第2章 魔女の修行

第6話

 リーフェがカレルのもとで魔女修行するようになって三日が経った。


「リーフェ? まだ寝てるの?」

 扉越しにカレルは声をかけた。

 朝日が昇ってすでに一時間以上経っている。

 カレルがそうなのかもしれないが、朝早く起きてきちんと朝食をとり、昼間は畑の手入れや森の中に散策しに行ったりして過ごす。

 魔女の生活は貴族のそれと比べてとても規則正しく健康的だ。

「……起きて、ます」

 起きてはいる。

 リーフェも魔女の生活にならい、三十分前には起きていた。着替えも済ませてある。

 しかし。

 そろそろと扉を開けて顔を出したリーフェの黒髪はぼさぼさだった。何度も三つ編みしようと試みては失敗したせいだ。

 そんな弟子の姿に、カレルはくすりと笑う。

「おいで。やってあげるから」

「……すみません」

 ちゃんと三つ編みの方法はカレルから教わっているのだ。初日の夜に。わざわざカレルが使っている鬘を使って教わったのにも関わらず、リーフェは依然として自分で綺麗に編めたためしがない。

「そのうち慣れるでしょ。朝ごはん冷めるし」

「精進します……!」

「ほどほどにね」

 リーフェが気合いをいれたところで大幅に空回りするだけな気がする、とカレルは苦笑する。なんせ毛虫を掴んでしまうくらいだから。

 カレルはそれこそ魔法を使っているみたいにほんの数分でリーフェの髪を三つ編みにする。

「髪、長いままなのも邪魔ですよね……いっそ切りましょうか? 短くすればお師匠さまに結っていただかなくてもいいですし」

 貴族の令嬢が結えないほど短い髪などありえないけれど、リーフェはもう伯爵令嬢ではない。

 リーフェ自身は髪の長さになどこだわりはないから、名案だと言わんばかりに言ってみたのだが。

「やめておきな。こんなの手間のうちにも入らないし、髪には魔力が宿るとも言われているしね」

「まあ、そうなんですね。だから魔女さまは髪が長いのかしら? ……でもお師匠さまは?」

 カレルの地毛である金茶の髪は、ごく普通の青年たちと同様に短いままだ。首筋をほんの少し撫でる程度の長さは、男性としても長いとはいえない。

「僕はそんなことしなくても十分優秀だから」

 そう言いながらカレルは準備しておいた朝食をテーブルに並べる。

「あ、わたしが運びます!」

「いいよ、君がやるとひっくり返しそうだし」

 スープの入った器をひっくり返されたらたいへんだ。

「じゃ、じゃあお皿洗いは任せてくださいね!」

「はいはい、お願いしますよ」

 リーフェが魔女修行を始めてまっさきに習得したのは皿洗いだった。既に皿を一枚割っているが、それ以外はおおむね問題なくできるリーフェ唯一の仕事といっても過言ではない。

 皿は無駄にあるからいくら割っても大丈夫だよ、とカレルはおおらかに笑っていた。

 以前はカレルの他に先代の魔女と姉弟子たちとで暮らしていた家だ。食器は余るほどあるし、リーフェが数枚割ったところで困ることはない。


 危なっかしい手つきで食べ終えた食器をキッチンに運び、そのまま皿洗いを終わらせたリーフェは食後のお茶を飲んでいたカレルのもとに戻る。

 カレルはポットに入っていたお茶をリーフェのためにカップに注いでくれた。今日はローズヒップティーだ。リーフェは気分ではちみつを加えて飲む。

「そういえば、お師匠さまみたいに、男性の魔女さまは他にもいらっしゃるんですか?」

 リーフェが会った魔女という存在はカレルだけだが、魔女というくらいなのだ。一般的に魔女とは女性である、という認識で間違いない。

「そうそういないと思うよ。そもそも、僕が魔女の名を継いだのは祖母が『レインデルスの深き森の魔女』だったからだ」

「……? 他の魔女様となにか違うんですか?」

 リーフェはこてん、と首を傾げた。

 カレルの言い方だと、まるで『レインデルスの深き森の魔女』が特別な魔女のように聞こえる。

「魔女には、大魔女と魔女がいるんだよね」

 だいまじょ、とリーフェはオウム返しする。なんだか強そう。

「魔女といっても、世間が想像してるみたいに長命なわけじゃない。まぁ例外はあるけどね。大魔女というのはひとつの土地に根ざし、代々その名を継いできた古き魔女のこと」

 だからその名には土地の名がついている。

 カレルも深き森の魔女、あるいは森の魔女、と呼ばれることも多いが、正式にはレインデルスの深き森の魔女、だ。

「それ以外の魔女は、だいたい一代限りの魔女だ。大魔女に弟子入りして、独り立ちしたあとは街なんかでひっそり店を開いているね」

 王都にはカレルの姉弟子が店をかまえているらしい。

 魔女の店は幾重にも魔法で隠されているので、そう簡単には辿り着けないようになっているのでその存在が有名になることはない。

 リーフェはカレルの話を頭の中で整理する。

「つまり、お師匠さまは大魔女さまってことですか?」

「一応ね。大魔女の名は血縁が受け継がれていくけど、祖母の血族は僕しかいなかった。だから異例中の異例だけど、とりあえず僕が名を継いだってわけ」

 名を受け継ぐのは養子では許されておらず、直系のみが許されている。カレルの母親はもういないので、受け継げるのはカレルしかいなかった。

 それがわかっていたから、祖母もカレルに魔女の秘術を教えてきたのだ。

「……だから弟子をとらなかったし、弟子入り希望なんて来なかったんだけどさ」

 カレルはローズヒップティーを飲みながらわずかに表情を曇らせる。

「お師匠さまは素晴らしいお師匠さまですよ?」

 リーフェはティーカップを持ち上げたまま、きょとんとした顔で告げた。カレルは呆れたような目でリーフェを見つめ返す。

「君、ちゃんと話聞いてた?」

「もちろんです!」

 どこがだ、と言いたくなる。会話が成り立っていないように感じることは、リーフェと過ごすようになったこの三日で何度もあった。

「僕は言うなれば仕方ないから魔女やってるだけの、繋ぎなの。本来は男が魔女なんてやらないんだから」

「だとしても、お師匠さまが素晴らしいお師匠さまであることに変わりありませんよ?」

 疑いのないまっすぐな目に、カレルはだんだん言い返すことが馬鹿馬鹿しくなってくるのだ。

 ……とはいえ。

「たかだか三日で素晴らしいって言われても……」

「わたしがお師匠さまと過ごしたのはたった三日ですが、それ以前からお師匠さまが深き森の魔女として過ごしてこられたことには変わりありません」

 先代だというカレルの祖母がいつ亡くなったのか、リーフェは知らない。しかし祖母を亡くしてからカレルはずっと『レインデルスの深き森の魔女』という名を背負って生きてきたのだ。

「だってお師匠さまは、その名に恥じぬお仕事をされてきたんでしょう?」

 リーフェの赤い、ラズベリーのような色の瞳はカレルのことを信じて疑わぬ目をしている。

「当たり前でしょ。代々受け継いできた魔女の名を汚すようなことするはずがない」

「ほら、素晴らしいお師匠さまです!」

 にっこりと嬉しそうに笑うリーフェに、カレルは笑い返した。

「……君ってやっぱり、変わってるよね」

「変わり者であるくらいのほうが魔女っぽいと思います!」

「そうだね、でも最低限の常識は身につけてね」

「はい! がんばります!」

 ぐっと拳を握りしめるリーフェに苦笑しながら、カレルはこの世間知らずな弟子が出来そうなことはなんだろうと考えるのだった。


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