26話:最高潮を掻っ攫って
邪魔だ、と。
舞台袖へと押しやられた気分だった。
大人しくそこで見ていろ、と。
突き放された気分だった。
誰が?
わたし──シティ・ローレライトが。
誰に?
弟弟子──アイル・クローバーに。
──『主役と端役の間には決して越えられない柵が存在している』
いつだったか、師匠が口にしていたそんな言葉を思い出す。
わたしとアイルの間にも、それは確かに存在していた。
駄目だと思いながら、心の奥底ではそれを理解してしまっていた。
だけどアイルは、その柵をこじ開けてこちら側へと身体を無理矢理捩じ込んできた。
そのまま、わたしを追い越して前に出る背中。
アイルは秋の稲穂のような黄金の髪を揺らして、わたしと怪物の間に割り込んだ。
弱い自分を踏みつけるように、しっかりとした足取りで。
まるで「横取りするな」とわたしを咎めるように。
わたしは驚きを通り越して呆然としていた。
どうして?
どうして?
どうして?
アイルは守られる側の存在だ。
わたしが守ってあげないといけない存在だ。
わたしがいないと、アイルはすぐに命を落としてしまう。
初めて【大鬼】と出くわした時だって。
闘技場で【大鬼】と再び対峙した時だって。
それに、たった数秒前だって。
アイルは震えていた。
竦み上がっていた。
折られていた。
怯えていた。
わたしがいなければ、なす術もなく殺されていた筈だ。
何がアイルを変えた?
何がアイルを前進させた?
何がアイルを突き動かした?
分からない。
だけどたった一つ、確信のようなものがわたしの中にはあった。
──ここでアイルを行かせたら、わたしは置いてけぼりにされてしまう。
「っ」
待て、待て、待って!
わたしは縋るように手を伸ばした。
そこはわたしの舞台だ。
そこに立つのはわたしだ。
そこからはわたしの物語だ、と。
しかし、その手が背中に触れることはなかった。
アイルは、土足でその舞台に踏み込む。
これまで積み重ねられてきた『伏線』も、
これまで拾い上げてきた『きっかけ』も、
何もかもを蹴散らしてアイルは駆け出した。
それは全てを置き去りにする疾走。
そこに迷いはない。
躊躇いもない。
そして繰り出される一閃。
舞台の幕が、切って落とされる。
「わ、わたしもっ!」
口から溢れたそんな言葉は、酷く掠れていた。
だからなんだ。
わたしは腰から短剣を抜き、地面と平行になるように構える。
「【
それはわたしだけの【ギフト】。
誰かを「助けたい」「守りたい」という強い意志から生まれた、闇を切り開く力。
わたしの渾身を纏った冷気の一閃。
そして──この一閃は『守るもの』が多ければ多いほど、鋭い一撃へと昇華する。
「……あ」
頼りない氷煙を放つ剣身を見て気付いた。
もう、あの時とは違う。
後ろにアイルはいない。
アイルはもう『守るもの』ではなかった。
わたしをわたし足らしめるものが、今ここにはなかった。
「待っ、て」
足が震えた。
死闘を繰り広げる一人と一体の攻防を目にして、一歩が踏み出せなかった。
喰われる。
主役のわたしが。
端役であるアイルの成長の糧とされる。
成長したわたしを喰って、アイルは更に成長する。
もう止められない。
これじゃあわたしはまるで──当て馬だ。
「……待って」
そう口にするわたしは、冷気を失ってしまった短剣を握りながら思った。
──
=====
──熱い。
「ああああああああああああああッッ!!」
身体中が滾り上がっていた。
前へ、前へ、前へ。
後退という選択肢は既に投げ捨てている。
前へ、前へ、前へ。
雄叫びで己を奮い立たせ、僕はひたすら前進する。
脳の《枷》はとっくに外していた。
視界が驚くほどに澄んでいる。
これまで見ていた景色は白黒だったんじゃないかと錯覚してしまうほど、鮮明に映る景色。
その感覚に身を委ねていく中で、僕はこれまでどれだけ
しかし、反撃の隙なんてない。
僕の背丈以上の剣身を誇る巨大な大剣によって繰り出される剣撃の嵐。
避ける、避ける、避ける。
往なす、往なす、往なす。
半端な反撃では一瞬で屠られてしまう。
僕はその死を孕んだ一撃一撃を凌ぐので精一杯だった。
まだ、今は。
「ぐゔゔゔゔああああああああ!!」
──〖解枷〗
──〖解枷〗
──〖解枷〗
──〖解枷〗
──〖解枷〗!!
脳だけではない。
下半身、上半身。
手、前腕、上腕。
足、下腿、大腿。
手首、肘、肩。
足首、膝、股関節。
心臓、肺、脊髄。
僕は筋肉から関節、骨に至るまで身体中に備わっているあらゆる《枷》を外してゆく。
それは未熟な僕には過酷過ぎる行為。
悲鳴をあげる肉体。
身体中のあらゆる部位から軋む音が聞こえた。
しかし、加速は加速してゆく。
止まらない。
止まらない。
止まれない。
──【
それが、僕が発現させた【ギフト】の名前。
他の誰のものでもない、僕だけの力。
僕の魂そのもの。
僕は
相手が強大であればあるほど。
状況が窮地であればあるほど。
そして、僕が傷を負えば負うほど。
僕はもう、死ぬことでしか限界を知ることができない。どれだけ傷を負おうと強くなり続けるから。
それこそ、死んでしまうまで。
現に。
身体から血管の破裂する音が聞こえる度。
身体から肉の千切れる音が聞こえる度。
身体から骨の軋む音が聞こえる度。
感覚が、身体能力が、集中力が。
自分でも付いていくのがやっとの速さで研ぎ澄まされていっているのが分かった。
僕はこの【ギフト】を持って。
この【大鬼】との差を、
この【大鬼】の持つアドバンテージを、
全て喰い尽くす。
「ッッッ」
──まだだ。
まだ引き出せる。
もっと、もっと。
叫べ、叫べ。
もっと臆病に。
もっと自分勝手に。
僕の中の《上澄み》の部分も、それ以外も、全部ぐちゃぐちゃにかき混ぜて。
ありったけの自分をこの相手にぶつけろ!
「ッ──ああああああああああああああああッ!!」
それは酷く乱暴で下品な咆哮だった。
その咆哮を背景として繰り広げられているのも、聖戦なんていうものとは程遠い、ひたすら泥臭い戦い。
ただ、そこには打算も、計算も、公算も、勝算も存在しない。
たった一つ、愚かなほど純粋な『勝利』への渇望があるだけ。
それは、僕の中で燻っていた熾火を、狂うしいほど燃え上がらせる。
もう難しいことに想いを馳せることはない。
この矛盾のない自分に身を委ねるのみ。
この痛いほどの渇望に身を任せるのみ。
命を賭して、前進するのみ。
僕は腱が千切れんばかりの力を込めて、地面を蹴りつけた。
=====
ヒトには〝化ける〟瞬間ッつうものがある。
それは、一瞬先の命の保証もないような戦いの中でしか味わえねェもの。
長い時間を要して培ッてきた技術や能力なんてものは、その瞬間のための糧でしかねェ。
戦いの場以外で悩んで、ただひたすら己を磨いているだけじャあダメだ。
そんなんじャあ殻は破れねェ。
その糧を身体に染み込ませるには、より厳しい戦いの中に身を投じるしか方法はねェ。
『さあ、結実の時だァ』
オレ──イゼゼエルは、今まさに殻を破ッて飛び立とうとしている英雄の卵を見て、そう呟く。
そして、嗤ッた。
そうだァ、それでイイ。
弱点こそ、唯一無二に昇華しうる『種子』となる。
一〇年か、二〇年か。
長い時間をかけて創りだす自分だけのオリジナル。自分以外の誰にも代用できない唯一無二の個性。
その『種子』。
──臆病。
大いに結構じャねェか。
その誰にも負けねェ本質は、誰にも真似できねェ唯一無二の武器へと昇華する。
オレは砕けんばかりに奥歯を噛み締めながら絶望へと立ち向かう大将を見て、叫ぶ。
『どうせ今のテメェの耳には入らねェだろうが、聞けェ!』
アイル・クローバー。
それはオレが待ち望んでいた存在。
三〇〇〇年だ。
三〇〇〇年も待ッた。
こんなところで足踏みされてちャあ、こッちが困るァ。
『【英雄録】に主役として名を刻むッつうことは、その瞬間、世界中の誰よりも輝いてるッつうことだァ!
その一瞬、この時代の全ての英雄を凌駕する魂の証明をもって世界一熱い何かを成し遂げた者しか、主役を名乗ることは許されねェ!』
まだまだァ。
もッとだァ。
テメェならもッと、やれるだろァ?
なあ、大将。
『たった今この世界の中心にいるのはァ!
──アイル・クローバー! テメェだァ!
間違いねェ!』
進めェ。
一直線に。
飛べェ。
何よりも高く。
努力することに価値があるんじャねェ。
努力の先に掴み取ッたものに、価値が生まれる。
──その勝利の先にある価値を掴み取ることでェ、テメェはまた強くなる。
そう、断言できるァ。
『さァ、そのまま最後まで駆け抜けやがれェ!』
次の
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます