15話:闘技場


「久しぶりーってうわっ!

 どうしたのそんなボロボロになって!?」


 夜になり再び【氷霊】のギルドを訪れた僕。

 そんな僕の姿を見て一番に師匠が放ったのはそんな言葉だった。


「えっと、その、少し鍛錬に熱中してしまって」


 僕は自分の身体を見下ろしてそう答える。


 つま先が突き破られたブーツ。

 所々に穴が空いている服。

 泥だらけの両手。

 これらは全て、今日一日の鍛錬でできたものだ。


『外側だけ見りャあまるで一日中遊び倒したガキんちョだなァ』


 う、うるさいよ!


 心の中ではそんなツッコミを入れつつも、顔では下手くそな笑みを保っていた。

 というか師匠の前でイゼは黙っていてほしい。

 精霊樹を斬り倒した件もあって、何かボロを出しそうだから。僕が。


「そうそう、聞いたよ!

 流石アイル! たった二か月で《深度》一〇〇〇達成するなんてね!

 そんな優秀な弟子には、こうだ!!」


「わっ!」


 勢い良く僕の頭をワシワシと撫で回してくる師匠。

 鍛錬のせいで泥だらけになっていたんだけど、そんなの御構い無し。


 僕はされるがまま。

 顔を赤くしてじっと動かなかった。

 というか動かなかった。


 しばらくすると、師匠は僕の頭から両手を離す。

 そして改めて僕の身体をまじまじと観察してくる。


「うんうん、筋肉もちゃんと付いてきてる。

 特に脚は良い感じに引き締まってきてるね。

 ……あれ、なんだか関節周りもやけに鍛えられてるような。

 なんだか特殊な訓練でもしてる?」


 ビクーッと心臓が跳ねた。

 師匠の目には、完全に見抜かれてる。

 下手すると【ギフト】の存在がバレてしまうかもしれない。


「う、うん。ちょっと、独学で」


 それでも嘘をつけない僕は、ぼんやりとした返事でその質問を受け流した。

 そんな僕に師匠は追い打ちをかけ……てくることはなく、やけにあっさりと「そっか!」と納得してしまった。


「その訓練、今のアイルの身体を見る限り効果的だと思うから、これからも続けた方が良いよ!」


「は、はい!」


 グッ、と親指を立ててそう言う師匠に、僕はホッとした。


「じゃあ課題を達成してすぐだけど、次の課題を設定するよ!」


 そしてニヤリと笑ってそう告げる師匠に、僕は唾を飲み込んだ。


「次の課題は──【闘技場】で勝ち進んで、第二級闘技者にまで成り上がること!」


「闘技場、ですか?」


「そう!」


「闘技場。

 ……闘技場!」


 この剣の都には、様々な場所やものが揃っている。

 むしろ無いものの方が少ないと思う。

 もう数か月間ここで暮らしているけど、それは特に感じていることだ。


 だから【闘技場】があったって何らおかしくない。

 その筈なのに、僕の胸はその単語を聞いた瞬間から鳴りっぱなしになっていた。


「【闘技場】ってのいうのは『闘技者』と『魔獣』が闘う場所のこと!

 もちろん大勢の観客の前で!

 そこで魔獣と闘ってる闘技者たちには上からそれぞれ《一級》《二級》《三級》って階級が存在してるんだ。

 階級が上がっていくにつれてぶつけられる魔獣の力は強くなっていくし、また勝つことによって得られる賞金の金額も増えていく。

 特に名を上げたい冒険者たちはまずここで修行を積む!

 冒険者の登竜門ってやつだね!」


「な、なるほど」


 大まか想像通りの場所だった。


「【闘技場】はここ剣の都でも有名な興行の一つだからね。

 ここで活躍できたら一気に名を上げることができるんだよ!」


「……」


 僕に関しては、凱旋道の上に吐瀉物を撒き散らした時点で名は十分上がってしまったんだけど。


 そんな頭の中をよぎった考えを、ブンブンと首を振ることで払い去る。

 何事も前向きに考えよう、僕。


「今日の予定はもう全部終わっちゃってるから、明日実際に見に行ってみよう!

 ちなみにシティも今【闘技場】で修行してるよ!」


「え、シティさんも?」


 初めて聞くそんな情報に、僕は少し驚いた。


 それは、大丈夫なんだろうか。

 シティさんは心に大きな《枷》を抱えている。

 大勢の人々の視線に囲まれながら魔獣と闘わされるなんて、彼女にとってはまさに地獄の筈だ。


 そんな疑問を視線に乗せて師匠へと送る。

 すると師匠は嬉しそうに笑って口を開いた。


「それがね、シティも最近変わろうとしてるんだ。

 それもすごい速さで成長している弟弟子に当てられてね」


「おとうと、でし。

 ……それは、僕のことですか?」


「うん!」


 あのシティさんが、僕に当てられて?

 まだ僕のずっと先にいるシティさんが?

 僕を、意識してくれている。


「っ」


 嬉しいような、むず痒いような感情が胸の中に湧き上がってくる。


「だから、明日は【闘技場】の雰囲気を味わうことも兼ねて、シティを応援しに行こう!」


「は、はい!」


 大きくそう返した僕の頭を、師匠はもう一度強く撫で回した。


「よし、じゃあ今日は帰ってよく休むこと!

 私はまだ残ってやることがあるから、アイルとは残念だけどここでお別れ!」


 とほほ、と落ち込んだ様子でそう話す師匠。

 仕事続きなんだろうか。

 よく見ると薄っすらとだけど目の下にはくまが浮かんでいる。


「あ、そうだ。アイルにも言っておくけど、夜はあまり外を出歩かないようにね」


「えっと、それは【黒い男】に襲われるかもしれないからですか?」


「ああ、知ってるんだ。

 そう。その【黒い男】とやらが最近この都中で暴れまわってて。

 ウチも含めてギルドの連中は大騒がしなんだ」


 そう言ってガクリと肩を落とす師匠。

 しかしその瞳には怒りの色が宿っていた。

 まさに「私が出会ったらぶっ潰してやる」といった感じだ。


「ウチのギルドの上級者連中ですら手も足も出せないくらい強いみたいだから、アイルはもし出会っても絶対にすぐに逃げるんだよ!

 それじゃ! また明日ね!」


 そう言うと、師匠は急いだ様子で去って行ってしまった。

 僕はその背中が見えなくなるまで、師匠を見送る。


 やっぱり、頑張る師匠の背中はかっこいいな。


『さァて、じャあその【黒い男】とやらにブチのめされちまう前に戻ろォやァ大将』


「え? う、うん」


 と。

 イゼのそんな言葉に大人しく返事をする僕。

 だけど、なんだろう。

 今のイゼに、僕は何故か少し違和感を覚えた。


 普通なら『【黒い男】かァ! 上等だァ! 出てきたらオレがぶッ潰してやるァ!』くらい言いそうなんだけどな。

 考えすぎ、かな。


 僕はパンパンと頬を両手で挟み込んで気持ちを入れ替える。

 そして踵を返して『鈴の宿』へと向かって駆け出した。


=====


 翌朝、僕は円形闘技場の巨大な外観を目にし、圧倒されていた。


 外にいても伝わってくる熱気。

 地面を震わせる大勢の人々の足音。

 辺りには老若男女問わず様々な年代、そして様々な種族の人たちの姿があった。


 まさにこれこそが剣の都で一番の娯楽用施設、という感じだ。


『ァァァァこの空気たまんねェェなあオイ!!』


 イゼが興奮したようにそう叫ぶ。

 僕も周りに人がいなければ同じように叫んでしまっていたかもしれない。

 それくらい凄いのだ。


「じゃあ行こっか。

 もうそろそろシティの番だよ」


 隣に立つ師匠はそう言って、平然と僕の手を握ってきた。

 心臓が凄い勢いで飛び跳ねる。


「こうしてないとはぐれちゃうからね」


 僕をからかうようにウインクを送ってくる師匠。

 遊んでる。絶対に遊んでいる。

 僕を子供扱いしてその反応を楽しんでいるのだ。


 ちょっと。

 ほんのちょっと、頭にくる。


「……」


『でもなァんもやり返せないんだよなァァ。

 アイルチャンはァ!』


 う、うるさいよ!


 そんな感じで僕は席まで誘導された。

 そこは特等席と言って良いほど見晴らしの良い席だった。

 まあ、師匠が用意した席なんだから当たり前か。


 僕たちは二人して腰を下ろした。

 そして闘技者と魔獣が命を削り合う場所──円形闘技場の中心部分に視線を落とす。

 そこでは丁度、前の闘いの後処理が行われている最中だった。


 捲れた地面に凹んだ壁。

 そして所々に撒き散っている赤い液体。

 それら全てが、今まで行われていた壮絶な闘いの様子を物語っている。


 僕はゴクリと唾を飲み込んだ。


「お、出て来るよ」


 師匠がそう言った次の瞬間、僕らから見て左側の方にある闘技場の通路からシティさんが姿を現した。

 その姿はまさに、戦場に降り立った雪の精霊。


 人々の熱気は一瞬にして最高潮に達する。


「【淑姫】!」「シティーー!!」「超新星スーパールーキー !」「こっちを向いてくれー!」「好きだ!!!」


 その割れんばかりの歓声に、僕は一瞬息をするのも忘れてしまっていた。


 視線、期待、憧憬。

 それら全てを一身に受け、シティさんはそこに足を踏み出す。


 凄い。

 あれが僕の姉弟子にして好敵手ライバル 。

 未だ背中すら見えていない遠くの存在。

 僕はあの場所に自分が立っている姿を想像しようとして、できなかった。


 と、


『────ゥ』


 それは唸り声だった。

 人間のものじゃない、理性を持たない獣の唸り声。

 闘技場中を埋め尽くしていた歓声もピタリと鳴り止む。


 するとその静寂を待っていたかのように、シティさんが現れた通路とは逆側に位置している鉄格子が突き破られた。

 そしてその獣は解き放たれる。


『ヴヴるアアアアアアアアアアアアッッッ!!』


 一角猪。

 それは一本の屈強な角を額に生やした四足獣。

 その暴虐さに、野生の一角猪が通った後には獣の死体で道ができるなんて言い伝えがあるほど。

 走り出すと死ぬまで止まらない。

 それがシティさんの相手、一角猪。


 血に飢えたように目を血走らせ、突進の構えを作る一角猪。

 対するシティさんは──凄く落ち着いていた。


「うん、ちゃんと集中できてる」


 師匠が隣でそんな言葉を零す。

 直後、一角猪が前へと飛び出した。

 それは一撃必殺の猛進。

 命を刈り取ることのみに特化した技。


 そんな一角猪の攻撃を前にシティさんがとった行動は──前進だった。

 受け流すでも、避けるでもなく、前進。


 観客たちも一瞬ザワついた。

 しかしシティさんは止まらない。

 そしてその時は訪れる。

 一人と一匹の衝突。


 その刹那の接触を制したのは──


「ふッッ」


 シティさんだった。


 目にも留まらぬ勢いで振るわれる短剣。

 僕に辛うじて見えた限りでは、おそらく二撃。

 すると直後その答え合せをするかのようにして、二箇所。一角猪の両目から鮮血が吹き上がった。


『きまりだなァ』


 イゼが呟いた通り、そこからは最後までシティさんの独壇場となった。

 僕はかつてないほどの歓声を聞いた。

 そして闘技場を埋め尽くすほどの【祝福ファンファーレ 】を目に焼き付けた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る