2話:田舎者
「その、終わりました」
「……《
「ぐっ」
勢いよく投げつけられる硬貨。
散らばる金属音。
その人は最後に僕の頭を靴底で踏みつけると、振り返ることなく雑踏の中へと消えていった。
剣の都に訪れて既にひと月。
僕は人の目にあまり触れないような路地裏で、通行人の靴磨きをしてその日暮らしをしていた。刺さるような視線の中、靴を布切れで必死に擦ってなけなしのお金を稼ぐ。
靴を擦れば擦るほど、心も一緒に擦り切れていく。そんな嫌な感覚に、僕は思わずため息を落とした。
「……おい坊主、悪いことは言わねえからさっさとこの都から出て行った方がいい。
これ以上ここにいたって、辛いだけだ」
隣に腰を下ろして酒をあおっている同業者のお爺さんが、しゃがれた声でそう言った。
あの日。
凱旋道上に吐瀉物をぶちまけた日から、僕は剣の都の異物となった。
すれ違う人々には汚いものを見るかのような視線を向けられ、時には物を投げつけられる。
逃げ出したい。何度もそう思った。
そんな僕を唯一この場所に繋ぎとめているものは、ベルお姉さんの存在だった。
あの頃と……小さい頃と同じだ。
仲間外れにされて、一人ぼっちの僕。
ベルお姉さんはいつもそんな僕を見つけて、手を差し伸べてくれる。
だから、今回も。
そんな淡い期待が、胸の中に漂っている。
だけど同時に、段々と明確な輪郭を帯びてきた現実の存在を無視することもできなくなってきた。
同業者のお爺さんの口から放たれたその言葉も、現実の一部となって僕へと深く突き刺さってくる。
「……うっ、ぐっ」
諦めてしまおうか。
そんな言葉が頭に浮かんだ瞬間、涙が溢れてきた。
確信があった。
ここで逃げたら、一生物語の主役になんてなれっこない。
お姉さんとの約束も果たせない。
一生『臆病者』の自分を背負い続けることになる。
涙をこぼしながら、蹲る。
そんな僕を、一つの影が覆った。客だ。
僕の気持ちなんてお構い無しに客は来る。
僕は頭を踏みつけられる前に顔を上げようとし、
「そのままでいいから聞きなさい、ボク」
そんな聞き覚えのあるそんな声を聞いた。
目を見開き、息を呑む。
……間違いない。この声は、一か月前同じ馬車に乗っていた占い師のお姉さんの声。
「きっとここにいても辛い思いをするだけ。
だから早くこの都から出た方が良いわ」
同業者のお爺さんと同じ言葉をお姉さんは口にした。
その声は柔らかく、僕のことをちゃんと思って言ってくれているのだと理解できた。
「……でも、それでも何かに縋りたいというのなら、この地図の場所に行きなさい」
ぱさ、と目の前に一枚の羊皮紙が落ちる。
「あんたぁ、この場所は」
同業者のお爺さんがお姉さんに向かってそう言った。
「ええ、あの日、凱旋道を歩いていた
──【氷霊】のギルド」
「っ」
どうして。
そう口にしようとした僕に被せるようにしてお姉さんは言った。
「別に逃げ出したって良い。
決めるのはアナタ」
お姉さんは「それじゃ」というと引き止める間もなく人混みへと消えていった。
「どうすんだ?」
「……」
しばらく呆然としていた僕は、その地図を手に取る。
そして、ゆっくりと羊皮紙を持つ指に力を込めていった。
=====
同業者のおじさんから借りた丈の余った上着を身に纏い、僕はそこに立っていた。
その外観はまるで一回り小さな王城。
一寸の狂いなく積み上げられた赤レンガ。
入り口から漏れる明かりと喧騒。
精霊序列一位──【氷霊】のギルド。
ギルドとは、英雄譚には欠かすことのできない場所の一つ。
世界には、72の精霊と72のギルドが存在している。
精霊は契約を交わした人々に力を授ける。
精霊と契約を交わした人間との関係は、親と子の関係も同然だ。
精霊は人間に対して【
それはつまり、子の成した偉業は親の成した偉業として数えられることになる。
そうして蓄積された偉業の数により、72の精霊には序列が生まれるのだ。
そして、その最高峰に位置している精霊というのが──【氷霊】。
……今から、そんな人たちの中に足を踏み入れるんだ。
僕は一度大きく息を吸い込むと、顔を覆ったフードを深く被り直し、入り口へと向かって歩き出した。
「はーい、待ったー」
「っ、え?」
しかし、その歩みは直ぐに阻まれる。
立ち塞がったのは、背丈の高くて猫背が少し気になる男の人。
ウェーブがかった黒の長髪から覗く眼光には、怪しげな眼光が灯っていた。
「どちらさん?」
その人は目を細めると、そんなことを訪ねてきた。
「あっ、ぼっ、僕は……」
何も、答えられない。
何を、どんなことを口にすればいいのか分からなかった。
「オレは門番のレザーってもんなんだがぁ、用件を確認しないと部外者を中に入れることができねえんだわぁ」
「その……」
「……ううん、まあ」
何も言えない僕の様子に、目の前の男性──レザーさんは顎をひと撫ですると。
「とりあえず人と話すときフードは取ろうかぁ」
そう口にして、
なにかとしか表現できないなにかを。
僕にとってそれは速すぎて目で追うことすらできなかった。
そして気付くと、フードが真っ二つに裂け、僕の顔が露わになっていた。
慌てて顔を両手で隠そうとするも、その手も封じられてしまう。
レザーさんは僕の顔を視界に映すと、蛇のように笑った。
「稲穂色の髪に、その顔……んぁあ。
くく、面白いのが来やがった」
そんな言葉を最後に、気付けば僕は宙へと放り出されていた。
僕はそのまま地に足をつけることなく【氷霊】のギルドの門を潜ると、背中から地面へと着地する。
「がっ、は、ぁ」
背中に走る衝撃き、一瞬息の仕方も忘れて蹲る。そして、呻き声を上げながら精一杯両目を見開いた。
そんな僕へと集まる視線。
最初、周りの反応は「なんだ喧嘩か?」といったものだったのだが、僕の顔を目にした人から順番に嫌悪感を露わにするようになっていった。
「《
「ひ、ひっ」
僕はその光景を目にし、立てなくなった。
非難、罵倒、嘲笑。
それらから逃げるように、臀部を床に擦り付けながら後ずさる。
しかし、ドンと背中に衝撃が生じる。
振り向けばそこには、「どこにも行かせない」とでも言いたげな表情を浮かべたレザーさんが立っていた。
「用があって来たんだろぉ?
ちゃんと口にしねえとコイツらには伝わらねえみたいだぞぉ」
「ひ、は」
僕はこの時、向こう見ずな自分を呪った。
馬鹿で平凡なくせに、行動すれば何かしらの道は開けるのだと、そう信じていた自分を呪った。
端役は端役らしく、故郷の村で一生を終えるべきだったんだ。
誰もが情けないと感じるような、こんな無様を晒して。
一体何をやっているんだ、僕は。
そうして後悔に呑み込まれそうになった僕は、額を地面へと擦り付けようとし──
「おーい、あの日ガルバーダたちの前でゲロぶちまけたっていう男の子が来てるってホントー!?」
その声を聞いた。
一瞬で恐怖を拭い去ってくれる、懐かしさ。
忘れられない。
忘れられるはずがない。
それは、ずっと再会を待ち望んでいたヒトの声。
「ん?
……あれ、もしかしてアイルちゃん?」
鏡のように光を跳ね返す銀髪。
そして美しく整った顔立ちに、見紛うはずもない苺色の瞳。
間違いない。
視線の先にいるのは、本物の──
「べ、べ、べル、お姉さん」
そして、唐突にプツンと張り詰めていた糸が切れるように僕は意識を手放した。
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