4話:片鱗


 気を取り直したベルお姉さんに無理矢理連れられて、僕たちは再び【氷霊】のギルドへと戻ってきていた。


「とりあえず武器! 剣、剣、剣!

 武器の性能で少しでも差を縮めようっ。

 良い武器を見繕ってあげるからねアイルちゃん!」


 ふんすっ、と鼻で息を吐きながらそう口にするベルお姉さんに引っ張られて【氷霊】のギルドの門を潜る僕。

 再び姿を現した余所者の存在に眉を顰めるギルドの冒険者たち。

 しかし、そんなの御構いなしといった様子のベルお姉さんに隠れて、薄暗い通路をズンズンと進んでいく。


「着いたっ、ここ!」


 そして、到着する。

 ベルお姉さんの視線をなぞるようにして顔を上げると、そこには道を塞いでいる大きな扉があった。

 大きい。ひたすらに大きい扉だ。

 それでいて、驚くほど厳重に鍵がかけてある。


「べ、ベルお姉さん。ここは?」


「きになるぅ? びっくりするよー。

 ここはウチのギルドのほ・う・も・つ・こ」


 ベルお姉さんが触れた直後に、がしゃんと音を立てて落ちる鍵。

 僕はゴクリと唾を飲んで、その光景を見ていた。

 そんな僕の様子をニタニタという表現がぴったりの表情で見ていたベルお姉さんは、宝石箱の蓋を空けるようにしてその扉を開け広げた。


「う、わぁ」


 そして、その先にあった光景を見て、僕は無意識のうちにそんな声を零してしまう。

 目を見開いて。

 おまけに、前のめりになったりして。


 そこにあったのは──キラキラと輝く武器や防具の山だった。

 それだけじゃない。他にも、魔獣から剥ぎ取ったのであろう牙やツノ、そして皮。

 煌びやかな宝石に、明らかに上質な雰囲気を醸し出している宝具まで。


 この光景を目にして、夢中にならない子供なんていない。

 気付けば頬も自然と緩んでしまっていた。


「満足するにはまだ早いよ!

 本番はこれからだからっ。

 気合入れて武器を漁るよー!」





「はあ、はあ……だ、だめ」


「え〜! これも〜?」


 結論から言うと、ここに今の僕がまともに振ることのできる武器は一つもなかった。

 今ベルお姉さんが木の枝を扱うようにして振り回している短剣だって、僕にとっては持ち上げるのでやっとのほどの代物だ。もちろん、両手で。


「これが一番軽い短剣なんだけどな〜」


「ぼ、僕には持てないよ」


「う〜ん、じゃあ仕方ないか。

 武器に頼ってズルするのはやめよう」


 ベルお姉さんはそう言うと、手に持っていた短剣をため息と共に放り投げた。

 僕は無意識にその短剣が描く軌跡を目でなぞる。すると、綺麗な弧を描いて宙を滑っていったソレは、部屋の一角に置かれていた木箱へと見事に着弾した。

 そして、その箱の中身を派手にぶちまけさせる。


「うわ、やっちゃった。

 出よ出よ、アイルちゃん」


「う、うん」


 ひぇー、と言って早足で出口へと向かって行くベルお姉さん。

 僕はその背中を追いかけようと足を踏み出し、


『んだァ!? 雑に扱いやがッてァ!?』


 背後から上がった、そんな声を聞いた。

 やけに耳につく荒々しい声。

 そんな突然の出来事に、身体が強張ってしまう。


 僕たちの他にもこの部屋に人がいたのか。

 頭によぎったそんな考えと共に、僕は慌てて振り向いた。

 しかし──そこには何もない。

 人の影も、気配もない。


「あ、あれ?」


 気のせい?

 いや、そんなはずない。

 いや、待って。


 もしかして……おばけ?


 冷たい汗が背中の上をを滑り落ちてゆく。

 いや、違う。絶対に違う。

 発汗で顔が大変なことになりながら、僕は再び出口に向かうために踵を返す。


 しかし、


『あァ? んだァ、このチンカス臭えガキはァ』


「っ──っっ」


 ハッキリと聞こえた声が、そんな僕を引き止めた。


 気のせいじゃなかった。

 気のせいじゃなかった。

 気のせいじゃなかったっ!


「だ、誰ですか?」


 虚空に向かってそう問いかける。

 喉が震えていた。

 それは、恐怖でおかしくなりそうな自分を奮い立たせてなんとか搾り出した一言。

 その一言に対する返答は、すぐに返ってきた。


『……あァ? ああァ? ああああァ!?

 うッそだろオイオイ! オイオイオイ!

 てめ、ガキ! オレの声が聞こえてやがんのかァ!?』


「だからっ、そう言って!」


『ひャッッッはァァァァああああ!!!

 マジかよ! スゲェ! スゲェスゲェスゲェ!

 オイオイオイオイオイオイオイ!』


 こちらが仰け反りそうになるくらいの勢いで騒ぎだすその声の主に、僕はもう気絶寸前だった。

 ガクガクと震える足を、なんとか抑えつけようとする。


『オイガキ! 俺はここだァ!

 オレはクソ最強な【魔導書】サマだァ!

 下を見やがれ!』


「し、した?」


 ゆっくりと視線を下げると、さっきベルお姉さんが散らかした色々な物品の中に不気味な模様の一冊の書物が確かにあった。


『そう! それだァ!

 合ってる!

 今目ェあッてるぜオレらよォ!』


「う、うそ」


『嘘じャねェ! ホラ!

 さっさとオレを手に取りやがれ! ずゥッッッッッッッッとオレはこのままでヒマしてんだよァ!』


 その時、僕の頭の中に昔読んだことのある物語の場面が思い浮かんだ。

 それは、狂人が力と引き換えに命を差し出す契約を悪魔と交わした……破滅の始まりとも言える一場面。


「い、い、いや、いやですっ。

 すみません!」


 僕は耐えられなくなり、踵を返して駆け出した。


 怖い。すごく怖い。

 どう考えてもアレは関わっていい代物じゃない気がする。

 いや、絶対にそうだ。そうに違いない。


『オイ待て! 待て待て待て! 待て待てェ!

 てめェは稀有な【適格者】なんだッてェ!

 オレの声を聞けるのも【適格者】だけでッ、ちょ。

 待て待て待て! 強くなりてェだろ!?

 オレァ【適格者】に一人一個だけチョー強ェ力をやることが──』


 バタン!

 扉を閉めるとその声は聞こえなくなった。


「はあ、はあ」


 切れる自分の息だけが響くその空間で、僕は今見聞きしたものを記憶から葬り去ることに決めた。


=====


「アイルちゃん少し顔色悪いよ。

 大丈夫?」


 翌朝。

 まだ人の少ない大通りを二人並んで歩いていた僕たちだったが、心配そうにそう声をかけてくるベルお姉さんに僕はドキッとしてしまった。

 脳裏をよぎるのは、昨日宝物庫の中で聞いたあの騒がしい声。


 ……いや、知らない。

 そんな声聞いてない。


「な、なんでもないよ」


「そう? ならいいんだけど。

 ……それはそれとして」


 心配そうにしていた様子から一転。

 ベルお姉さんはムッとしたような目になって、僕らの後ろを付いてきている人物に言った。


「ねえ。なんでついてきてんの、シティ」


 ベルお姉さんの一番弟子である白髪の少女──シティさんである。

 僕とベルお姉さんが出てくるのを待ち伏せするかのように、シティさんは【氷霊】のギルドの前に立っていた。

 そして、そのまま僕たちの後をついてきている。一切隠れようともせず。それはふてぶてしいくらいに堂々と。


 あれ……僕一か月後にこの娘と戦うことになってるんだよね?


「ついてこないでくれるぅ?」


「イヤです。

 わたしに隠れてそのちんちくりんにわたしも知らないことを教えるかもしれないので」


「別に良いじゃん! 教えて良いじゃん!

 え、戦うんだよね? 昨日そんな約束したよね?」


「はい、戦います。

 ……たった一か月で、わたしがその人に負けるなんてことはありえません。

 ただ、わたしの知らないことをそのなよなよ男だけが教えてもらえるというのが気にくわないだけです」


「やだ! この子面倒くさい!

 いやだわー!」


 ウギャーウギャーと騒ぎ立てるベルお姉さんとは裏腹に、シティさんは一貫してツンとした態度を保っていた。

 その言い合いは門をくぐって都から出ても続く。というか終わる気配がない。


「んああ! もう着いてくるなり観察するなり好きにすれば!?

 言っとくけど 対 に無視するから!」


「どうぞ」


 そして気付けば、僕たちは魔獣の蔓延る森のど真ん中くらいまで来ていた。

 早朝にギルドを出たのに、太陽はもう真上だ。

 ……正直、座り込んでしまいたいくらいキツい。しかし、そんなこと口にできるはずもなく、僕はベルお姉さんの背中をひたすら追いかける。


「……よ〜し。

 じゃあ、アイルちゃん。今からアイルちゃんにやってもらうことを説明するね」


「え、うん」


 と。突然そう告げられて思わず気の抜けた返事をしてしまう僕。


「アイルちゃんにはこの森を抜けて剣の都まで帰ってきてもらいます」


 そして、その一言で一気に目が覚める。


「えっと、でもここ、魔獣が出る森だって」


「うん。うじゃうじゃいるよ。

 でも私の弟子になるんだから──やってみせてね」


 それは、見たことのないベルお姉さんの顔だった。

 僕を試すような顔。

 僕の内側を、覗き込もうとしているような表情。


「今ここに立っているのは、優しいお姉さんとしての私じゃない。

 アイルちゃんの師匠としての私。

 いつまでも甘い考えじゃダメだよ。

 今回私は、絶対に助けには入らない」


「っ」


「きっと、やり遂げてね」


 ベルお姉さんは本当に一瞬でその姿を消した。目で追えないほどの速さで。

 そしてこの場所には、僕とシティさんの二人だけになった。

 魔獣の森のど真ん中に置き去りにされた。


「はあ。結局いつも通りの師匠でしたね」


 そう口にして最初に動き出したのは、シティさんの方だった。

 呆気にとられて動けない僕の元まで歩み寄り、ジッと目を凝視してくる。


「本当に、アナタがこの森を一人で抜けられると師匠は考えているんでしょうか。

 とてもそうには見えません」


「そ、それは」


「まあ、でも外見だけでは分からないこともありますよね。

 ということで今から攻撃するので、避けてくださいね」


 そして、そんな言葉を送られた。


「……え?」


 僕は最初その言葉の意味を理解することができなかった。

 しかし、流麗な動きで腰から短剣を抜くシティさんを見て、自分が今危ない状況に足を踏み入れていることをようやく理解した。


「いやいやちょっと待ってください!

 なんで突然!? 僕、死にますよ!」


「そういうのいいので。

 師匠が弟子にするってことは、わたしのようにアナタも・ を持ってるってことですよね」


「し、知りませんっ!」


「いきますよ」


「っっ」


 ──ツ、という音を聞いた。

 きっとそれは刃物が空気を裂く音。

 そして、僕は『死』を悟った。






「死んでいませんよ。

 もう分かりましたから目を開けてどうぞ」


「っ、はあっ」


 張り詰めていた空気から解放されるように空気が肺に入り込んでくる。

 耳まで届く心臓の音。

 言うことを聞かない足腰。

 そんか無様な体たらくを晒す僕は、涙の滲む目で短剣を鞘に納めるシティさんの姿を見ていた。


「その気になれば斬れました。

 本当に何もできないんですね。

 師匠は本当にアナタが一か月でわたしに勝てるようになると思っているのでしょうか」


 気に食わないという顔でそんな言葉を吐き捨て、シティさんは僕の方へと背を向ける。


「それでは、魔獣に見つかる前にわたしも行きます。

 生きていたら一か月後にまた」


 ……え?


「っ、待っ」


「……それと、師匠の助けは本当に期待しない方がいいですよ。

 あの人の口にする『・  』は、どんな瑣末なことでも命を賭けた絶対なので。

 絶対助けると言ったら絶対に助ける。

 絶対にやらないと言ったら絶対にやらない。

 わたしはあの人の絶対が破られるのを見たことがない」


 あの人はさっき確かに「絶対助けには入らない」と言った、と。

 シティさんは無慈悲にそう告げると、最後に僕へと一瞥を投げて口を開いた。


「それに、私も助けないので。

 アナタのこと嫌いですし」


 一瞬で遠ざかる背中。

 僕は慌てて立ち上がり、後を追う。

 当然、追いつけるはずもなかった。

 躓き、転び、地面と熱い抱擁を交わす。


「いっつ」


 膝を擦りむき、血が滲む。

 もう嫌だ、このまま座り込みたい。

 辛い思いをしたくない。

 心がそう叫んでいた。


 しかし、それでも立ち上がらなくちゃいけない。

 そうしないと──死んでしまうから。

 何もできない僕は、きっと簡単に命を落としてしまうから。


「うっ、つ」


 頼りない足腰に力を入れ、再び立ち上がる。

 そして。


 そして──


『るるるるるゥ』


 冗談じゃない。


 僕はその唸り声を聞いた。

 一瞬で辺りに立ち込める死の気配。

 うるさいくらいに早鐘を鳴らす僕の心臓。

 言うことを聞かずに、ガクガクと震えるだけの両足。


『グゥるるる、グゥるるァァアアア!!』


 吐き気を抑えるのでやっとの僕は、一度それを目にしてしまえば心が打ち砕かれてしまうと理解しながらも、後ろを振り返った。

 幻聴であれと願いながら、首を回した。


「──」


 幻聴では、なかった。


 それは、無慈悲にそこに佇んでいた。

 多くの人々から恐れられている魔獣。

 僕はその名前を知っている。


 ──魔獣【大鬼オーガ

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