17話:【黒い男】


 それはまさに青天の霹靂。


 己に【誓い】を定めた日。

 その翌朝。

 目が覚めた原因は、痛みだった。


 それは焼かれるような痛み。

 深い眠りという名の鎮痛薬が切れたことにより突然襲ってきたその痛みは、身に覚えのないものだった。


「ぐっ、ふ、う……なに、これ」


 痛みの中心は胴体。


 熱い。

 右肩から左脇腹にかけての表面がひたすらに熱い。

 それは発火していると言われても信じ込んでしまうほど。


 僕は得体の知れない恐怖に蝕まれながら、上に着ている服を脱ぎ去った。

 そして自分の上半身を見下ろし、目を見開く。


「ほ、包帯?」


 肩から脇腹にかけて、包帯でぐるぐる巻きにされていた。

 それは身に覚えのない処置。

 僕はこんなの、全然知らない。


『その……大将ォ』


 そこで今日初めてイゼが口を開いた。


 そうだ。

 イゼは眠りを必要としない。

 だから僕が寝ている間になにがあったのか、知っているはずだ。


 会話することすら難しい状態の僕は、説明を求めるような視線をイゼへと向けた。


『悪い』


「え」


『そいつァ、オレのせいだァ』


 頭の中が真っ白になった。


=====



《【迅姫】と【黒い男】がついに衝突》



 少し外に出てみれば、剣の都はその話題で持ちきりだった。

 それは昨日の夜に人知れず起きていた事件。

 そして、都中を震撼させるほどの出来事。


 ここ最近突然その姿を現し、都の人々を恐怖のどん底へと陥れていた【黒い男】。

 それと剣の都最速最強の剣士【迅姫】の激突。


 誰もがいつかは訪れると予感していた邂逅。

 その戦いを制したのは──【迅姫】だった。


《【迅姫】の【魔法スペル 】により【黒い男】は肩口から脇腹にかけての大きな凍傷を負い逃走》


 都中にばら撒かれていた羊皮紙には、そういった内容のことが書かれていた。

 他にも【黒い男】と思わしき凍傷の痕を持つ人物を見かけたら即刻ギルドへ連絡するように、とも。


 僕は部屋に駆け戻り、息を切らしながら包帯を振り解いた。

 そこにあったのは、肩口から脇腹へと伸びる凍傷の痕。


『まァ、つまり、さっき説明したとォりだ。

 今回ばかりはァ、その、反省してるァ』


 そう。

 ここ最近、夜になると剣の都に現れ暴れまわっていた【黒い男】の正体とは──僕自身。

 いや、眠っている僕の身体を勝手に乗り回していたイゼだったのだ。

 僕は激しい目眩を覚えた。


 つまり、なんだ。

 僕はこれからずっとこの傷と【黒い男】の正体という裏の顔を抱えて生きていかないといけないということ?

 しかも、バレたら一発で牢獄行きなんていうおまけ付きで。


『ま、まァ、バレなきャ問題ねェ!

 顔は絶ッッッ対ェに見られてねえからな!』


「イゼ」


『んあ!? なんだよァ?』


「イゼは前に『僕の許諾がないと代わることはできない』って言ってたよね」


『……』


 突然黙り込むイゼ。

 それはまさに『やべッ』といった感じの沈黙。


「説明、してね」


 僕はまだズキズキと痛む胴体を手で抑えながら、そう言った。


『分あッてる!

 言う! 喋るァ!

 どッちみち大将にはもう隠しとォせねェんだァ!』


 イゼは観念した様子で、口を開いた。


『大将の許諾がねェとオレは勝手に大将の身体を使うこたァできねェ。

 それは嘘じャねェ。

 ただし、それは大将の意識がある時に限ッた話だッたッてワケだァ』


 それは、つまり。


『そうだァ。

 大将が寝てる時や気絶している時。

 つまり無意識の時ならァ、オレは勝手に大将の身体を乗り回すことができるッてこッたァ』


 だから、夜は僕の身体を勝手に乗っ取って腕の立つ冒険者を狩り回ってたと。

 僕にバレないのをいいことに、好き勝手やっていたと。


 そういうわけか。


「イゼ」


『ん、んだァ?』


「勝手な乗り移りを禁止させるには、どうするの?」


『ち、ちッと待てェ!

 勘弁してくれや大将ァ!

 オレだッて発散させたいものッてのがなあ』


「この傷、一生残るかもなあ」


『ぐ、ぐゥ』


 傷口をちょんちょんと触ってそう言い放つ僕。

 イゼはそれを見て何も言えない状況に追い込まれたみたいだった。

 だから僕はここであえて追撃をする。


「イゼ、最初に僕たちは『二人で一つ』って言ってたよね?

 こんな隠し事されてたなんて僕まっっっっっったく知らなかったよ」


『ぐ』


「あーあ、ここまで裏切られた上にまだ隠し事されてるなんてなぁ。

 イゼは僕を利用することしか考えてなかったってわけかぁ」


『……ッ。

 分あッた! 分あッたよ!

 言う! 言うって!』


 その後、観念したイゼの言う通りにして、僕は“意識の通り道”に鍵をかけた。

 それは自分の中の《枷》を扱うのと同じ要領。

 これからは僕が意識して鍵を外さなければ、寝てる時も身体を勝手に乗っ取ることはできなくなる。


「もう隠し事はないよね?」


『ぜんッッッッッッぶ話したよァ!

 はいはいすみませんでしたァァ!』


 イゼはもうヤケクソといった感じだった。

 そんなイゼの様子を見て、僕は咎めるような視線をやめる。

 そして心の声に従うままに口を開いた。


「……それで師匠と戦って、どうだったの?」


 それは好奇心からの質問。


 勝手に身体を乗っ取られていたこと。

 それと勝手に身体を傷だらけにされていたことについてはまだ文句を言いたいところだけど、それは今は隅に置いておく。


 単純に、聞きたい。

 実際に戦ったというイゼの口から。

 この研鑽の地、剣の都で最強の人物といわれる人物と戦ってみてどうだったのか。


『ああ、そうだなァ。

 まず言いてェことは──オレは負けてねェッてことだ』


「え、でも噂では師匠は無傷で【黒い男】を撃退したって」


『結果だけ見りャあ、確かにそォだなァ!』


 イゼは『嘘は言ッてねェ!』と言って嗤った。


『だが、あの嬢ちャんが無傷で済んだのは、オレが最後に め してやッたからだァ!』


 そしてそう断言する。


「それはつまり、最後に寸止めしてなかったらイゼが勝ってたってこと?」


『たりめェだァ!

 そのでけェ傷と引き換えに繰り出した一撃だァ!

 最後まで剣を振り抜いてたらあの綺麗ェな顔は胴体からオサラバしてただろォよァ!』


 言葉も出なかった。


 もしその話が本当だとしたら、イゼってもしかしてとんでもなく強いってこと?

 僕が思ってるより、ずっと。

 それも《深度》や階位クラス の差っていう枷に縛られながらも、師匠に勝ってしまうくらい。


「……」


 とにかく、いくら考えたところで今の僕の尺度でイゼという存在を測ることは到底できそうにない。

 考えたところで無駄だ。


 ただ、その真価はこれから嫌という程見せつけられていくことになるだろう。

 なんとなく、そんな確信があった。


『にしても、あのベルッて嬢ちャん。

 ありャあ確かに強ェ。

 三〇〇〇年前の英雄時代全盛期でも通用してたほどの力の持ち主だぜェ』


 ふと、イゼはそんなことを口にした。

 それは実際に剣を交えてみての評価。

 素直な賞賛。


『並外れた戦闘感覚バトルセンス 。

 あの【雷髄】にすら引けを取らない速さへの執着。

 経験だけでは手にし得ない天性の対応力。

 加えて──精霊の【巫女】ときた』


「精霊の、巫女?」


『ああ』


 英雄の誕生を求めて世界中どこにでも存在しているとされる精霊。

 その殆どが、名前のない《亜霊》と呼ばれるもの。


 名前を持つ精霊は、たったの上位七二柱。

 その選ばれし精霊たちは《祖霊》と呼ばれ、人々からより大きな信仰を得ている。

 世界中に存在している七二のギルドそれぞれの信仰の対象となっているのが、まさにその《祖霊》だ。


 そして世界には。

 ある《祖霊》から特に気に入られ、その恩寵を一身に賜るような選ばれし者が存在している。

 人々はその者を精霊の【巫女】と呼び、《祖霊》の化身として崇め奉っているという。


『その選ばれし七二の【巫女】の一人が、あの嬢ちャんッてこッた。

 あの嬢ちャんの繰り出す【魔法スペル 】のキレや威力はまさに【巫女】のそれだッたァ。

 しかも氷ッつうのが特にタチが悪ィ』


 傷を負うのも久し振りだったぜェ、とイゼは心底感心した様子で言った。


「でも、イゼの方が強かったんでしょ?」


『だなァ!

 やッぱりどの時代でも最強はオレみてェだァ!』


 イゼはそう言って得意の下品な嗤い声を部屋中に響かせた。

 僕はその声を聞きながら騒がしい外を眺める。


 本当は今日からでも闘技場に挑戦したかったけど、この胸の傷のこともあって暫くは大人しくしていた方が良さそうだ。

 何かの拍子に上着が破れるなんてことになれば今度こそ僕はこの都にいられなくなる。

 というか牢屋に行くことになる。

 解けない包帯の巻き方を調べておこう。


 あと、師匠の様子も気になる。

 イゼに負けて荒れたりしていないだろうか。

 今回の騒動の片棒を担ぐ者として。

 そして弟子の一人として、知らんぷりを通すわけにはいかないだろう。


 僕はこれからのことに考えを巡らせ、頭を抱えた。

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