6話:試練と【祝福】


 修行、鍛錬、訓練、稽古。

 その単語一つ一つに、主役えいゆう を夢見る少年たちは胸の高鳴りを覚えずにはいられない。


 それは物語の醍醐味。

 物語の進行において欠かせないもの。


「いい?

 この世の殆どは強さがあれば解決する。

 地位も、名声も、それらを捩じ伏せるだけの強ささえあれば全てがひっくり返る。

 ならその強さとは何か。

 それは──速さだ」


 ベルお姉さ……“師匠”のその一言から、僕のその過程は幕を開けた。


 ──精霊樹の庭。

 ここは、剣の都の一画に位置するとある庭園。精霊たちが訪れる憩いの場。

 そこには、精霊樹と呼ばれる僕十人分くらいの高さはあるであろう広葉樹が何本も植えられていた。


 聞いた話によると、その数述べて百本以上。

 もはやここは庭園というより森と呼ぶ方が正しいのかもしれない。


「じゃあ“アイル”も復唱して。

 強さとは速さ。ハイ!」


「強さとは速さ!」


 そんな場所の一画で、僕は師匠と二人でいた。

 師匠は僕が何度も復唱することでしっかりとその言葉を胸に染み込ませたのを見て「よし」と頷くと、口を開いた。


「相手にどれだけ力や硬さ、そして技があろうと、それを凌駕する速さがあれば負けない。

 少なくとも、私はこれまでそうだった」


 そうだ。

 故に【迅姫】と、師匠はそう呼ばれているんだ。


「だから私は何よりも速さってものを優先して、モノを叩き込む。

 それは頭に入れておいて!」


「はい! 強さとは速さ!」


「よし良い返事! 流石はアイルちゃ──アイル!」


 ちなみにこの鍛錬を始めるにあたり、お互いに「アイルちゃん」「ベルお姉さん」呼びは改めることになった。

 これからちゃんと「師匠」と「弟子」の関係でお互いを意識し合っていくためだ。


 まだ慣れず言い間違いをしそうになった師匠は「んん゛っ!」と咳払いをし、話を続けた。


「それを頭に入れた上で、これからアイルには一つの試練を与えるよ。

 そのためにまず、今から私のやることをしっかり観察してて」


 そう言って師匠は一本の精霊樹の側に歩み寄って行った。

 腰に差していた短剣を抜き、腰の高さを落とす。

 そして、師匠は精霊樹の幹に向かって横からの蹴りを放った。


「わっ」


 ずん、と重苦しい音を立てて揺れる精霊樹。

 その衝撃を受けて何枚もの葉がひらひらと宙を舞い始める。


「ふ──」


 次の瞬間。

 突然師匠の姿が精霊樹の側から掻き消えた。

 そして視界いっぱいに幾条もの銀閃が弾ける。


 そのあまりの激しさと眩しさに僕は一瞬目を瞑ってしまう。

 それは一秒にも満たない瞬き。

 すぐに瞼を持ち上げる僕。


 すると、今全く目で追うことができなかった師匠の姿がすぐ目の前にまで迫って来ていた。

 あまりに突然の光景に、僕は思わず仰け反りそうになる。


「──九二きゅうじゅうに


 そして師匠はそう呟き、短剣を鞘に収めた。

 僕は何が何やらで、ぽかんと口を開けたまま立ち尽くしてしまう。


「さて、どうだった?」


「ど、どうもなにも。全く見えなかったです」


「だよねぇー」


 師匠は「わっはっは」と口を開けて笑うと、少し精霊樹の方へと移動してしゃがみ込んだ。

 そして「こっちこっち」と僕に手招きをする。

 僕もそこへと駆け寄り、同じようにしゃがみこむ。


「はい、これを見て」


 そう言ってあるものを指差す師匠。

 その先にあるのは、先ほど師匠が精霊樹を揺らしたことにより地面に落ちてしまった葉っぱだった。


「この葉っぱが、どうにかしたんですか?」


「持ち上げてみて」


 僕は師匠がなにを伝えたいのか全く理解できていないないまま、その指示に従った。

 何の変哲も無いまだ瑞々しさの残る葉っぱ。

 それをつまみ上げ、


「……あ」


 僕はそんな声を漏らした。


 真っ二つに分かれていたのだ。

 その断面は誰の目から見ても一目瞭然なほど一直線だった。


 そう、斬られていた。

 近くに落ちていた他の葉っぱも試しに持ち上げてみる。

 すると、それら全てが同じように両断されていた。


 まさか。

 僕はそんな言葉と一緒に浮かんだ一つの考えをそのまま口にする。


「今落ちてきた葉っぱ全てを、地面に落ちる前に斬ったんですか?」


 それは到底信じられないこと。

 でもこの人であれば、【迅姫】であればそのようなことも可能だと、そういった確信があった。

 そんな僕の顔を見て、師匠はにやりとしながら言った。


「その通りだよ。

 それも・ しっかりと斬ったよ」


 そう言って「ほら」と師匠が指差した先には、地面がめくれた跡があった。

 それも数カ所なんてものじゃない。

 何十、何百箇所と。

 それは師匠があの一瞬でどれだけ動き、縦横無尽に跳び回っていたのかを表していた。


 凄い。

 ……でもこれ。


「怒られそう」


 こんな観光地の一角のような場所の地面をあんなにして大丈夫なのだろうか。

 そんな考えが頭を巡った。


「そう思うよねー。

 でも大丈夫! ここは精霊たちの庭だから、放っておけば精霊の力で勝手に元どおりになるのさ!」


 堂々と言えることじゃないよ師匠。

 後片付け、大事。


 胸を張って答える師匠の姿に、真似してはいけないところもあるんだと学んだ。


「とにかく、アイルにはこの落ちてくる葉を斬る訓練をやってもらうよ。

 地面に落とさずどれだけ連続で葉を斬り続けられるか。

 最初は一枚からで良い。

 着実に二枚、三枚、四枚とできるようになっていって、そしていつかは私のようにできるようになれば良い。

 意識することは速く移動すること。それだけ」


 師匠は“師匠の顔”をして僕にそう伝えた。

 僕は思わず「はっ」として背筋を伸ばしてしまう。

 そして勢いよくハイと返事をしようとして……やめた。


 ──いつかは私のように。

 師匠はそう言うが、僕は今の鮮烈な光景を見せられて、将来師匠と同じような芸当ができるようになっている自分の姿を想像することができなかったからだ。


 師匠だけではない。それはシティさんを相手にしても同じことが言える。

 あまりにも、人間離れし過ぎている。

 あれは普通の人間が踏み込んでいる域じゃない。


 そんなことを考えて、僕はいつもの癖で俯いてしまいそうになる。

 しかし、師匠はそんな僕を元気付けるようにニッと笑って、こう言った。


「大丈夫、心配しないで。

 アイルもちゃんと、・ ・ に立てる。

 私たちが全く違う人種だなんてことは絶対にない」


 絶対。

 その言葉を使った師匠を見て、僕は少し安心した。


 そしてしっかりと頷くことで師匠にその気持ちを伝える。

 そんな僕の様子を見て「よしっ!」と口にした師匠は、ごそごそと地面に置いてあったバッグを漁りだした。


「うーんと、あ、あった」


 そして何かを取り出し、僕の方へと向き直った。


「そんなアイルちゃんに、じゃーん! これをあげます!

 これなーんだ!」


 そう言って前に突き出された師匠の手中に収まっていたものは、透明色をした綺麗で小さな結晶だった。


「えっと、これは」


 本当に分からない。

 言い淀む僕を見て、師匠は答え合わせをする。


「これは【精霊結晶】。

 精霊の涙が固まってできた結晶。

 主役えいゆう を志す者なら、誰もが一番最初に手にしなければいけないもの」


「誰もが?」


「そう。誰もが。

 アイル、まずよぉーく目を凝らして周りを見てごらん」


 師匠にそう促され、僕は周囲に目を向ける。

 ……特に変わったものは見受けられない。


「どう?」


「えっと、よく分かりません」


「じゃあもっと! よぉーーーく目を凝らしてみて」


 言われた通りよぉーーーく目を凝らしてみる。

 限界まで目を見開いて、鼻血が出るくらいよぉーーーく目を凝らした。


 するとようやく、その存在に気付くことができた。

 というか気付いた後で、逆にどうして最初から気付くことができなかったのかとさっきまでの自分に問い質したくなった。


「光の、粒子?」


 赤、青、黄。

 そこには様々な色をした粒子が充満していた。


 シティさんが大鬼オーガ と戦っていた時に見えた精霊の光とは少し違う。

 似ているけど、これはもっと小さくて、薄い。


「精霊の【祝福ファンファーレ 】、人々はこの光の粒子のことをそう呼んでいる」


 それは、精霊からの“喝采”であり“礼讃”。

 成長を遂げた者。

 勇気を示した者。

 人には成し得ないことを成した者。

 そんな人々に精霊から贈られる賞賛。


 小さいことならゴミ拾いからでも良い。

 どんなことでも精霊の目に留まった行動は賞賛される。

 そしてその賞賛は【祝福ファンファーレ 】となってその人へ降り注ぐ。


 自分よりも格上の強者に勝つ。

 強大な魔獣を討ち倒す。

 誰も成したことのない偉業を打ち立てる。

 その行動がより困難なものであればあるほど、精霊から贈られる【祝福ファンファーレ 】の量は膨大になってゆく。


 師匠はそう説明してくれた。


「そして今この周囲に満ちている【祝福ファンファーレ 】は、さっき私が力を示したことによって生じたもの。

 まあ力を示したって言っても今の私にとってはもうなんてことないことだったから、【祝福ファンファーレ 】の濃度はそんなに濃くないんだけどね」


 周囲に散らばっている二つに別れた葉っぱへと視線を向け、師匠はそう言った。


「そして、これら【祝福ファンファーレ 】を体内に吸収して蓄積させるための媒体として必要となるのが、この【精霊結晶】ってわけ。

 つまり【精霊結晶】は“入口”とか“中継役”を担うものってことになるね」


 そう言って師匠はバッグから一つの足首の装身具アンクレット を取り出した。


 そのアンクレット には、この世界に存在する全ての赤を掻き集めても表現できないとまで思えるほど深い紅を宿した結晶が埋め込まれていた。

 その輝きに、僕は思わず見入ってしまう。


「これが私の【精霊結晶】。綺麗でしょ。

 この世界に存在する【精霊結晶】のどれもが始めは無色透明なんだけど、【祝福】の“通り道”としてその役割を果たせば果たすほど、持ち主の魂の色に深く深く染まっていくんだ。

 まあ、見てて」


 そう言って足輪アンクレット を足首に装着する師匠。

 すると、あたりに充満していた【祝福 】が生き物のように動き出した。


「うわっ!」


 そしてそれは渦を巻き、師匠の足輪アンクレット に埋め込まれている【精霊結晶】へと収束してゆく。


 僕にも分かった。

 今がまさに【祝福】が【精霊結晶】を入口として師匠の中へと蓄積されていっている瞬間であるということが。


 そして漂っていた全ての【祝福】をその結晶を介して体内に取り込んだ師匠は、力こぶを作って言った。


「これで、今ここら一帯にあった【祝福 】は“力”となって私に蓄積されました!

 私たちはこの儀式を何度も繰り返して強くなってきたんだよ。

 普通の人間には辿り着けない高みへとさ」


「す、すごい」


「ちなみに、この【精霊結晶】ってものは装着する身体の部位も大事になってくる。

 例えば腕輪にして腕に身に付けると“腕力ちから ”を軸とした力がついていき、私みたいに足輪アンクレット にして身に付けると“足力はやさ ”を軸とした力がついていく。

 多くの人は安定を求めて【精霊結晶】が心臓に一番近くなるような装身具、例えばネックレスなんかにしたりしてたりするかなー。

 でも私のお勧めはもちろん一芸特化!

 だから“足力はやさ ”重視のスピードスターを目指して欲しいな。

 ということでハイ!」


 そう言って渡された僕の【精霊結晶】は、既にアンクレット へと組み込まれていた。

 拒否権はないみたいだ。

 でも、別に構わない。

 どうせ最初からそのつもりだったんだから。


「【精霊結晶】の色の深さは《深度》と呼ばれる数値で表される。

 《深度》が深ければ深いほどその人の基礎となる力は大きくなっていく。強さは増していく。

 応用の力として《深化》ってものもあるんだけど、アイルがそのことを知らなくちゃいけなくなるのはまだ先かな」


 ──と、いうことで。


「暫くはこっちの精霊樹ししょう に強くしてもらうこと。

 私が直接稽古をつけてあげるまでどれだけ強くなってるか、楽しみにしてるよ」


 そう言って師匠は、試すような笑みを浮かべた。

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