14話:加速する成長


 一度見た【迅姫】のお手本をなぞるようにして、僕は短剣を振るっていた。

 剣身に反射した朝日が時々顔を照らしてくる。


 幾度となく繰り返してきた素振り。

 剣の筋道、筋肉の動かし方、効率の良い呼吸法。

 それらを意識することで、一つの型を終えるまでの時間は倍以上にまで短くなっていた。


 ちなみにこの素振りの中で《枷》は外していない。


 原点回帰。

 この素振りは自分を見つめ直す作業であり、身体との対話なんだ。


「よし」


 一通り素振りを行った僕は汗を拭いた。

 毎日欠かさずに行なっている素振りに対して贈られる精霊からの【祝福ファンファーレ 】を、僕は【精霊結晶】を通して受け取る。

 そして、また一つ成長したであろう身体を見下ろした。


 ──《深度》一〇〇〇を越えること。

 あの課題を師匠から与えられたからすでに二か月が経過している。


 今の僕の《深度》はどれくらいだろう。

 もう達成しているんだろうか。


「……一度、測定しに行ってみようかな」


 例の『精霊樹事件』の熱りも大分冷めた頃だ。

 僕は意を決したように拳を握りしめる。

 行こう。師匠の元へ。


「朝食ができましたよ。

 今日は言われた通りに獣の肝の量を増やしておきましたので」


 ……その前に倒しておかなければならない敵がいたんだった。


=====


「ベルシェリアさんは丁度席を外されています」


 【氷霊】のギルドの受付嬢をしているお姉さんは師匠を探す僕に向かってそう告げた。


「何日かに一回あるんですよね、憂さ晴らしに魔獣狩りへと出かけられる日が。

 最近は【黒い男】の話もあって特に色々と溜め込まれていたようですから」


 その言葉を聞いて、高笑いしながら魔獣を狩り回る師匠の姿が脳裏に浮かんだ。

 それはまさに歩く災害。

 憂さ晴らしで狩られる魔獣が少し可哀想だ。


『つゥか、まァァた【黒い男】かよァ!

 最近じャ一番の有名人じャねェかァ!』


 なぜか嬉しそうにイゼはそんな声をあげた。


「でも大丈夫ですよ。

 アイルさんがいつか訪ねて来られる、とベルシェリアさんには前々から言われていましたので。

 それでは【精霊結晶】をお貸しください。

 早速深度の測定を行いますので」


「あ、は、はいっ」


 僕はあらかじめ外しておいた足輪アンクレット を受付嬢のお姉さんに手渡した。

 そして胸を高鳴らせながらその様子を見守る。


 そして待つこと三〇秒。


「これは、間違いなくアナタの【精霊結晶】なんですよね」


 帰ってきたのは、そんな言葉だった。


「は、はい」


「そうです、よね。

 ちなみに確認ですが、この【精霊結晶】を身につけ始めてからどれくらい経つのですか」


「えっと、二か月半くらい、です」


 そんな僕の言葉を聞いた受付嬢さんの額に、僅かに汗が滲んでいるのが分かった。

 その熟練の笑顔さえ少し引攣らせてしまっている様子に、思わず僕も顔を強張らせてしまう。


 互いに顔を見合わせて固まる僕たち。

 暫くしてようやく、受付嬢のお姉さんがゆっくりと口を開いた。


「し、《深度》一八〇〇超えです」


「せんはっぴゃ!?」


 前回測定した時点では三〇〇ほどだった。

 ということは、二か月で約六倍?


「ち、ちなみにこの成長速度は?」


「は、はい。当然普通ではないです。

 最近、新星の中で最も伸びが早いとされているシティさんには僅かに劣りますが、彼女を除けば今最も伸びている新星はアイルさんかと」


『まァ、当然だよなァ!?』


「っ」


 僕は、今にも駆け出したい衝動に駆られてしまっていた。


 報われていた。

 走り続けたこの二か月の日々は、ちゃんと報われていたんだ。

 二か月前と変わった僕を、早く試してみたい。感じてみたい。


「そ、その、師匠──ベルシェリアさんはいつ頃帰ってくるか分かりますかっ」


「え? えっと、いつも通りであれば暗くなる前にはお戻りになられるかと」


「それじゃあ、今日中にまた来ます!

 ありがとうございました! また!」


 僕はそう言い残して駆け出した。

 この逸る気持ちを抑えることは、今の僕にはどうもできそうになかった。


=====


 僕は久々に目にしたその景色に、安心感すら覚えていた。


 精霊樹の庭。

 ここはその中にある一角。

 もう一人の師匠がいる場所。


『よしァ、とりあえず挨拶しとけやァ!』


「お久しぶりです精霊樹ししょう !」


『ぎャははァ! 馬ァァ鹿ァ!』


 何やってるんだろう僕たち。


 僕は一度冷静になってその精霊樹と向き合った。

 一番大きな精霊樹はイゼが倒してしまったけど、この場所は全然変わってない。

 あの日、あの時のままだ。

 だけど。


「僕は変わったってところを、見せつけないと」


 そう呟いて、僕は腰の短剣を抜いた。

 葉っぱ斬り。

 これまでの僕の最高記録は三〇枚。


 目標はそれ以上。

 いや──全部だ。

 師匠も、シティさんも、それくらい容易くやってみせる。

 だから僕だって。


 僕は師匠が一番最初に見せてくれたお手本を真似るように、腰を低く落とした。

 そして今外せるだけの身体中の《枷》を全て一気に外す。


「ぐ、っ!?」


 するとビギ、と音をたてて身体中が悲鳴をあげた。


『オイオイ欲張りクンよォ!

 いきなりそれァ無理があるぜェ!

 今のテメェじャその負荷にャあ耐えられねェ!

 オレほどの制御ができりャあ話は別だかなァ!』


 イゼにそう指摘され、僕は身体中の《枷》を元に戻す。

 そして大きく深呼吸をすることで気持ちを落ち着かせた。


 そんな僕の様子を見て『よしァ!』と叫ぶと、イゼは言った。


『イイかァ? よく聞けェ!

 外す《枷》はァ、 み イイ』


「え?」


 脳みそだけ?


『ああァ、おそらくそれだけでェ、自分がどれだけ成長してんのかッてのは分かるだろうよァ!』


 そのイゼの声はどこか弾んでいるような気がした。

 新しい玩具を渡した子供の反応を楽しむような、そんな声。


 僕はゴクリと唾を飲み込んだ。


「分かった。やってみる」


 僕はもう一度大きな深呼吸をした。

 そしていつもの訓練の要領で、脳内に存在している《枷》を取り払う。


 よし、行こう。

 僕は思いっきり精霊樹の幹を蹴りつけた。

 宙を葉っぱがひらひらと舞い始める。


『それじャあ、新しく映る世界を存分に体感しなァ』


 最後にそんなイゼの声を耳にすると同時に、僕は足裏で地面を押し出した。

 そして──その世界に没入する。


「っ、え?」


 視界に映るもの全てが く だった。


 落ちてくる葉っぱ。揺れる幹。流れる雲。

 頬を撫で付けてくる風。靴の裏で弾かれる石。

 自分の呼吸音。筋肉の収縮。血管の膨張。心音。

 全てが遅く、それでいて鮮明に感じられた。


 これが脳の《枷》を外したことによって享受できる恩恵。

 情報処理速度の限界突破。

 それにより生じる、思考の超加速。


 ──ゾク、と一瞬にして全身の皮膚が粟立つ感覚に襲われた。

 駆け巡る全能感。

 今ならなんだってできると、本気でそう思えた。


「あァ──あああああああああああああッッ!!」


 葉っぱを斬る。

 斬る、斬る、斬る、斬る。

 斬る斬る斬る斬る斬る斬る。

 斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬るァ!


「ああああ──だっ!?」


 そして何十枚目かの葉っぱの表面に剣身を通そうと構え、盛大に転んだ。

 思いっきり地面と抱擁、そして接吻を交わす。

 短剣はスポンと抜け去ってしまった。


「いっだぁぁぁい!!」


『ぎャははははははははははははははァァ!!!

 やッぱ最高だなァテメェ!!』


 こっちは笑いごとじゃないんだけど!


 恥ずかしさで顔が熱くなる。

 僕は痛みを訴えかけてくる箇所を手でさすりながらプルプルと震えていた。

 一頻り笑うと、イゼは『まァ』と話を切り出した。


『思考だけが加速しても、身体の速さが追い付かなきャあ完全な力を発揮するこたァできねェッてワケだァァ!

 これを教訓にこれからの訓練にァ励んでいくことだァなァ!!』


「う、うん」


 イゼの言う通り、僕はこれから思考と身体の《枷》を並行して外すことができるようになっていかなければならない。


 今の僕にはできないこと。

 だけど焦らず、また一歩一歩進んで行こう。

 そう決意を固める僕。


『よォしイイ顔になッたなァ!

 まァ、色々言いはしたが、今ばかりは浮かれてもイイと思うぜェ!』


「え?」


 イゼは続けて『周りを見てみなァ!』と口にした。

 それに従って行動し、僕は目を大きく見開いた。


 精霊樹の周りを舞う沢山の【祝福】。

 それはもちろん、僕に贈られているもの。

 その【祝福】は足輪を通ってゆっくりと僕の中へと染み込んでゆく。


『四二枚。それが今回の記録だァ!

 精霊サンはどんな影の努力でもその過程をずッと見てくれてるァ。

 そのことも頭に入れて頑張ッていけやァ!』


「……うん」


 僕はその【祝福】の温もりを握りしめながら、そう呟いた。

 そして立ち上がり、もう一度精霊樹と向き直った。

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