19話:デビュー戦


 あの【黒い男】事件から二週間。

 凍傷の痛みは一週間で完全になくなったけど、都中で事件の熱りが一向に冷めなかったため、僕はもう一週間大人しく宿で鍛錬をして過ごしていた。


 ちなみに傷の痕は大きく残ってしまったため、これからは常に包帯を巻いて過ごすことになりそうだ。


 そして迎えた今日。


『さァ、行くかァ!』


「うん」


 僕はついに、闘技場へと足を踏み入れた。


 僕へと集中する闘技者たちからの視線。

 もちろんそれらはどれも好意的なものじゃない。

 そのほとんどが敵意を含んだもの。

 だけど僕はそれらを掻き分けて、堂々とした足取りで受付へと向かった。


「すみません、闘いたいんですけど」


 そう言って受付のお姉さんへと銅の首飾りを渡す。

 お姉さんはその熟練の笑顔を崩すことなく首飾りを受け取ると、何やら紙に文字を書き始めた。


 そして待つこと約一〇秒。


「挑戦の日時はいつをご希望でしょうか?」


「で、できるだけ早くがいいです!」


「それは、今日でも?」


「はい、可能ならば!」


 お姉さんは「分かりました」と口にすると、一枚の羊皮紙を手渡してきた。


「それではそちらの誓約書にサインをお願いします」


「サイン?」


 僕は首を傾け、その内容に目を通す。

 そしてギョッとした表情を浮かべた。

 そこには闘技者として闘いに参加する上で留意しなければならない規約や禁止事項が綴られていた。


 それはいい。いやそれは別にいいんだ。

 問題は、最後の一行の文字。

 ──あなたは命を落とす覚悟がありますか。


 僕は唾を飲み込んで、ペンを手に取った。

 ここでの“死”はなんら珍しいことじゃない。相手は魔獣だ。

 魔獣に理性や歯止めなんてものは存在しない。

 闘技者も、魔獣も、死ぬ時は死ぬのだ。


 僕は手の震えを抑えながらサインを書いた。

 これでもう後へは戻れない。


 闘技場。

 そこは闘争の場所。

 人と魔獣が血と剣を交わし合う場所。

 僕はもう一度そのことを胸に刻み込んだ。


=====


「ふっ、ふっ」


 ジッとしていられず、僕は出番待ちの間もずっと短剣を振り続けていた。

 ちなみにこの短剣は闘技場が用意したものだ。


『お、そろそろじャねェかァ?』


 一際大きな歓声が控え室を震わせる。

 おそらく、決着がついたのだ。

 そして次は僕の番。


 僕は握りしめていた短剣を腰の鞘へと納め、汗を拭う。

 すると、なんの前触れもなく突然控え室のドアが開かれた。


「あっ」


「どうも」


 その先にいたのは、シティさんだった。

 いつもの戦闘衣姿ではない。

 白を基調としたヘソ出しの上衣に、茶色のショートパンツ。

 それは初めて見るシティさんの私服姿だった。


「随分久しぶりですね。

 アナタのことなのですぐに挑戦しにくると思っていたのですが、この二週間全く顔も出さずにどこで何をしていたんですか?」


 シティさんは挨拶を交わして早々にそう話を切り出してきた。

 その質問に僕の心臓は飛び跳ねる。


 言えない。

 師匠から負わされた傷を癒すために大人しくしていたなんて、絶対に言えない。


「えっと、その」


 かと言って嘘を口にする訳にもいかない僕は、うまい誤魔化し方を思いつくこともできずに口ごもってしまう。

 せっかく汗を拭いたというのに、発汗も最高潮だ。


「……まあ、戻ってきたのならそれはいいです。

 今日のアナタの闘いぶりを見ればこの二週間鍛錬を怠けていたのかなんてすぐに分かりますし」


「が、頑張ります」


 シティさんのその言葉に僕はホッと息をついた。

 同時に、気を引き締める。


 想起されるのは、二週間前に目にした魔獣と対峙するシティさんの姿。

 あれだけの期待を孕んだ視線をその一身に受けながら抗い続ける姿。

 ここで僕が情けない姿を見せる訳にはいかない。


「アイル・クローバーさん。

 出番になりますのでついてきてください」


「はっ、はい!」


 闘技場の案内人の方からそんな声がかかる。


 ついに僕の番が来た。

 僕は案内人の方の背中に向かって歩き出す。

 ……あ、そうだ。


「その、シティさん。

 一つ聞いておきたいことがあるんですけど」


「はい?」


「えっと、その。

 今日、師匠は来てないんですか?」


 僕がそう口にすると、シティさんは不機嫌そうに顔を顰めさせた。

 それはまさに、漏れそうになった呆れ混じりのため息を噛み殺したような、そんな顔。

 なんだか嫌な予感がして、僕も顔の筋肉を引攣らせた。


「その、師匠は【黒い男】と戦ってからずっと……いや、それは今はどうでもいいことです。

 とにかくアイルは闘うことだけに集中して下さい」


「え? え、え?」


 な、なに?

 イゼと戦ってからずっとなに!?


「どうせ後で分かります。

 アイルはもう行って、ほら」


 そう言って無理矢理送り出そうとしてくるシティさん。

 僕は問い詰めたい衝動に駆られながらも、ここで無理に追及したら怪しまれるかもしれないとの考えに至り、泣く泣く諦めた。


 これで負けたら師匠とイゼのせいだ。


『ふざけんなァ!』


=====


 師匠のことで頭がいっぱいだった僕だけど、闘技場の入り口の前に立つとそれらは全て心臓の鼓動で塗り潰されてしまった。


 始まる。

 始まってしまう。

 落ち着け。落ち着け僕。

 大きく深呼吸をし、前を向く。


「それではアイル・クローバーさん。

 どうぞ」


 そう案内人の方に送り出され、僕は闘いの地へと足を踏み入れた。


「っ」


 そんな僕を出迎えたのは、シティさんの時とは真反対の視線や言葉。

 そこに期待なんてものは一つもない。

 観客席は一体となって、僕のが無様に這い蹲る姿を望んでいた。


『おォおォ、こりャあひでェ。

 とんだ嫌われ者じャねェかァ』


 嗤いを噛み殺すようにイゼが言った。


「なんでそんなに楽しそうなのさ」


 僕は少しも笑えないんだけど。

 そんな思いでイゼにそう問いかける。


『いやァ、だッてコイツらァ、こうやッて外から見て野次飛ばすことしかできねェんだぜェ。

 そんなヤツらを実力で押し黙らせるのはァ、くッッッそ気持ちイイだろォと思ッてなァァ』


「い、イゼらしいね」


『あァ!? 良い子ちャんぶるんじャねェよァ!

 大将も想像してみろッてェ!

 大将の実力を目の当たりにしてアホみてェな顔でビビり散らかすコイツらの様子をよァ!』


 そんなの。

 そんなの、言われるまでもなく想像していた。

 ここに足を踏み入れた瞬間から。


 イゼに影響されちゃってるかな、僕。

 そう考えて、僕も小さく笑った。


「……うん、くッッッそ気持ち良いと思う」


『だろァ!』


 やってやる。

 僕の力を、証明してやる。


 直後。

 視界の先にある檻からその魔獣が解き放たれる。

 僕は腰から短剣を抜き、その存在を見た。


『ガルルルルル』


 檻の奥から姿を現したのは、荒んだ灰色の毛を逆立てさせた一匹の狼だった。


 その魔獣の名は【灰餓狼】。

 人間の肉を好む魔獣。

 この魔獣の厄介なところは、空腹であればあるほどより強くなるというところ。


 今にも飛びついてきそうなその様子を見るに、目の前の【灰餓狼】の強さは空腹で大きく底上げされていると考えても良いだろう。

 長引けば長引くほど、コイツは強くなる。

 だから、一撃で終わらせる。


「っーーっ」


 僕は息を小さく吐いて──下半身と脳の《枷》を外した。


 局所〖解枷〗。

 それはこの二週間の鍛錬によって身につけた技術。

 まだ全身の《枷》を一気に外すことはできない。だけど、この技術を習得することによって、一気に数箇所の《枷》を並列して外せるようになった。


 その中で今一番身体に馴染んでいる組み合わせ。

 それが『下半身の筋肉』と『脳』の《枷》外し。


 この組み合わせにり生み出されるもの。

 それは──爆発的な加速によって放たれる正確な一撃。


『ガルルァァァァァ!!』


 始まりは突然だった。

 雄叫びを上げ、矢のように飛び出す【灰餓狼】。

 そのギラついた目が定めているものは、もちろん僕の喉笛。

 飢えを推進力としたその攻撃。

 僕はその突進に、最高の一閃をもって応える。


「ああああぁぁぁぁぁ!!」


 地面を蹴り砕いて前進する。

 そして一瞬にしてゼロ になる彼我の距離。

 僕はゆっくりになった世界の中で、涎を撒き散らす【灰餓狼】の首元へと渾身の“質”を放った。


 そしてサン、と。

 静かな音を闘技場へと響かせる。

 それは決着の音だった。

 弧を描くようにして宙を舞い、地面へと落ちる【灰餓狼】の首。


 絶命。

 僕の放った一撃によって【灰餓狼】はその命を落とした。


「ふっ、ふっ」


『まァ、六五点ッてところかァ!』


 そんなイゼの声を耳にし、僕は顔を上げた。

 初めて魔獣を倒した僕を讃えるように巻き上がる大量の【祝福ファンファーレ 】。

 それは足輪を通してゆっくりと身体へと流れ込んでくる。

 また、それは倒したという実感にもなって、僕の中に積もっていった。


 勝っ、た。

 勝った。

 僕はゆっくりと周囲を見渡した。


『さァ、どォだァ?

 勝利の感想はァ?』


 唖然とした視線を僕へと送ってくる観客。

 始まる前とは一変して静寂に包まれる闘技場内。

 手のひらに残る、勝利の感触。


「──っっ」


 全身が、痺れた。


 その光景に。

 その視線に。

 その静寂に。

 身体を支配する熱に。

 刺激的で甘やかな勝利の味に。


 それは快感となって身体中を駆け巡り、僕の身体を打ち震えさせた。


「──くッッッッッッそ、気持ち良い」


 僕はその言葉と共に、その光景を目に焼き付けた。

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