28話:踏み出す


 その少年は【淑姫】によって【癒霊】のギルドへと担ぎ込まれた。


 剣の都中を駆け巡る【弁慶童子】討伐の報せ。人々はその報せに安堵し、喜び合った。

 そして、満身創痍の少年を担ぎ上げて凱旋した【淑姫】の姿を見て、誰もが思った。


「【淑姫】が【賞金首魔獣】を打倒した」

「【淑姫】はその上、一人の少年の命までも救い出した」


 剣の都の人々は誰一人疑うことなく、その噂を信じ切っていた。

 そして、その噂は事実へと形を変えて都中に伝播してゆく。


 ──【英雄録】に新しい名が刻まれた。

 誰かがそう口にした。

 ──早くその物語を目にしたい。

 また、誰かがそう口にした。


 そして人々は、後日手にした【英雄録】の写本の内容に目を通して眉をひそめることとなった。

 中には、新しく綴られたその主役の名前を目にして誤植を疑う者さえいた。


『アイル・クローバー』

 それが新しく誕生した主役えいゆう の名前。それは剣の都の住民ならば誰もが知っている名前。

 それは数ヶ月前、英雄たちの歩む凱旋道を汚し、都中を敵に回した存在。


 ──アイル・クローバーは【淑姫】の手柄を横取りした卑怯者だ。

 誰かがそう口にした。

 ──アイル・クローバーは偽物の英雄だ。

 また、誰かがそう口にした。


 その噂もまた、事実へと形を変えて都中に伝播してゆく。

 現在、剣の都には様々な真実と虚偽が入り乱れていた。


=====


「お前は今回の件をどう見る?

 ──ベルシェリア」


 精霊序列一位である【氷霊】のギルドの双璧の一つである盾を担う英雄──【獣躙】ガルバーダ・ゾルトは、その口元に笑みを刻みながらそう問うた。

 円卓を挟んで対面に座っているのは、ガルバーダと同じく【氷霊】のギルドの双璧の一つである矛を担う存在──【迅姫】ベルシェリア・セントレスタ。


 ベルシェリアはそんなガルバーダの質問に対して、ヘラッとした顔で答えた。


「いや〜、そうだなぁ。

 なんだか未だに信じられないって感じかなぁ。

 昨日なんて写本読んで『うっそ〜』って呟いちゃったくらい」


「写本に偽りはない」


「う〜ん、でもねえ」


「ならお前は、精霊を疑うというのか?」


「いやいや! 精霊の【巫女】が精霊疑っちゃだめでしょっ!」


 ベルシェリアの「あはは」という笑い声が二人だけの部屋に響く。

 対するガルバーダはそんなベルシェリアの様子を見て「フン」と小さく笑った。


「憐れだな」


「……え?」


「憐れだと言っている。

 自分の筋書きシナリオ とやらをアイル・クローバーに掻き乱されたことがそんなに気に食わないのか?

 その事実を受け入れたくないのか?」


「いやいや、なに言ってんのさ!

 全然そんなんじゃないって!

 あんまり適当言ってると私だって怒るよ!」


「お前のも、あの【黒い男】とやらとの戦いで絶対ではなくなった。

 筋書き通りに進まないことばかりで、爆発寸前なのだろう?」


「い、いや、だからっ……」


「爪を噛むのもいい加減にしておけよ。

 そんなボロボロの爪では、これから──」



「──……黙れって」



 一瞬で血も凍らせるほどの冷気が部屋を満たした。

 空気がピシ、ピシという音を立てて弾ける。そして、ベルシェリアを中心に吹き荒れる氷煙がガルバーダへと照準を定めた。


「同じ『端役』代表が少し活躍したからって、調子に乗っちゃった?

 嬉しくなっちゃった?

 今日もやっと私を否定できる材料が手に入ったからってウキウキで来たんでしょ?

 どう? アイルの威を借りて私を見下す気分は?

 そんなんだからガルバーダはいつまでも『端役』のままなんだよ。

 本当に、つまらない男」


「……」


「それに、あんまり私を怒らせたら──痛い目に遭わせるからね?」


 気付けば、どこからともなく生成された三〇を越える数の氷の剣がガルバーダを囲い込んでいた。

 その一本一本が恐ろしく鋭利な輝きを孕んでいる。


 しかし、ガルバーダそんな状況に置かれながらも臆した様子を一切見せない。


 張り詰める緊張の糸。

 しばらくすると、ガルバーダは「フンっ」と一つ息を吐いてイスから立ち上がった。

 そして氷の剣によって道が塞がれていようとお構いなしに、ドアへと向かって歩き出す。


 ガルバーダの身体に触れた氷の剣は、次々に粉砕されていった。

 ベルシェリアは奥歯を鳴らしてガルバーダから視線を外した。


 ドアに手をかけるガルバーダは、最後に振り返ることなく口を開く。


「そうやっていつまでも上座で踏ん反り返っているようでは、お前もあの少年の当て馬にされてしまうぞ?

 あまり若い力を見くびらないことだ」


 バタン、と閉まるドア。

 残されたベルシェリアは、その行き場のない感情を拳に込めて円卓へと打ち付けた。


=====


 精霊序列三位【癒霊】のギルド。

 その門の前に、わたし──シティ・ローレライトは立っていた。

 ここでアイルは一週間前から療養をしている。


 アイルは【弁慶童子】との戦いから丸五日間も眠り続けていた。

 何故か身体の内側が酷いダメージを蓄積させていたためだ。


 筋肉、関節、骨、そして脳に至るまで。

 その深刻さたるや、一番最初にアイルへと治癒魔法を施そうとした【癒霊】のギルドの治癒師が思わず悲鳴をあげてしまったほど。

 あの日、あの場に【癒霊】のギルドの五本指が一人、【聖姫】がいなければ、アイルは命を落としてしまっていたとしてもおかしくはなかったとまで言われた。


 アイルが【弁慶童子】を討伐したことによって得た賞金も、ほとんど治療費に充てている。

 それほどまでに深刻な状態だった。

 アイルはそれほどまでの無茶をして、あの【大鬼】に立ち向かって行ったのだ。


 今でも瞼を閉じれば鮮明に浮かび上がってくるあの日の情景。


 一歩も引かずに【大鬼】へとぶつかって行く背中。

 アイル・クローバーの魂の証明。


 最後の決着の瞬間も、わたしだけがこの目でハッキリと捉えていた。

 【大鬼】の顔面へと膝蹴りを打ち込むと同時に真上へと投げられた【収納結晶】。

 それは最後、寸分の狂いもなく【大鬼】の巨躯を両断した。


 ──格上喰らいジャイアント・キリング 

 そのちっぽけな力であの強大な敵を打倒してのけたあの時のアイルは、誰が何と言おうと【英雄録】の主役たちに勝るとも劣らない主役そのものだった。


 本当に、凄かった。


「はぁー、ふぅー、はぁー、ふぅー」


 わたしは大きく深呼吸をすると、前を見据えた。

 アイルが目を覚ましたという情報は、二日前から入ってきていた。


 しかし、わたしはすぐに会いに来ることができなかった。

 それは、心の準備ができていなかったから。


 あの日、あの一戦を目にしてわたしの中の何かが大きく動かされてしまったように、今のアイルとの会話はわたしにまた何か大きな変化をもたらしてくるのではないか、と怖くなったから。


 でももう、大丈夫。

 この二日間で、覚悟は固まっていた。

 どこか吹っ切れたような気持ちになれた。

 今ならわたしはわたしのまま、アイルと向き合うことができる。


 わたしは確かな足取りでアイルの個室まで向かい、ドアの前で立ち止まった。

 そしてもう一度深呼吸をして、トントンとドアをノックする。


「失礼します」


 返事はなかった。

 寝ているのだろうか。

 わたしは勝手にドアを開いて、部屋へと足を踏み入れた。


 そして、足音を立てずに数日前アイルの横たわっていたベッドの側へと歩み寄ると、カーテンを開く。


「っ」


 そこにアイルの姿はなかった。


 残されていたのは、二通の手紙だけ。

 一つはわたし宛のもの。

 そしてもう一つは師匠宛のもの。


 わたしは『シティさんへ』と書かれている方の手紙を手に取り、中身を取り出した。


=====


『オイオイ本当に良かッたのかァ!?

 最後の別れが手紙なんかでェ!』


 剣の都の門を潜って外へ出た僕は、イゼの放ったそんな言葉に少し足を止めて振り返った。

 そしてアイル・クローバーの物語の始まりの場所とも言えるその都の外壁を最後に目に焼き付ける。


「うん。少し寂しいけど、きっとまたどこかで会えるって、そんな気がするから」


『そうかァ。そうだなァ!

 その通りだァ!

 歩き続けてる限り、英雄の道ッてのは交わり続けるァ!

 死ぬまで、いや、死んだ後もずッとだァ!』


「うん!

 ……ていうか、直接別れを言えなかったのは、イゼが『今回大将が〖纏雷〗を派手にぶッ放しちまッたことでェ、ベルシェリアの嬢ちャんには正体がバレちまッたかもなァ!』なんて言ってたから、って理由もあるんだけどね」


『事実だからしャあねェ!』


 そう言って『ギャハハ』と嗤うイゼに、僕もつられて笑みをこぼした。

 そして、この数か月間の思い出を最後まで振り返った後、僕は再び剣の都へと背を向けた。


「じゃあ、行こうイゼ」


『あァ、どこまでもお供するぜェ!』


 この未知の世界を、冒険しに。







『そういやァ【英雄録】に名ァ刻んだことで【階位クラス:2】になッたんだろァ!?

 ならせッかくだァ!

 ここでいッちョ新しい《誓い》決めとけやァ!』


 ──《階位》が上がったら《誓い》は更新しなければならない。

 僕はイゼのそんな提案に、頬を掻きながら答えた。


「実はもう、次の《誓い》は決まってるんだ」


『おォ! 言ッてみろァ!』


「えぇ……」


 正直僕は、イゼにその《誓い》を教えることを少し躊躇った。

 笑われてしまうかもしれない、という心配があったからだ。


 だけどこういう時のイゼは絶対に引かない。僕が教えるまでイゼは追求し続けてくるだろう。


「笑わない?」


『絶ッッッッッッ対ェ笑わねェ!

 オレァ約束破ッたことなんてねェ!』


 堂々とそう口にするイゼに、僕は俯きながら口を開いた。


「えっと、その。

 …………を……こと」


『ああ!? 聞こえねェッてんだよァ!

 もッとケツの穴に力込めて言えァ!』


 ……ああ、もう!



「だからっ、〝心から何かを分かち合えるような仲間ともだち を作ること〟だって!」



 その後、しばらくの間イゼの笑い声が辺りに響き続けた。

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