第5話

 結局、魔女ことカレル・クラーセンは折れた。


「僕が君に邪な感情を抱くとは思えない。ってことは別に君と僕がひとつ屋根の下で暮らそうと間違いは起きないんだから、百歩譲って君が飽きるまでは弟子にしてあげるよ」


 この時カレルはとても嫌そうな顔をしていたが、リーフェはまったく見ていなかった。

 朝まで待つこともなくリーフェは粘り勝ちしたわけである。



 魔女の家は最初の印象のとおり、なかなか広い。もちろんリーフェが育った伯爵家と比べたらせまいけれど、一人暮らしには充分すぎる広さだ。しかし物が多いせいでその広さの半分ほどは失われている。

 扉を開けてすぐにあるのは玄関ホールではなく、キッチンを備えた広めの一室。ここで食事をとるし、来客の対応もすべてこの部屋で行うらしい。

 その奥に二つ扉があって、どちらも小さな寝室だ。ひとつはカレルが使っているらしく、空いている一室でリーフェは眠ることになった。二階もあるが、今はほとんど使っていないので物置になっているとカレルは言っていた。


 弟子入りした翌朝、少し寝坊したリーフェはぼさぼさの髪のまま起きてきた。寝巻きの上にストールを羽織っただけの、なんとも無防備な姿である。

「……君は魔女の適性があるかもよ。僕が知る魔女ってだいたい自分勝手な我儘女か、妙なこだわりのあるマイペースな変わり者だから。君の場合どっちもあてはまりそうだもんね」

 キッチンにいたカレルは振り返ってリーフェを一目見ると苦笑した。

「まぁ、ありがとうございますお師匠さま! がんばります!」

「……これ、会話になってる?」

「あら? わたし、褒められたんじゃないんですか?」

「嫌味を言ったんだよ」

 はぁ、と今日最初のため息を吐きながらカレルは「おいで」と手招きする。

「部屋のクローゼットの服を好きにしていいって言わなかった? せめて着替えてから出てきなよ」

「わたし、寝坊してしまったみたいだったので慌ててしまって……」

 弟子たる者、師匠より早く起きるつもりだったのに、ぐっすりと熟睡してしまったのだ。

 枕が変わって眠れない、なんてことはリーフェには起こらなかった。むしろ枕やシーツから香るハーブの爽やかな香りに瞬く間に夢の世界へと旅立った。

 カレルはリーフェを座らせると、櫛を取り出してリーフェの髪を梳き始めた。

「……あら? わたし、お師匠さまに髪を梳いていただいてます?」

 素直に座ったリーフェは、カレルが自分の後ろに立ってしばらくしてからそのことに気づいた。

「気づくの遅いね。どうせ君、自分じゃ編めないんでしょ。昨日も下ろしたままだったしね」

「お師匠さまは本当になんでもお見通しですね!」

 それはつまり肯定だった。

 リーフェは自分の髪を編んだことなんて一度もない。いつも侍女にやってもらっていたからだ。櫛を通すことすら数えるほどしかないかもしれない。

「今日はやってあげるけどちゃんと覚えなよ」

「はい! がんばります!」

 カレルは器用にリーフェの癖のある黒髪を三つ編みにしていく。毎朝ローデヴェイグ家の侍女たちはあんなに悪戦苦闘していたのに、とその手際の良さにリーフェは目を丸くした。

「そういえばこの寝巻きもですけど、クローゼットのお洋服はどなたのものなんでしょう?」

 魔女の家には、カレルしかいない。それなのに女性ものの服があるというのはおかしな話だ。

 カレルが女性のふりをするのだとしても、大きさが合わない。きっと彼は着ることができないはずだ。

「ほとんど姉弟子が着ないからって置いていったものだよ。死んだばーさんのも入ったままかもしれないけど」

「……亡くなった?」

 リーフェが静かに口を開いた。

「先代の森の魔女。僕の祖母だよ」

 さらりとカレルは答える。

 この家はカレルとその祖母、さらには姉弟子が暮らしていたということらしい。

「朝食できてるよ。早く着替えておいで」

 ぽん、と肩を叩かれリーフェはゆっくりと立ち上がり部屋に戻る。

 クローゼットを開けてみると、華やかなスカートや質素なワンピース、古そうだが質のいいブラウスなど傾向がばらばらな服が詰め込まれていた。

(古そうなのは先代の魔女さまのものかしら……他のは姉弟子の方の? 何人かいらっしゃったのかしら)

 比較的新しいが派手ではない濃紺のスカートと白いブラウスを取り出す。ふわりとハーブのような香りがした。

 古着を着ることになるなんて、以前の自分では想像もできなかっただろう。だがリーフェはなんだか楽しかった。

 自分で服を選んで、自分で着る。ただそれだけのことが、リーフェにははじめてのことだったのだ。




 朝食はパンとスープ、それにオムレツまでついていた。卵なんてどこから手に入れたんだろうと思ったが、鶏を飼っているらしい。

「お師匠さま! わたしはなにをすれば良いでしょうか!?」

 朝食を食べ終わったところで、リーフェはやる気に満ちた顔でカレルに話しかける。

「……じゃあ、とりあえず畑の手伝いをしてもらおうかな」

「はい!」

 気合十分のリーフェは元気よく返事をして外へ出ていくカレルのあとをひよこのようについて行く。

 家の周りにある畑は野菜が植わっているものと、ハーブが植えられているものでわかれている。さらに家の裏手に鳥小屋があった。

「雑草を抜いて」

「ざっそう」

 カレルの言葉をそのままオウム返しする。

「……しゃがんで。スカート、汚れるから気をつけて」

「はい」

 カレルはなんとなく予想していたのだろう、リーフェの隣にしゃがみ、野菜の合間ににょきにょきと生える草を引っこ抜いた。

「こういうのが雑草。これとか、これとか。とりあえず葉っぱの形を覚えればいいよ。判断できないものは聞いて」

 カレルは何種類か雑草を引っこ抜くと、リーフェがわかるようにと並べて置いた。

「わかりました!」

「僕はあっちを見てるから」

 そういってカレルが指さしたのはハーブが植えられているほうだ。リーフェはこくこくと頷くと雑草を見つけては抜いていく作業をひたすら繰り返した。

 しっかりと根付いているものなどはなかなか簡単には抜けない。葉っぱだけがちぎれるという結果にリーフェは慌てたが、カレルは「それならそれでほっといていいよ」と気にしていないようだった。

 畑仕事に慣れているカレルにしてみれば、雑草を駆逐することなどできるわけがないことを知っているのである。

(これも修行のうちよね……!)

 立派な魔女に少しずつでも近づいているのだと信じて疑わないリーフェは黙々と雑草を抜き続ける。雑草ばかりを追いかけて畑から離れていっていることに気づかないほど没頭していた。

 なんせここは森の中。雑草を探せばいくらでもあるし、それこそ畑の中と区切らなければキリがない。


「……君、どこまで行く気?」


 畑ではないところまで雑草を探しているリーフェに、カレルが呆れたように声をかけた。

「どこまでって……あら?」

「集中するのはけっこうだけど、畑の中だけで十分だよ」

「すみません……」

 しゅん、と項垂れながら畑に戻ると、リーフェは改めて雑草抜きを再開しようとして――野菜の上をうにょうにょと動く物体を見つけてしまった。

「ひゃああああああ!?」

「どうした!?」

 リーフェの悲鳴に、カレルが慌てて駆けつけてくる。

「お、お、お師匠さま! 毛虫! 毛虫です!」

 リーフェの小指ほどの太さはある立派な毛虫だった。見るだけでぞわわ、と鳥肌がたってしまう。リーフェも世の大半の女性がそうであるように、虫は嫌いである。もちろん毛虫なんてその筆頭だ。

「……なんだ毛虫か」

「なんだじゃないです毛虫です!」

 涙目になりながらリーフェは必死に訴えるが、カレルは平然としていた。リーフェはすっかり腰が抜けて動けないというのに!

「そりゃ毛虫くらいいるよ。これくらいで腰を抜かしていたら魔女なんてなれないね」

 その言葉に、リーフェは泣き言を飲み込んだ。


 魔女に。

 なれない。


(……毛虫のせいで!?)

 弟子入り一日目で早くもカレルから愛想を尽かされては困るのだ。リーフェは魔女になると決めてここにやってきたのだから。

「け、けけけけ、毛虫くらい平気です!!」

 それを証明するようにリーフェは毛虫をむんずっと掴んだ。カレルが止める暇もなかった。

「あ、バカ!」

 慌ててカレルがリーフェの手から毛虫を叩き落とす。

「毛虫には毒を持ってるやつもいるんだから素手で触ったらダメだろ!」

「ど、毒!?」

 物騒な言葉にリーフェは真っ青になった。まさか毛虫の毒で死ぬなんて死因はごめんだ。

 カレルは地面に落とした毛虫を見る。うごうごとまだ動いていたので、無慈悲に踏み潰した。

「……これは無毒の毛虫。でもちょっと見せて。肌が弱いとかゆみが出てきたりもするから……」

「そういえばちょっとちくちくするような?」

 いやでも気のせいかもしれない。

 毛虫を触るなんて気持ち悪いことをしたので気分的にちくちくしているだけかも、とリーフェは首を傾げる。

 肌が弱いとかどうとか、自分では気にしたことがないのだ。

「……君に手袋を渡さなかった僕が悪い。手を洗っておいで。しっかりね」

 はい、と頷いてリーフェは畑を離れる。

(……お師匠さまを困らせてしまったわ)

 やる気が空回りしてしまったようだ、と反省する。

 冷たい水で手を洗っていると、手のひらの違和感も次第になくなっていった。

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