13話:《枷》を外せ


 距離にすると数十キロメートルにも及ぶと言われている剣の都の外壁。

 魔素が練りこまれた石によって形を成しているその外壁の表面には、虫が一匹入り込めるほどの隙間すら存在しない。


 剣の都の持つ長い歴史の中、その外壁が破られたという記録は一切ない。

 それはまさに不落の外壁。


「いだだだだだだだぁぁ!!」


『走れ走れ走れェェェ!!!』


 そんな栄光の壁の上を、僕は目に涙を滲ませながら走っていた。


 脚を中心に身体中を蝕んでくる激痛。

 喉が裂けんばかりの大声をずっと出していないと、痛みを我慢をすることさえできなくなる。


『痛ェか!! 痛ェだろうなァ!!

 もッと痛がれェ! どんどん痛がれェ!!

 だがその痛みこそがお前の成長している証そのものだァ!!

 痛けりャ痛ェほどてめェは強くなれるァァ!!』


「ぐ、ぐぅぅあああああ!!

 ふぁあああああああああああああ!!」


 あれから、僕は身体中の《枷》を外す感覚を掴むことができるようになるまでに成長していた。


 一歩ずつ、一歩ずつ。

 諦めなければ必ず前に進むことができる。

 そんな手応えも、確かに感じている。


 だけど、その一歩を踏み出すことが泣きたくなるくらい困難なこともある。

 そう思えるようにもなっていた。


 ギフト──【飢えた万雷ハングリィ・ダンプティ 】を使いこなせるようになるための鍛錬。

 その第二段階目。

 それがまさに地獄だったためだ。


 僕は今まさに、その地獄の真っ只中にいる。


『おッとァ! 減速してきたんじャねェかァ!?』


 イゼのそんな言葉に尻を叩かれて、僕は身体中が訴えてくる痛みを無視したまま加速を断行した。


 ──《枷》を外した状態で、気を失うまで走り続ける。

 それが二段階目の鍛錬の内容だ。

 それは常に限界の突破を強要される訓練。


 僕はこの訓練の中で、自分がどれくらいのペースで成長していっているのかを掴めないでいた。

 速く走る。それ以外のことに頭を回せる状態ではないから。

 ただひたすらにそのたった一つを突き通すことしか考えていないから。


「はあっ! はあっ! っ、くそ、ぉ」


 ぐらりと突如として視界が乱れる。

 これはもうすでに慣れ親しんだ感覚だった。

 そう、気を失う寸前に訪れる感覚。


 最後に僕は迫り来る地面に落ちている自分の影を視界に映し、衝撃を感じる暇もなく意識を手放した。


=====


『今日は合計六オチかァ。

 まあ最初の頃に比べりャあ、だィィぶ丈夫になッた方だなァ!』


 イゼのそんな声を耳にしながら、僕は夕焼けに染まる帰り道を走っていた。


 もう今すぐにでもベッドに飛び込んで身体を休ませたい。寝たい。

 そんな欲求に抗いながら、僕は走り続ける。


 ふと「あの子いつ見ても走ってるわね」という言葉が耳を掠めた。それは僕に向けられた言葉。


 ちらりとその声の主に視線を向ける。

 そこにいたのは、世間話をする何人かのおばさまたちだった。


 いつ見ても走ってる、か。

 本当にそうだ。

 今となっては当たり前になってしまっていて何とも思わないけど、最後に自分が“歩く”という動作をしたのがいつだったか思い出すこともできない。

 まさに“走る”ということが何よりも欠かせない日常生活の一部となっていることの表れだった。


 だけど。

 最近ふと思うことがある。

 この走りは、本当に報われているのか。

 僕は本当に速くなれているのか、と。


「っ、だめだだめだ!」


 誰よりも僕が自分を信じれなくてどうする。


 僕は目の前に迫った『鈴の宿』の扉を潜る前に一度立ち止まり、頬をばちんと叩いた。

 そして気合を入れ直し、また走り出す。

 カウンターにはいつも通り女将さんの姿があった。


「戻りました!」


「あら、おかえりなさい。

 まあ、またボロボロで。

 お夕飯は水浴びの後になされますか?」


「はい!

 すぐに用意をしてきます!」


 僕は一礼と共にそう返し、階段を駆け上がった。


「それにしても最近、物騒な噂をよく聞きますのでアイルさんもお気をつけなさってくださいね」


「物騒な噂?」


 女将さんの口からそんな話を聞いたのは、夕飯を食べ終わった後のことだった。

 空にした食器を手渡す僕に向かって女将さんは言った。


「【黒い男】についてご存知ではありませんか?

 闇に溶け込むような色の服を身に纏って、夜の都に現れるという男の話です」


「えっと、初耳です」


「そうですか。

 それではここで知っておいた方が良さそうですね。

 最近、その【黒い男】と呼ばれる人物が、下品な笑い声をあげながら都中の腕の立つ冒険者を狩り回っているとの噂があります。

 また、その【黒い男】は例の『精霊樹が斬り倒された件』にも関与しているなんて話もあって」


 心臓が飛び跳ねた。

 精霊樹が斬り倒された件。

 それの原因は僕とイゼにある。

 それに、関与している?


『んあァ?

 偶然この都を脅かすような事件が同時に二つ起こッたんだァ。

 おそらく勝手にそれらの噂を結び付けやがッたヤツがいるんだろうよァ、どうせなァ』


 僕と一緒に話を聞いていたイゼがそんなことを口にした。


 なるほど。

 というか普通に考えるとそうだよね。

 だけども、うーん。

 これは、どう捉えればいいのだろうか。


 その【黒い男】という人のせいで、僕たちのやってしまったことに尾ひれがついていくのは良くないことだ。

 だけど、逆に考えるとその【黒い男】が僕たちのやってしまった『精霊樹倒し』ごと悪名を背負ってくれているとも捉えることができる。


 これは、感謝した方が良い、のか?


『まァ、その【黒い男】とやらがどう動いてどんな結末を迎えようがァ、オレらは沈黙を貫いてる限りバレるこたァねェんだ。

 そういうヤツもいる、くらいに考えておこうぜェ』


 イゼはそう言っていた。

 だから僕も「まあ、大丈夫か」という気持ちになった。

 僕は最後に女将さんに「おやすみなさい!」と告げて部屋へと駆け出した。


=====


「うゔ、身体中が痛い」


 僕はベッドに倒れ込み、そう呻いた。


『オイオイ!

 寝るにャあまだ早ェぜェ!

 鍛錬の続きだァ!』


「うっ、はい」


 僕はのそのそと上半身を持ち上げ、床の上に座り直す。

 そして大きく開脚をした。

 左足のつま先から右足のつま先までの間が一直線になるように意識し、上体を地面に倒す。


『これだけァ難なくこなしちまうんだよなァ』


 イゼがそう呟いた。


 関節の可動域拡大。

 これも〖解枷〗によって《枷》を外すための鍛錬の一つだった。


 まずは股関節の《枷》を外し、常人には再現できないようなの体勢を作り出す。

 股関節が終われば、膝関節から足関節。

 そして肩関節から肘関節と、主に下半身を中心に身体中のあらゆる関節の《枷》を外していった。


 僕はこの関節の《枷》を外すことに関しては抜群のセンスを持っていたらしい。

 初めてこれを披露した時のイゼの驚きようは今でも鮮明に思い出せる。


 自分ではどれくらい凄いのかは分からないけど、筋肉の《枷》を外すことよりは何倍も楽であることは確かだ。

 昼間の走りと並行して筋肉の《枷》を外す訓練はこれとは比べ物にならないくらいの地獄だし。


『まァ、関節はこれくらいでいいだろァ!』


 特に問題なく全ての型を終えた僕に、イゼはそう言い放った。

 僕はその言葉を聞いて姿勢を正す。


『最後ァ、感覚の《枷》外しだァ!』


 それは原点にして、最も大切なこと。

 この〖解枷〗の訓練を始めるにあたって一番最初に取り組んだこと。

 そして、一番長く取り組んでいること。


 僕は、頭の中──脳にある《枷》を想像する。


 複雑な構造をしている脳には、無限と言って良いほどの《枷》が存在している。

 僕が今外すことにができるのは、その中のほんの一部だ。

 だけど丁寧に、確実に、その《枷》を一つ一つ外してゆく。


「すぅーっ、はぁーっ」


 感覚を研いで研いで研ぎ澄ます。


 もっと、もっと。

 より深く、より深く。

 よし──外れた。


『そう、そのままだァ。

 その状態を保てェ』


 最初は負荷に耐えられず鼻血を溢れさせてしまった僕だけど、今となってはそれも大分抑えられるようになっていた。

 この感覚に、ひたすら没頭する。


 そして脳の《枷》を外したまま、三〇秒。


「……っ、ぐ、ぐぅぅ、っはあっ! はあっ!」


 限界は突如として訪れた。

 前のめりになって床に手をつく。

 鼻血は、出てない。


『今日は調子イイじャあねェかァ!!

 その調子であと一〇周だァ!』


「っ、うん……!」


 僕はそれから、睡魔に飲み込まれてしまうまで訓練を続けた。

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