23話:向こう見ず


 部屋の隅。

 僕はそこにずっと蹲っていた。

 いったいどれだけの時間が経ったのだろうか。半日。いや、丸一日以上。


 ただ確かなことは、シティさんと約束していた決闘の時間はとうに過ぎてしまったということだけ。


 臆病者の僕は、約束から逃げた。

 当然だ。

 仕方がない。


 だって、敵うはずないと分かっていたから。

 完膚なきまでに叩き潰される自分の姿が見えていたから。

 自分から進んで恥を晒しに行くなんて、死んでもごめんだ。


 そんなことするのはただの馬鹿だ。

 それにこの現実を目の当たりにして滑稽な役を演じ続けられるほど、僕は強くない。


 片や『主役』。

 片や『端役』。


 僕が敵う道理なんてどこにもないのだ。

 当て馬の役割を果たした僕はもう用済み。

 会話を交わすことすら烏滸がましい。


 僕たち『端役』は『主役』の生き様をより引き立てるだけの存在だ。

 足掻けば足掻くだけそれを思い知らされる。


 反対に。


 主役の生き様は僕たち端役の苦悩や葛藤をより引き立ててくる。

 僕たちは滑稽な姿を克明に浮き彫りにされる。

 それはもう、痛いほどに。


 ──臆病者は生まれた時点で『端役』の道を歩むしかないんだから。


 師匠の声で繰り返されるそんな言葉が、頭蓋骨にこびり付いて離れない。

 聞くんじゃなかった。

 イゼに代わってもらってまで、師匠たちの話を盗み聞きしたりなんてするんじゃなかった。


 僕のいない場所で師匠の口から紡がれていた言葉。

 その一つ一つが今でも鮮明に思い出せる。

 嫌でも思い出してしまう。


 ──アイルぼく じゃ駄目。

 ──シティじゃ い と駄目。


 言葉にすればたった三文字の違い。

 しかし、そのたった三文字が何よりも高い壁となって僕たちの間を隔てている。

 それは、臆病者の僕には決して越えることのできない壁。


 何をしたって無駄だ。

 無駄なんだ。

 だから、うん。


 もう、どうでもいいや。


 心にそんな言葉が浮かんだ瞬間、ストンと身体が軽くなった。

 それは重荷から解放されたように。

 そしてそれに反応するように「ぐぅ」と鳴るお腹。


「お腹、空いたな」


 僕は食事を取るべく、腰を持ち上げた。


『オイ』


 そんな僕を引き止めるようにイゼが口を開く。

 僕はその声に、一瞬だけ動きを止めた。


『悔しいかァ?』


 そして放たれるのは、そんな問い。

 僕は考えるより先に口を開いていた。


「悔しくないよ」


 それは、はっきりとした口調で。

 悔しくない。

 うん、悔しくない。


 だって僕にはもう関係のないことだから。


『そうかァ』


 最後にそんな呟きを落として、イゼは口を噤んだ。


 それから、事あるごとにイゼは『悔しいか?』と聞いてくるようになった。

 世間話や軽口は一切ない。

 悔しいか、悔しいか、と。

 ただひたすらそれだけを口にする。


 食事の前。

 食事の後。

 歩いてる時。

 走ってる時。

 寝る前。

 起きた後。

 いつでも。

 どこにいても。


 何度も何度も何度も何度も。

 何度も何度も何度も何度も。

 繰り返し繰り返し繰り返し。

 繰り返し繰り返し繰り返し。


 最初こそ「悔しくないよ」と一回一回返していた僕だけど、途中からそれをうっとおしく感じるようになり、気付けば僕は反応すらしなくなっていた。


 聞こえないフリ。

 知らないフリ。

 何度聞かれてもそれを突き通す。


『オイ』


「……」


『悔しいかァ?』


 それでもイゼは懲りずにそう問いかけてきた。


 本当に、しつこい。


『悔しいかァ?』


 悔しくないよ。


『悔しいかァ?』


 悔しくないって。


『オイ』


 だから。


『──悔しいかァ?』


 だからッ。



「悔しくないワケ、ないッ!!」



 それは脊髄から放たれた言葉だった。

 行き場を失っていた感情が出口を見つけたように口から溢れ出てくる。

 数日ぶりの大声に、ぐわんぐわんと揺れる視界。

 だけど、もう構わない。


「悔しいよッ。

 悔しいに、決まってる!

 忘れようと目を背けてないと、おかしくなりそうなくらい!」


 止まらない。

 止められない。


『ああ、それで?』


 それは久し振りに聞いたイゼの『悔しいか』以外の言葉だった。


『それだけじャねェだろ?

 もッとだァ。

 全部全部〝ことば〟にしてぶち撒けろァ。

 続きはそれからだァ』


「っ」


 僕は自分の中にある箍が外れる音を聞いた。

 堰を切ったように押し寄せてくる感情。

 僕はそれに呑まれそうになりながら、口を開く。


 僕は。

 僕はッ。


「自分自身が、恥ずかしい……ッ」


 水面を帯びていた瞳から、涙が溢れた。


 情けない自分。

 どうしようもない自分。

 誇れるものなんて一個もない自分。

 ──臆病者に生まれてしまった自分。


 こんな僕に一番嫌気がさしているのは、僕だ。


 僕は僕が恥ずかしくて堪らない。

 僕は僕に腹が立って仕方がない。

 悪いのはこんな風に生まれてしまった僕自身だ。


「だけどッ!」


 だけど、腹が立った。

 これまでの僕を否定されて。

 これからの僕を否定されて。

 僕自身の全てを否定されて。


 悔しいと思った。

 見返したいと思った。

 認めさせたいと思った。


 もっと。

 もっともっと。

 強くなりたいと、そう思った。


 立ち止まりたくない。

 諦めたくない。

 主役になれないと口で告げられて「そうですか、分かりました」と簡単に諦められるほど、僕は物分かりの良い人間じゃない。


 主役の愉快な仲間の一人として、一緒に主役と笑い合うだけの人生を送ることができればそれで満足だ。

 そう思えるほど僕は無欲でもない。


 思い出せ。

 愚かで臆病な僕の、唯一の取り柄。

 ──向こう見ず。

 それのせいで痛い思いを沢山してきた。

 苦しい思いも、沢山。

 だけど、それが僕だ。


 一生『主役』になれないのかもしれない。

 一生『端役』のままなのかもしれない。

 一生『臆病』を抱えて生きていくしかないのかもしれない。


 でもそんなの知らん振りして走り出せる。

 きっとそれが僕にできることだ。

 僕にしかできないことだ。


 ──誰に何と言われても、僕は主役への憧れを捨ててやるものか。

 それは僕を突き動かすたった一つのもの。

 僕は涙を拭って顔を上げた。


『やッとマシな顔になッたなァ!』


 イゼは嬉しそうにそう口にし、『よく聞けやァ!』と続けた。


『何が正解かァ。

 何が間違いかァ。

 何を貫けばいいかァ。

 何と向き合えばいいかァ。

 こんなちッぽけな部屋の中であれこれ考えて、答えを導き出そうとしてどうするァ!

 それは時間が解決してくれる問題かァ?

 違ェだろァ!

 その答えはァ、闘いの中にしか眠ッてねェ!

 死闘に身を投じずして答えを導き出そうなんてのはただの甘えだァ!!』


 その声に、その言葉に。

 心がビリビリと震えた。


 を 懸 け る 覚  悟なんか要らねェ! 逃げんなァ!

 イイかァァ、でけェ壁を前にして生まれる選択肢は「立ち向かう」か「逃げる」かの二つじャあねえ!

 ──「越える」か「越えられない」かの二つなんだよァ!

 今日逃げたら明日はもッとでけえ覚悟が必要になるァ!

 明日逃げたら明後日はもッと!

 明後日逃げたらその次はもッとだァ!

 後先なんか考えず突っ込め!

 それが正解だァ!』


 ──命を懸ける覚悟。


 それはつい最近師匠の口から聞いた言葉。

 僕を支え、同時に縛り付けていた言葉。

 イゼはそれを真っ向から否定した。

 それはハッキリと。


 相反する二つの意見。


 僕にはそれのどっちが正解かなんて分からない。

 だけど走り続けてさえいれば、その答えは自ずと見えてくる。

 そんな確信があった。


 だから。

 だから。


「強く、なってやる」


 僕は決意を固めると共にそう呟いた。


=====


「本当に後先考えずに飛び出してきちゃったけど、大丈夫だよね」


 ──山籠りなんて、と。

 僕は剣の都の外にある魔獣の森を前にして、そう呟いた。


 地面を震わせる魔獣の足音。

 空に轟く魔獣の鳴き声。

 どこかから臭ってくる肉が腐ったような異臭。


『あァ!?

 早速弱音かァ!?』


「あっ、なし! 今のはなし!」


 僕は声を張り上げてそう言った。

 気を抜くと『臆病』な僕が顔を出してくる。

 僕は両手で頬を引っ叩いて気持ちを入れ直した。


『心配すんなァ!

 今の大将ならこの森くれェ対応できるだろォよァ!

 丹精込めて育成してもらッた当て馬として自信持てやァ!!

 力だけはァちャんと身になッてんだァ!』


 それは自信を持って良いことなのか。

 そんな疑問を抱きつつも、僕は大きく息を吸い込んだ。


 大丈夫。大丈夫だ。

 僕ならやれる。


『目標はァもちろん【大鬼】の討伐だァ!』


「うん」


 それは僕の前に立ちはだかっている巨大な壁。

 頭の中にこびり付いて離れない敗北の象徴。

 僕の成長の過程に影を落としている負の鎖トラウマ 


 僕はその怪物への勝利をもって、壁を突き破る。


 未来がどうなるかなんて分からない。

 だけど僕は必ず臆病な自分と決別して道を切り拓いてみせる。主役へと至るために。


 僕はそんな決意と共に走り出した。

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