27話:白熱
死闘は白熱の一途を辿る。
縦、横、斜め。
あらゆる角度から振るわれる大剣の猛威。
紙一重の回避では、意味がない。
直撃を免れたとしても、その一撃一撃から生じる風圧は、振動は、アイルの身体に鮮血色の斜線を刻み込み、脳を震わせた。
厄介なのはそれだけではない。
【大鬼】がその身に纏う瘴気の鎧。
黒い霧は徐々にアイルの身体に絡みつき、体内を侵食してゆく。
しかし、アイルは前進した。
その身に受けた傷、そして身体を蝕んでくる瘴気さえも糧として、前へ。
その逆境は、アイルの【ギフト】の前では促進剤へと変わる。
アイルは臆することなくその死の領域へと果敢に踏み込み続ける。
避ける、避ける、避ける。
速さこそ強さだ。
速さで相手を凌駕している限り、攻撃が当たることはない。
その教えがアイルの背中を押していた。
ひたすら体勢を低くすることで、アイルは単調な振り下ろす攻撃ばかりを誘った。
相手よりひと回りもふた回りも小さな身体。
それは不利な点であり、有利な点でもある。
小回りの効く動きは相手を翻弄させる。
徐々に精細さを欠いていく【大鬼】の動き。
その巨躯に目立ち始める発汗。
そしてようやく【大鬼】がこちらに覗かせる、ほんの僅かな隙。
アイルは大きく息を吸い込み──止めた。
それが攻撃の合図。
堰を切ったように繰り出されるのは、脳天からつま先まで、全ての《枷》を取り去ったことにより放たれる、全身を駆使した超高速の連撃。
アイルの視界には、夢の中で幾度となく目にした英雄──【雷髄】の背中が映っていた。
その奇跡の軌跡をなぞらえるようにして、アイルは【大鬼】へと剣撃の渦を叩き込む。
「ッッッ!!!」
一閃。
二閃三閃。
四閃五閃六閃。
剣身の生み出す銀の軌跡が視界を塗り潰してゆく。
『グ、ヴヴヴヴ』
初めて一歩後ずさる【大鬼】。
攻撃の手も止まる。
量にものを言わせたその攻撃は、確かに【大鬼】を怯ませていた。
──押し切れる。
「ッッッ!」
前進。
狙うは首。
空気を欲しがる肺を気合で黙らせ、アイルは最後に渾身の〝質〟を放った。
それは寸分の狂いもない一閃。
アイルはその頭を撥ね飛ばす勢いで短剣を振り抜いた。
そして、瞠目する。
パキ、と。
そんな乾いた音を立てて砕け散る手中の短剣。銀の破片がアイルと【大鬼】の間に飛散する。
そして、アイルはその破片の先に怪物の獰猛な笑みを見た。
アイルは一瞬で悟る。
怪物はこの一撃を誘っていたのだと。
思い切り剣を振り抜いた体勢で隙を晒すアイル。
その一瞬を怪物が見逃すはずがない。
無駄のない動きで振り上げられる大剣。
アイルは自分が鮮血の花を咲かせて肉塊へと成り下がる未来を幻視した。
頬を撫でる濃厚な死の気配。
そして駆け巡る走馬灯の中、肺に残っていた最後の空気で〝その言葉〟を放つ。
「──〖纏、雷〗」
白雷が弾ける。
アイルが白雷へと変換することができるのは、身体を中心として展開される直径二メートルの範囲内に存在する体外魔素のみ。
その領域内に【大鬼】が踏み込んだ瞬間、渾身の白雷が顕現した。
『ア゛!?!?』
驚愕の表情を浮かべて動きを止める【大鬼】。
鋭く巻き付いた雷の棘が外皮を貫通して怪物の筋肉を硬直させる。
アイルはその一瞬の隙をついて死の臭いが充満する領域から離脱した。
そして、勢い良く肺へと空気を送り込む。
「はァーっ、はァーっ」
アイルは座り込みたい衝動に駆られていた。しかし、そんなことを目の前の怪物が許してくれるはずもない。
硬直から解放された【大鬼】の顔には、憤怒の相が貼り付けられていた。
奥の手とも言える〖纏雷〗を行使したと言うのに、動きを奪えたのはほんの一瞬だけ。
目立った外傷などもほとんど見受けられない。
アイルは──ガリッ、と奥歯を噛み締めた。
「(考えろ。自分が馬鹿なのは分かってる。それでも考えろ。鼻血が出るくらい知恵を振り絞れ)」
アイルは脳の《枷》を外したことによって引き伸ばされた一瞬の中で、何度も何度も繰り返し繰り返し考えを巡らせた。
まず、硬い。
硬すぎる。
先程アイルが【大鬼】の首に向けて放った一撃は、現状アイルの放てる最高の一撃だった。
それをほぼ無傷で受け切ってしまう外皮。
アイルの狙った場所が心臓や頭であったとしても、結果は同じだっただろう。
つまり、アイルの持ちうる一撃で決着をつけることは不可能だということ。
問題はそれだけではない。
今、アイルには武器がない。
先程見た冒険者たちの血溜まりまで引き返せば剣の一本や二本は拾えるかもしれない。
しかし、それを阻止するように立ちはだかる怪物。
肉を切らせて骨を断つ。
アイルが正面突破を試みれば、怪物は間違いなくソレを断行してくるだろう。
ならば──背後に突っ立っているシティ・ローレライトの短剣を使う。
「シテ──」
『ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!!』
「ッッ」
声の通り道を縛り付けてくる咆哮。
──断じて許さん。
その咆哮を放った【大鬼】は、そう言わんばかりの顔でアイルを睨みつけた。
この先シティと接触しようと行動すれば、この怪物は捨て身の攻撃を敢行してくる。
それはアイルの中に生まれた確信。
アイルは背中に汗を感じながら、怒りの形相を貼り付ける【大鬼】へと向き直った。
──何か、何か。
──考えろ、考えろ。
緊張の糸が張り詰める中、アイルの集中力は人間を超えた域に達しつつあった。
脳に張り巡らされた血管が膨張し、血流が加速してゆく。
没入。
没入没入没入。
──もっと意識の深いところへ潜り込め。
「(──────……あ)」
そして、それは不意に脳みそへと舞い降りた。
ぶるり、とアイルの背筋を震えが走る。
皮膚が粟立ち、全身の毛が逆立った。
それは快感の先にある感覚。
興奮を越えた興奮。
面白いように浮かび上がる、勝利への道筋。
先程、恐怖という感情を乗り越えたことで結実した何か。
それがたった今、この瞬間を持って──開花した。
アイルはその感覚に打ち震えた。
ばくんばくんと跳ねる心臓。
アイルはその衝動に駆られるまま腰を落とした。
腰の道具袋の中に手を入れ、
そして、稲妻のように飛び出した。
『ウ゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!』
そんなアイルを迎え撃たんと、大剣を振り上げる怪物。
しかし、アイルはその一撃が振り下ろされる前に、ソレを【大鬼】に向けて掲げた。
ソレは、拳大の透き通った石。
──【収納結晶】
アイルがベルシェリアから譲り受けた魔法具。
「【
その言葉を引き金としてアイルと【大鬼】との間に顕現したのは、獣の皮。
詳しくは、獣の皮によって作られた寝具や服。山籠りをする上で必要だと考え、アイルが持ち込んだ道具の数々。
それらは遮蔽物となって【大鬼】の視界を覆い尽くす。
しかし。
『ア゛ア゛ア゛!』
一薙ぎ。
たった一薙ぎでその壁は寸断された。
切り開かれる視界。
至近距離で対峙する一人と一体。
その一対の影が重なり合う、その寸前。
「ぁ──ぇ?」
がくん、と折れるアイルの膝。
呆然を形どる表情。
それは限界の合図。
それを見て、
怪物は、
悪魔の様に顔を歪ませて、嗤った。
限界まで振り上げられる大剣。
血管を浮き上がらせる四本腕。
隆起する上半身の筋肉。
瘴気を纏う剣身。
怪物はまた血肉の花を咲かせんと、その大剣を全力でアイルへと振り下ろした。
そして。
そして──諦めの色など欠片もない、その少年の表情をその目に映した。
「ッッ、さっきのお返しだ、ッ」
紙一重での回避。
風圧に服や皮膚を切り裂かれながら、アイルは身を翻した。
大剣はアイルを捉えることなく、地面へと衝突。簡単に抜けないほどの深さまで剣身が埋没する。
攻撃誘導。
それはたった今、戦いの中で【大鬼】から喰らい、身に付けた技術。
「間抜けッ!!」
瞠目する【大鬼】に向かって砲声する。
そしてアイルは埋没した大剣の剣身に──握り締めていた【収納結晶】を打ち付けた。
そして、渾身を込めてその言葉を放った。
「【
──その大剣、寄越せッ!
発光。
大剣は眩い光を放った後、白い粒子となって【収納結晶】へと吸入される。
「っ!?」
アイルはピシィ、という音と共に【収納結晶】の表面ににヒビが走るのを見た。
収納許容限度ギリギリの重量。
その亀裂を目にし、アイルはこの【大鬼】がこれまでその四本の腕でどれだけ無茶苦茶な武器を振るっていたのかを理解した。
『ウ゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!』
それは【大鬼】の口から放たれた怒りの咆哮。その怒りの矛先が向いている方向にいるのは、もちろんアイルただ一人。
返せ! と、そう訴えかけるようにアイルを睨みつけてくる【大鬼】。
対するアイルは、張り合うように腹からの叫び声をあげ、駆け出した。
屈しない。屈するものか。
退けない。退くものか。
折れない。折れるものか。
負けない。
負けたくない。
負けたくない。
──負けて、たまるかッ!
「ああああああああああああああッッ!!」
感情と欲求の爆発を推進力へと変え、アイルは加速する。
それは姿が霞むほどの疾走。
最後の攻防の幕が、切って落とされる。
渇望と渇望が邂逅し、衝突する。
そこから先は、拳の応酬。
打撃に蹴撃。
アイルと【大鬼】は身体の様々な部位を駆使して放たれる技を交わし合った。
優位に立っているのは言わずもがな。
四本の腕と見上げるほどの巨軀、そして底なしの体力を誇っている【大鬼】である。
その凶器の様な肉体から放たれる一撃一撃が、アイルにとっては致命傷になり得た。
たった一歩でも選択を誤れば、待っているのは死。
アイルは雄叫びで自らを奮い立たせ、その緊張の中へと飛び込んでいた。
この差をひっくり返すには、相手の倍の手数が必要だ。
もっと速く。
もっと疾く。
視界全体を塗り潰すほどの速さで。
ありったけの《枷》を外せ。
より過酷な逆境へと身を投じろ。
己を限界まで練磨しろ。
引き付けろ。
引き付けろ。
引き付けろ。
行け──行けッ!
『ア゛ア゛ア゛ア゛!!』
そんな叫び声と共に振り下ろされる巨大な腕。アイルは体を捻って一撃を躱すと、その腕の上へと
それはまるで軽業師の動き。
腕を振り下ろした状態で固まっている【大鬼】に驚く暇すら与えることなく、アイルはその
そして、全体重を乗せた右の膝蹴りを【大鬼】の顔面へと突き刺した。
「がッ!?」
『ッッ!!』
バキッ、という鈍い音が辺りに響く。
それは【大鬼】顔面の顔面を覆う外皮に亀裂が入った音であり、アイルの膝が砕けた音でもあった。
骨が剥き出しになる膝。
そこを起点として全身を駆け巡る痛み。
『ッッ』
「あがッ!」
大きく仰け反る【大鬼】。
背中から地面へと打ち付けられるアイル。
先に再起したのは、アイル。
使い物にならない右膝は無視し、左足で地面を蹴り出すことでアイルは前進した。
そして寄り掛かかるようにして、拳を【大鬼】へと叩き込む。
「っ」
しかし、それは矮小な一撃。
その拳は【大鬼】の外皮を砕くこともなければ、痛みを与えることもなかった。
【大鬼】は、ゆっくりと上体を起こして、そんな満身創痍のアイルを見る。
そこには、獰猛な笑みが浮かんでいた。
それは勝利を確信した勝負師の笑み。
獲物を追い詰めた肉食獣の表情。
狩る側と狩られる側。
明確に浮かび上がるその構図。
【大鬼】はより深い笑みを表情へと刻むと、すでに飛び退く力すら残っていないアイルに振り下ろすべく巨大な拳を大きく振り上げた。
そして、その拳は無慈悲に振り下ろされる。
しかし、
「──〖纏雷〗っ」
その拳がアイルの命を刈り取る寸前。
大鬼に接触しているアイルの拳を中心として、目を焼かんばかりの光を纏う白雷が弾けた。
その威力は、先ほど見せた〖纏雷〗とは比べ物にならないほど高い。
それも当然である。
──片足が使い物にならない、という逆境を背負って放つ一撃が、軽いはずがない。
それは予想を上回る一撃。
しかし、
『ッッッ、ア゛ア゛ア゛゛゛゛!!!』
怪物はその予想を更に上回った。
持続的に巻き付いてくる白雷に動きを制限されながらも、再び拳を振り上げる【大鬼】。
まるで弓を引くように、膨張した四本の腕をキリキリと持ち上げた。
この場にいる誰もが理解していた。
その四本の腕は、アイルの〖纏雷〗が解除された瞬間、無慈悲に振り下ろされる。
それは免れない未来。
確定事項。
白雷が散った時、アイルはその場に鮮血の花を咲かせることになる。
「……」
『……ハァァ』
それは嵐の前の静けさ。
決着を前にした戦場は、バヂバヂという白雷の音のみに支配されていた。
そして決着の瞬間は、唐突に訪れる。
音もなく霧散する白雷。
自由を纏う【大鬼】の巨軀。
歪んだ笑みを貼り付ける【大鬼】は、限界まで溜めていた矢を放つようにして、四本の腕を振り下ろす。
そして。
少年の瞳に灯る、意思の炎を見た。
「──【
それは怪物には理解できない言語。
しかし、その一言は怪物を心の底から震えさせた。
一瞬で最高潮に達する発汗。
恐怖に弥立つ全身の毛。
怪物は拳を振り下ろす中で、先ほど自分の愛剣を取り込んだ透明の結晶──【収納結晶】が知らぬ間に少年の手から消えたいたことに気付く。
しかし、もう遅い。
『上だァ、
ソレは【大鬼】の頭上で顕現した。
ソレは【大鬼】の愛剣。
同時に、その命を刈り取るギロチンとなる存在。死神の振り下ろす大鎌。
もう誰にも止められない。
その刃は、止まらない。
詰んでいた。
自分は白い雷を受けた時点で既に詰んでいたのだ、と。
最後に【大鬼】はそう悟った。
そして────両断。
落下途中で顕現したその刃は、勢いを殺すことなく怪物を縦に真っ二つにした。
『ッ──────────────……』
これにて、
皮の内側にパンパンに張り詰めていた筋肉は水風船のように爆ぜ、アイルに血化粧を施す。
落下してきた大剣は【大鬼】を両断するだけでは飽き足らず、轟音を響かせながら地面へと深々と突き刺さることでようやく停止した。
真っ二つになった【大鬼】は、断末魔すらあげることなく地面へと倒れ込む。
そして大剣を吐き出した【収納結晶】が遅れて地面へと落下した。
「はあっ、はあっ、っ」
糸が切れたようにして、同じように地面へと倒れ伏すアイル。
勝利の実感を噛み締める余裕もない。
朦朧とする意識。
「はあ、はあっ……ぁ」
そんな中、これまでに目にしたことがないほどの量の【
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