
それでも緑に触れると気分があがる。
まだ午前中の庭は、朝露にしっとりと濡れていた。
(あれ?)
植えられた花を見ていると、覚えのある花を見つけた。それは部屋に飾られた花としての記憶ではなく、もっと新しいものだ。
「これ、ジキタリス?」
じっと観察してみる。
カレルから触ってはダメだと言われていたので、近づくことはあっても触れることはしない。
大きめの鈴が連なるように咲いているその花は、やはりカレルのもとで覚えたものに違いない。
これ毒があるのにいいんだろうか、とリーフェは首を傾げる。きょろきょろと見回していると、庭師を見つけた。
「こんにちは」
リーフェは庭師に声をかける。かなり高齢の庭師はゆっくり振り返るとぽかんと口を開けた。
「お、お嬢様?」
「ええ」
ローデヴェイグ家に少女と呼べる年頃の者はリーフェしかいない。ましてドレスを着ていれば一目で引きこもりのお嬢様であることはわかるだろう。
「な、何か御用でしょうか」
リーフェが庭にいることにも驚いているし、話しかけられたことにも困惑しているようだった。
「あの、あそこに植えられているのはジキタリスよね? 毒があるのに植えていても大丈夫なの?」
「……へ?」
「だから、あの花、ジキタリスよね?」
もう一度問うと、庭師はしっかりと頷いた。
「ええ、ジキタリスです。よくご存知ですね」
「習ったの」
褒められたことがうれしくて、リーフェはにこにことしながら答えた。
「毒もありますが、花を楽しむために植えることも珍しくはありませんよ。毒のある花ってのはけっこうありますしね」
「トリカブトとか!」
すかさずリーフェは覚えた知識を披露する。
「それは強い毒ですし、華やかさがかけるので庭には植えませんねぇ」
「そうなの?」
「そうですよ。華やかというなら百合にも毒はあります」
「ええ!?」
それは知らなかった。リーフェはまだカレルから習っていない。
(お師匠さまは……もちろん知っているわよね)
庭師もリーフェが花の知識があるのがうれしいのかあれこれと教えてくれる。
そうするとだんだんリーフェはうずうずしてきて、思わず日傘をとじた。邪魔だった。
「あの、お手伝いしてもいいかしら! 雑草抜きとかできますけど!」
「え、ええ!? お嬢様にそんなことさせられませんよ!」
「いいの! やりたいの!」
強引にリーフェは花壇の雑草抜きを始めた。毎日手入れされているので多くはないが、花壇は他にもある。
庭師は困ったような顔をしていたがリーフェの真剣な様子に絆されてしまった。
それから三十分程経っただろうか。
「……リーフェ?」
名前を呼ばれて顔をあげたリーフェは、そこに父親の姿を見つけて青ざめた。しかもその隣にはヒューベルトもいる。
(こ、これは、さすがに、怒られるわ……!)
雑草抜きに集中していたリーフェのドレスは土汚れがついているし、頬にも土がついている。庭師が手袋をかしてくれたので手が汚れていないのは幸いと言うべきだろうか。
「だ、旦那様これは……」
庭師はリーフェ以上に真っ青で、慌てて弁明しようとしている。そこでリーフェは立ち上がって庭師をかばった。
「わ、わたしがやりたいと頼んだんです!」
父の怒りを買うことで庭師は簡単に職を失うこともある。それはダメだ。これはリーフェが責任を負うべきことである。
「おまえから?」
「そ、そうです。魔女さまのところで、お手伝いをしていたので、その、家の中にこもっていたら退屈でつい……」
魔女の修行をしていたとは言わなかった。
もしかすると、カレルに迷惑がかかるかもしれないから。
「……次からは汚れてもいいように服装に気をつけなさい。メイドたちが卒倒する」
「……え」
父はそう言いながらリーフェの頬についていた汚れを指先で拭った。
怒られると思っていたリーフェは驚いて目を丸くする。
(……次はってことは、またやってもいいってこと?)
『親とはもう少しちゃんと会話しなさい。……たぶん君の親は、ちゃんと話を聞いてくれるだろうから』
カレルの言葉を思い出して、リーフェは胸元をぎゅっと握りしめる。
(……本当だ。本当でした、お師匠さま)
目を背けなければ、リーフェがきちんと向き合おうとすれば、こんなにも簡単に答えは得られたのだ。
(まるで魔法みたい)
カレルはなんでもお見通しだと思っていたけど、こんなことまでわかるなんて。
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