7話:好敵手


「速くっ、速くっ、速く!」


 僕の一日は素振りから始まる。

 掛け声に合わせより速く、より鋭くを意識して短剣を振るう。


 片手持ち、両手持ち。

 順手持ち、逆手持ち。

 振り下ろし、振り上げ、横薙ぎ。

 その素振りに型はない。


『剣を振るう際には・ ・ ・ ・ を意識すること。

 相手の動きに合わせて、瞬時にどれだけより多くの手数を繰り出せるか。

 そのために素振りは欠かせないものだよ。

 どんな動きにでも対応できるよう、素振りの中で型に嵌まらない剣技を身体に染み込ませること』


 そう言って最初に師匠は素振りの手本を見せてくれた。

 僕は目に焼き付いたその剣技をなぞるようにして毎朝短剣を振るっている。


 精霊たちはそんな僕を褒めてくれているようで、辺りにはうっすら、ほんのうっすら【祝福ファンファーレ 】が浮かんでいた。

 それは足輪の【精霊結晶】を介して僕の体内へと蓄積されていく。


「朝ごはんの支度が済みましたよ」


「はいっ、今行きます!」


 宿の女将さんからそんな声をかけられたことで、僕は素振りに区切りをつけた。


 ここは『鈴の宿』という名の宿屋。

 都中から後ろ指指されている僕にも普通に接してくれる優しい女将さんが特徴の、師匠が紹介してくれた宿だ。

 僕はこの宿を拠点として活動していた。


「それにしても、そんなの毎日よく食べられるねえ」


 食堂の既に料理が用意されていた一席に座り「いただきます」と両手を合わせた僕に向かって、女将さんはそう言った。


 獣の

 女将さんのいう「そんなの」とは、これを指しているんだと思う。


 僕は鍛錬を始めるにあたって、師匠から二つのことを言い渡された。


 一つは、常に走り続けること。

 日常生活の中で歩いている時間はもう僕にはない。

 それがたとえ一歩二歩だったとしても、悠長に移動していては師匠からダメ出しを受けてしまう。


 そして二つ目が、毎日毎食普通の食事に加えて獣の肝を摂取することだった。

 それは僕に筋肉と呼べるものが全くと言っていいほどついていないから。

 獣の肝というものは本来なら捨てられてしまうものだ。美味しくないから。

 でも筋肉をつける上で獣の肝よりも優れている食べ物はないのだと、師匠はそう言っていた。


 だから僕は毎回吐きそうになりながらも、それを平らげていた。

 これが僕の筋肉になると信じて。


「うぷ、じゃあいってきます!」


 僕は女将さんへとそう告げ、宿から飛び出した。精霊樹の森へ向かって路地裏を駆け抜ける。


 散乱するゴミ、倒れる酔っ払い、横切る猫。それら全ての障害物を躱しながら僕は加速する。これも鍛錬の一つと言っても良いのかもしれない。


「ごひゃくろくっ、ごひゃくなな、っ」


 ──五〇八!

 頭の中でそう数えると同時に僕は精霊樹の庭へと足を踏み入れた。

 新記録だ。それも前回より十秒も速い。


「はあっ、はあっ、やった」


 僕は辺りに生まれた微量の【祝福ファンファーレ 】を浴びて、少し走る速さを緩めた。

 でも走ること自体はやめない。

 師匠の言いつけを守りながら、僕はもう一人の精霊樹ししょう の元へと向かった。


 葉っぱ斬りの試練。

 これに僕は一週間経過した今でも苦戦している。


 最初なんて、一枚すら斬ることができなかった。短剣をひらりと躱して落ちていく葉っぱたち。力めば力むほど思い通りにいかなくなるもどかしさに僕は頭を抱えた。


 ようやく一枚目を斬れるようになったのは、鍛錬を始めて三日が過ぎた頃だった。

 師匠の細かな動きまで真似て素振りをするようになってから、少しずつ短剣の振り方が分かるようになっていった。


 そして、その後すぐに二枚、三枚と連続して斬れるようになっていったんだけど……七枚と八枚、この間に大きな壁があった。

 どうやっても七枚の記録を上回ることができない。


 僕はもっと短剣が速く振れるようになるように、素振りの回数を増やした。

 だけど、結果は変わらない。


 どうしよう。

 そんな思いの中迎えた今日。

 僕は様々な動きを頭の中で組み立てながら、精霊樹の元へとたどり着いた。


 そして、先客がいることに気付く。

 視界のどこにいても一瞬で目につく純白。

 全てを呑み込んでしまいそうな白を纏った一人の少女。


 僕の姉弟子──シティさんだ。


 シティさんはすぐに僕の存在に気づき、こちらに目を向けてきた。僕はそんなシティさんの元へと走り寄り、会話ができるくらいの距離で立ち止まった。


「……あ、えっと」


「……」


 口を開かないシティさんに、上手く話せない僕。僕たちの間になんだか気まずい空気が流れる。

 背中に冷たい汗を感じながら、僕は意を決して口を開いた。


「そ、その、お久しぶ」


「何枚ですか」


 喋り出した僕に被せるようにして、シティさんは口を開いた。僕は自分の頬がヒクヒクと震えるのを感じる。

 僕が今どれだけ引き攣った下手くそな笑みを浮かべているのかなんて、今は考えたくない。


 そして「何枚ですか」という質問。

 これはおそらく、僕がこの葉っぱ斬りの鍛錬で今何枚連続で斬ることに成功しているのか、ということを聞いているんだと思う。


「な……は、八枚です」


 盛った。

 盛ってしまった。

 この一週間を通して芽生えた、小さな“主役を目指す者の一人としてのプライド”。

 それが姉弟子であり好敵手ライバル であるシティさんを前にして、柄にもなく対抗心なんてものを燃やし始めてしまったのだ。


 しかし、そんな僕の返答を、


「ふっ」


 シティさんは鼻で笑った。


「わたしは始めて一週間で、二〇枚は斬れるようになりました」


 そして誇らしげな顔でそんなことを口にする。


 聞いてない。

 すごく聞いてない。


 でも…… 二十枚。

 二十枚か……ふーん。

 …………悔しいけど、すごい。


「今の僕にとっては二〇枚どころか、一〇枚すら夢のまた夢です」


 両拳を握りしめながら答える僕に、シティさんは誇らしげな顔をやめた。

 そして僕と同じように両拳を握りしめ、呟くような声で話し始める。


「師匠から、聞きましたよね。

 わたしについて」


「……はい」


 それは、期待に殺された一つの才能についての話。

 誰からも期待される中、その期待そのものに縛られ続ける少女の話。

 それは僕と真逆の存在。

 相反するひと。


「……滑稽な話だと思ったでしょう?

 あれだけアナタを下に見て、どこにでもいる端役扱いしていたわたしが、期待なんてものに怯える弱い存在だったと知らされて」


 そう言って俯くシティさんの姿は、ひどく弱々しく見えた。

 少しでも触れてしまえば崩れ去ってしまいそうになるほど、幼い。


 僕はそんな彼女に、同情しそうになった。

 優しい言葉をかけて、慰めそうになった。

 ──大丈夫。

 ──キミは間違っていない、と。


 しかし、それでは僕も彼女の全てを肯定し、縛り続けている期待ひとびと と同じだ。

 それじゃあ、きっと駄目だ。


『人っていうのは、誰もが補い合って生きてる。支え合い、時にはぶつかり合い、その先に原石は玉へと磨かれていく。

 キミたちは正反対で、凸凹だ。

 きっとお互い、他の誰とよりも素直にぶつかり合える。

 あの娘の隣に居られるのは──アイルちゃんだけなんだよ』


 あの日、あの時の師匠の言葉を思い出した。


 僕にできること。

 僕がしてあげなければならないこと。

 それは、素直にぶつかり合ってあげることだ。


「すみません、シティさん。

 さっき僕、話を盛ってしまいました」


「……はい?」


「さっき、今連続で斬れる葉っぱの数を八枚と言ったけど、えっと、あれは嘘なんです。

 実際はまだ七枚しか連続で斬れていません。それから先にどうしても踏み込むことができないんです」


 突然訳の分からないことを言いだした僕に、シティさんは混乱しているようだった。

 頭は大丈夫か、なんてことを心配されているかもしれない。大丈夫、至って正常だ。


「その、どうしてさっき僕がそんな見栄を張ったのか分かりますか?」


 そして僕はそんな質問を投げかけた。

 シティさんは混乱しながらもちゃんと少し考えてくれた。

 数秒間黙り込み、そしてその末に「分かりません」と小さく口にすると、答えを求めるように僕の瞳をじっと覗き込んでくる。

 僕はその視線に答えるように、口を開く。


「それは、こんな僕でもシティさんに負けたくないと思ったからです」


「……わたしに?」


「はい」


 そして僕は大きく息を吸い込んだ。

 僕がこれから口にしようとしている柄にもない言葉に、心臓が早鐘を鳴らし始める。

 そして覚悟を決めると、僕は大きく口を開いた。


「そもそもですねっ……シティさんは自意識過剰すぎるんですよ、っ!」


「なっ!」


 おそらく想像もしていなかったであろう僕のそんな返答に、シティさんは心底驚いたような顔になった。


「人に期待されすぎて全力が発揮できなくなった?そんな、なに自分に酔っちゃってるんですか!

 自分が滑稽ですって?

 僕なんて見てくださいよ。

 人々から向けられるのは期待なんてものとは程遠い視線や言葉だけですから!

 それでも主役えいゆう のようになりたいという一心だけで今生きてるんです。こうやって頑張ってるんです!」


 最初こそ何か反論したそうに顔を赤くしていたシティさんだが、僕が言葉を紡いでいくにつれて真剣な顔になっていった。

 そんなシティさんに届けるように、僕は言う。


「それに比べて、シティさんの主役への憧れって期待なんかに潰されてしまう程度だったんですか?」


 その言葉に、シティさんはピクリとその肩を震わせた。

 僕は更に追い打ちをかけるように口を開いた。


「そうやって余計なことばかりに悩んで立ち止まっているようなら──ベルお姉さんごと僕がその期待も全部掻っ攫ってしまいますから!

 今に見ていてくださいよ!」


 息を荒くしながら、僕は全てを言い切った。


 酷いことを言ってしまっただろうか。

 不快な思いにさせてしまったかもしれない。

 僕は顔を上げずに、シティさんの返答を待った。


 すると。


「アイル」


 シティさんの口から放たれたのは、僕の名を呼ぶ声だった。

 初めて呼ばれた名前。

 僕は驚いて、勢い良く顔を上げた。


 そこにあったのは、精霊すらも一瞬で恋に落としてしまいそうなほど、魅力的で可愛らしいシティさんの笑顔だった。

 僕は息の仕方すら忘れ、魅入ってしまう。

 そんな僕を見て、シティさんは言った。


「ありがとう」


「っ」


「わたしも、負けません」


 この時、僕は真にシティさんの好敵手ライバル になれたのだろう。

 認めてもらえたのだろう。

 シティさんの顔を見て、言葉を聞いて、僕はそう思った。


「この前の決闘の約束、あれは一度取り消します。

 どれだけ今のわたしがダメダメでも、どうせ一か月でアイルに負けてしまうことは確実にありえませんから──でも」


 そして、シティさんは確かな信頼を込めた眼差しで僕を見て言った。


「いつか強くなったら、わたしとちゃんと決闘してほしい」


「っ」


 待 してますよ」


 それは、誰からも期待されていない僕が、初めて受け取った期待の言葉だった。

 相手は、よりにもよって誰からも期待されている少女。


 たった一つの期待。


 それは彼女の背負う期待に比べれば虫のようにちっぽけななものかもしれない。

 だけどそれは、何よりも熱い炎となって僕の胸に灯った。

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