3話:二人の姫


 世界を代表するほどの主役えいゆうたちが集う集団──【氷霊】のギルド。

 世界の頂点に位置しているギルド。

 そのギルドには、特に秀でた能力を持つ二人の英傑が存在している。


 龍と虎。矛と盾。最強と最強。

 英雄という存在を体現する者たち。

 主役えいゆう の中の主役えいゆう と呼ばれている一対の戦士たち。


 その内の一人──【迅姫】ベルシェリア・セントレスタ。


「それが、今の私ってわけなの!」


「……へ、へえ」


 ギルド内の客室に備え付けてあるベッド上で目覚めた僕。

 見たこともない光景。

 数年ぶりに見るベルお姉さんの顔。

 突然飛び込んでくる色々な情報に目を白黒させる僕に向かって、ベルお姉さんはそんな説明をしてくれた。


 だけどそんなのは全くの逆効果で、僕の混乱は増していくばかりだ。

 突然押し付けられた現実を、すんなりと受け入れることができない。

 ……とにかく、ベルお姉さんとんでもなく凄い立場にいる人なんだそうだ。それだけは頭に置いておこう。


「それにしても、ごめんねアイルちゃん。

 アイルちゃんが今話題になってるゲロ吐き《田舎者ヒック 》さんだったなんてお姉さん全然知らなくて。

 もしその場面にお姉さんもいたらなんとかしてあげられたかもしれないんだけど」


 凱旋道歩くのってなんだか疲れるから抜け出しちゃうんだよねー、とベルお姉さんは緩んだ顔で口にした。

 対する僕は、ベルお姉さんの口から出てきた「ゲロ吐き《田舎者》」という不名誉な通り名にドキリとし、強張った顔を俯かせる。


 遅れて襲ってくるのは……羞恥心。

 一か月前に晒した醜態。僕が受けている仕打ち。目も当てられないアイル・クローバーの現状。

 その全てを、憧れのお姉さんに知られてしまった。それが堪らなく恥ずかしい。


「ま、何はともあれ、ギルドのみんなにも都のみんなにも『アイルちゃんをいじめたらダメだぞ』ってお姉さんからビシッと言っておいてあげるから。

 安心してここにいていいよ!」


 しかし、ベルお姉さんはそんな僕の様子に気付くことなくペラペラと喋り続ける。

 そのあまりにマイペースな様子に、僕はつられて顔を上げてしまった。


「それで、アイルちゃんお金持ってないんだよね? あと、住む場所も」


「う、うん」


「なら、お姉さんと一緒に住んじゃう?」


 底抜けに明るい声を纏って放たれる言葉。

 そんな提案を耳にして、僕は思わず頬の筋肉をヒクつかせてしまう。


「い、いっ、一緒にって……そんな。

 そもそも、ベルお姉さんには、その、好きな男の人とか、いないの?」


「たっはー、そんなことズバズバっと聞いてくるのアイルちゃんくらいだよ。

 安心して、二四歳、独身なの」


「そ、そうなんだ」


 その言葉に、僕はホッと胸を撫で下ろす。

 ベルお姉さんは、ずっと僕の憧れだった女性だ。だからもし「実はもう将来を誓い合ってるヒトがいて」なんて言葉が出てきていたら、少なからずショックを受けていたかもしれない。

 だから、ベルお姉さんには悪いかもしれないけど……良かった。


「あ、そうだ。

 それでそれで、アイルちゃんはどうして剣の都に来たの?

 それも突然。手紙にでも書いててくれてたらお姉さんも準備とかできたのに」


「え、えっと」


 ベルお姉さんの前に突然現れて、びっくりさせたかったから……とは、とても小っ恥ずかしくて言えそうになかった。

 だから、もう一つの方の理由を口にする。


「突然来た理由は特になくって、その、剣の都に来たのは、その、僕も主役えいゆう を目指そうと、思ったから」


 たどたどしくそんな言葉を紡いでいく僕。

 ベルお姉さんはそんな僕の話をにこにこしながら聞いてくれていたのだが、『主役を目指そうと』を口にしたあたりから、その顔はより一層輝き出した。


「え、え、えっ、もしかしてそれって、あの昔の約束を果たしてくれようとしてるってこと!?」


「え、あ、その……うん」


「〜〜〜〜〜っ!」


 ベルお姉さんは感極まった様子でぎゅっと僕に抱きついてきた。実った果実のような胸が顔に押し付けられる。

 僕は顔から湯気が出るほどの勢いで赤面した。


「うん、うん!

 お姉さんもずぅ〜〜っと待ってたよ!

 うんうんうん! なれる! アイルちゃんならきっと私よりかっこよくて勇ましい主役えいゆう になれる! 絶対!

 あ、あ、あ、そうだ!」


 ベルお姉さんは唐突に僕を解放すると、次は両肩をがっしりと掴んできた。

 そして逃げられなくなった僕の顔を至近距離から覗き込み、その提案を口にした。


「お姉さんの、弟子になりなよ!」


「……え?」


「きっと私が強くしてあげる!」


「っ、っ!」


 それは願っても無い提案。

 僕は胸の高鳴りに身を委ねるままに、大きく頷いていた。


「やったー!

 うんうんうん! よし! じゃあ早速!」


 そう言うと、ベルお姉さんは僕を解放して勢いよく立ち上がった。


「ついてきてアイルちゃん!」


=====


 そうして連れて来られたのは、剣の都の中でも特に大きい広場の一角。

 ここに来るまでの道中は相変わらずの人だかりで埋め尽くされていたのだけど、ベルお姉さんが歩くとそこには勝手に道ができていった。

 人が勝手に道を譲ってくるのだ。


 集まる羨望や憧れの眼差し。

 僕はそれらを一身に受けるベルお姉さんの姿を目の当たりにして、ようやくベルお姉さんが今立っている場所の遠さを感じることができた気がした。


 ちなみに隣を歩く僕に向けられる「どうしてアイツが【迅姫】と一緒に?」という視線も、当然少なからずあった。

 だから僕は俯いて歩いていた。

 気づいていないフリをして、ベルお姉さんの後ろをおずおずと歩く。


「え〜〜っと、今日はここでやるって言ってたんだけどな〜」


 そう呟きながら、ベルお姉さんはきょろきょろと辺りを見渡していた。

 さっきからベルお姉さんの呟きや仕草に注意を向けていたけど、どうやら人を探しているみたいだ。


 すると突然、近くで大きな歓声が上がる。


「おっ、あそこかな。

 行くよ、アイルちゃん!」


 そう言うと、ベルお姉さんは僕の手首を掴んで歩き出した。


「ねえ、アイルちゃん。

 アイルちゃんはどうしてここが『剣の都』って名前か知ってる?」


 そして唐突に、ベルお姉さんは歩きながらそんなことを口にした。

 僕はどうしてそんな質問をされたのかも分からず、素直に「分からない」と答える。


「うん、それはね。

 ──双方の同意の上なら、いつでもどこでも剣を用いての決闘が法で許されている場所だからなんだよ。おかげでここは、年がら年中お祭り騒ぎ」


 そして開ける視界。

 僕たちは人混みを抜ける。

 そしてそこには、地に伏す屈強な戦士と、その戦士に剣先を突き付ける一人の少女の姿があった。


 現実離れした、とても綺麗な少女だった。

 全てを跳ね返す鏡のようなベルお姉さんの銀髪と違い、全ての光を吸い込むような雪色の髪。

 瞳に宿るのは金の光。人形のように整った顔には所々汗が浮かんでいる。


「はぁ、はぁ……わたしの、勝ちです」


「っ、ああ、参った」


 次の瞬間、割れんばかりの歓声が広場中に轟いた。


「おいおい【淑姫】は今何連勝目だあ」「その前に何連戦してんだよ」「やっぱりあの人の唯一の弟子は格が違う」「あれでまだ【階位クラス :1】なんだろ?」「次の主役えいゆう 候補の中でも頭一つ抜けてやがる」「やっぱり新星ルーキー を先導できるのはこの娘しかいねーな」


 耳に入ってくる声の殆どが、彼女を褒め称えるものだった。


 英雄候補。

 新星。

 次世代を担う者。

 そして──【迅姫】ベルシェリア・セントレスタの唯一の弟子。


「この光景を、目に焼き付けておきなよ。

 あの娘が、これからずっとアイルちゃんの好敵手ライバル として前に立ち塞がってくる存在だよ」


「っ」


 ごく、と生唾を飲み込む音がやけに鼓膜に染み込んだ。

 歓声、喝采を一身に受ける純白の少女。


 立ち尽くす。

 そして、その光景を目に焼きつける。

 それはまるで、物語の一頁のように僕の目には見えた。

 いつかあの場所に立っている自分の姿を想像してみようとするが、とてもできない。


 しばらくすると、辺りの熱も段々と引いてゆく。

 そして注目が段々と自分にも集まりつつあるのを確認したベルお姉さんは、僕にちらりと目線を投げて口を開いた。


「お〜い! シティー!」


「……? あ、師匠」


 純白の少女──シティさんはベルお姉さんの存在に気付くと、すぐにこちらへと駆け寄ってきた。

 そして先ほど浮かべていた鋭い表情からは想像もできなかったような笑顔を浮かべて、ベルお姉さんへと抱きついた。


「わたし勝ちました。

 でも今日の目標にはまだ達していません。

 だから、待っててください。あと三人。すぐに倒してくるので」


「あ、この子、アイルちゃんって言うんだけど、今日から二人目の弟子にするから」


「──」


 唐突に切り出されたそんな話に、シティさんの整った顔がピシィ、と音を立てて凍りついた。辺りにはどよめきが走る。

 集まる好意的とは言えない感情を纏った視線。僕は涙目になってその全ての視線を受け止める。


「仲良くしてあげなよ」


「イヤです」


 即答だった。

 シティさんはベルお姉さんを突き飛ばし、僕の方へと向き直った。

 その目に宿るのは敵意。

 独り占めしていた玩具が横取りされそうになっている子供のような顔で、シティさんはこちらを睨みつけてきた。


「認めません」


「は、へ?」


「こんな、ちんちくりんで弱そうな人が師匠の弟子なんて、イヤです!

 ダメなんです!」


 散々な言われようだった。


「出たよ! シティのワガママ!

 私が決めたんだからもう決まりなの!」


「イヤ! イヤですから!」


「へん、言ってしまえばアイルちゃんとはシティより昔からの仲なんだからね!」


「なっ」


 敵意が膨れ上がる。

 僕はもう泣きたかった。

 すごく泣きたかった。

 ぶっちゃけるともう視界はふやふやに滲んでいた。


「あーもう! よし分かった!

 一か月! 一か月後にアイルちゃんと戦って、シティが勝ったらそっちの言うこと聞いてあげる!

 その代わり負けたらアイルちゃん正式に弟子決定だから!」


「わたしが負けるわけ、ないです」


「はぁん? 私が一か月でちゃちゃっとアンタ倒せるまで育て上げてやりますぅ〜」


「やって、みれば!」


=====


「終わっ、た。

 流石に無理、かも」


 喧嘩別れするようにお互い広場を去ったあと、路地裏でそう言って崩れ落ちるベルお姉さんを見て、僕はそっと涙を拭いた。

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