幕間
閑話:『天狗の村』
新しい英雄誕生の知らせは、【英雄録】の写本となって世界中を駆け巡る。
──剣の都の近郊『天狗の村』。
月に一度の商人との接触を除き、外界との関係を断ち切っている村。
商人によってその村に【英雄録】の写本が届けられたのは、新しい英雄の誕生から二週間が経った日のことだった。
「新しい【英雄録】だ!」
「だれか読んで読んでー」
「みんな集まれー!」
写本を手にした子供たちは目を輝かせて広場へと集まる。
どこからともなく引っ張られてくる少女。
その少女は子供たちの視線をその一身に受け、読み聞かせを始める。
「これは、誰よりも臆病者を突き通した一人の少年の物語──」
=====
「……なんだか、カッコ悪〜い」
その英雄譚を聞き終えた子供たちの中から、そんな声が上がる。
辺りを見回してみると、眠りこけてしまっている子までいた。
ここ『天狗の村』に住む子供たちの内、最も年上のお姉さんである私──ララは、そんなみんなの様子を見て苦笑いを浮かべた。
確かに、今回の英雄譚は子供たちにとっては退屈なものだったかもしれない。
そこに【迅姫】のような流麗さはない。
また、【獣躙】のような豪快さもない。
それはただひたすらに諦めが悪く、泥臭い物語。まだ主役と呼ぶには未熟過ぎる、一人の少年の話。
「私は、好きだったんだけどな」
ぽつりとそんな呟きが唇から漏れる。
どんな逆境に立たされようと、自分を貫き通して前に進む。
それはとても難しくて、尊いことだ。
簡単に成し得ることじゃない。
人は妥協を知って成長する。
だけど、この少年はそれを思い切り蹴飛ばして自分勝手に一歩を踏み出したのだ。
泥臭くても、格好悪くても構わない、と。
私と同じくらいの年の男の子。
──アイル・クローバー。
もし私が同じような逆境に立たされていたら、なんて……考えるだけで折れてしまいそうだ。
まあ、どうせ私のようなちっぽけな村の村娘なんて英雄とは程遠い存在だけど。
英雄の才能があるわけでもなく、英雄を支えるヒロインになれるほど外見に恵まれているわけでもない。
英雄譚なんて、全く別の世界の話。
「遊ぼうぜー!」
「英雄ごっこしよう!」
「あたし【茨姫】!」
「じゃあ俺は【拳聖】!」
「【迅姫】もーらい!」
物語を聞き終え、すぐに駆け出していく子供たち。
もちろん、子供たちが口にする英雄ごっこの役の中に『アイル・クローバー』の名前は無かった。
「あんまり遠くに行っちゃ駄目だよー!
天狗様の守りが届かないところには魔獣が出るからねー!」
「分かったー!」
天狗様。
この村の守り神と言われている存在。
もちろん、そんなものは架空の存在に過ぎない。
実際にこの村を守っているのは、遠い昔に【賢者】がこの村に設置してくれた『魔除けの祠』の存在だ。
でも、昔から村の子供にはこう言い伝えるようにとの伝統があるのだ。
私も小さい頃は天狗様は実在しているのだと信じていた。
流石に今はもう信じていないけど。
「行ってらっしゃーい」
そんなことを思いながら、私は遠のく子供たちの背中を見送った。
「ララお姉ちゃーん!
天狗様が倒れてたー!」
そんなことを口にしながら慌てて子供たちが帰ってきたのは、太陽が真上に上がったくらいの頃のことだった。
=====
子供たちに連れられてやって来た森の奥にあったのは、上半身裸で地面へと倒れ伏している一人の少年の姿だった。
年は多分私と同じくらい。
秋の稲穂のような色をした髪に、どこか優しそうな顔立ち。
剥き出しの上半身は傷だらけで、肩口から脇腹にかけて大きな火傷跡のようなものも見受けられた。
人間……だよね。
冒険者、なのだろうか。
私は子供たちを背後に押しやり、恐る恐るその少年に近づいていった。
「その天狗様、天狗山からヒュンヒュンって降りてきたんだよ!
それで、ボクたちの前でバタンって倒れちゃった」
子供たちは必死にそう説明していた。
天狗山。そこは『魔除けの祠』がある山。
子供たちには天狗様が住んでいるからと言って立ち入らないように念を押していたはずだけど、その追求は後だ。
「あ、あのー」
声が届く距離まで近付き、私はそう呼びかける。
返事はない。
「大丈夫、ですか?」
「……っ」
ガリ、と。
突然少年の指が動き、地面を削った。
私は息を飲んで、足を一歩分引く。
緊張と静寂が私を襲う。
そんな中、倒れ伏す少年の口が小さく動いた。
「た、食べ……もの」
「はぐ、はぐ、っ」
獣のように私の出した料理を口に運ぶ少年に、私はギョッとした視線を送っていた。
ちゃんと噛んでいるのか心配になるくらい、料理の減りが早い。
子供たちも離れた場所からその様子を興味深そうに伺っていた。
「あの、ごちそうさまでしたっ。
それとありがとうございますっ。
食べ物から服まで」
野菜のかけら一つ残さず平らげた少年は、恥ずかしそうに頬を赤らめてそう口にした。
そして深々と頭を下げてくる。
「い、いやっ、倒れてる人を見過ごせなかっただけだからっ、本当に全然」
「僕にできるお礼があれば何でもします!
何でも言ってください!」
突然そんなことを言われて何も思いつかない私は、苦笑いを浮かべた。
「その、何でもやります!
水汲み、皿洗い、料理、食料調達、それと──魔獣退治とか!」
最後に出た提案に、私は少し目を見開いた。戦えそうには見えないけど、この男の子やっぱり冒険者なんだ。
なら。
「みんな、おいで」
私はそう言って子供たちに向かって手招きをした。
すると、子供たちは全速力で駆け寄ってくる。
「それじゃあ、この子たちの遊び相手になってもらえる?」
「えっ?」
ポカンとした表情になる少年。
私はそんな反応に笑ってしまいそうになりながら、子供たちに言った。
「みんな、このお兄ちゃん冒険者なんだって!」
「えー!」
「嘘お!?」
「全然そんな風に見えなーい」
「弱そー」「ちんちくりん」「おれの方が強そう!」
「うぐっ」
子供たちの言葉の暴力に、ショックを受けたような顔になる少年。
しかし、少年はすぐに人気者になった。
「どこから来たのー?」
「えっと、一週間くらい前までは剣の都にいたよ」
「えーー!」
「すごーい!」
「じゃあ【迅姫】知ってる!?」
「もちろんっ」
「見たことある!?」
「綺麗な人だった?」
「うん、見たことあるし、とっても綺麗なお姉さんだよ。
それに秘密だけど、【迅姫】は僕の師匠なんだ」
「うっそだー!」
「信じられない!」
「嘘つきはゲンコツなんだよ、お兄さん」
「ええ!?」
少年と子供たちのそんな会話を聞いて私の顔は綻んでいた。
人の出入りの少ないこの村に、娯楽は少ない。
それこそ【英雄録】くらいのもの。
そんな私たちにとって、外の人たちの話とは新鮮で面白いなによりの娯楽なのだ。
「お兄ちゃんも英雄ごっこしようよ!」
「行こう行こう!」
子供たちに引っ張られて家を出て行く少年。
私もその後を追って外に出た。
「お兄ちゃんは『端役』ね!」
「う、うん、分かった」
少年はその役を押し付けられ、苦笑いを浮かべていた。
英雄に助けられる側。
主役を引き立てる側。
その役がいないと、英雄譚は盛り上がらない。主役の当て馬として、早々に舞台から押し出されてしまった少年。
そして、清々しいまでの置いてけぼり。
そんな状況でしょんぼりとした背中をこちらに向けて立つ少年に向かって、私は歩み寄って行く。
「ごめんなさい、こんな役を押し付けてしまって」
「い、いやいや、僕も……楽しいです」
「『端役』なのに?」
「は、はい。
それに──」
少年はしっかりと前を見て言った。
「『端役』が英雄になれないなんて道理、ありませんから」
「っ」
息を飲む。
少年の口にするその言葉には〝魂〟があるような気がした。
それはきっと、少年が己を賭して導き出した証明。
チク、と。
私はその淀みのない横顔に既視感のようなものを覚えた。
えっと、なんだっけ。
えーっと──あ、そうだ。
「キミ、もしかして『アイル・クローバー』のファンか何か?」
「はえ?」
「あれ、違った?
いや、なんだか、いかにも『アイル・クローバー』が口にしそうな台詞だなって思って。
知らない?
新しく【英雄録】に刻まれた主役の名前」
「い、いや、えっと」
汗まみれになりながら視線を泳がせ始める少年。
私はその態度に首を傾げた。
なんだろう。
あ、そういえば『アイル・クローバー』って剣の都にいるんだっけ。
もしかして知り合いだったりするのかな?
私はそんな推測と共に口を開こうとし──
「──魔獣だあっ!」
森の方向から上がったそんな叫び声を聞いた。
それは、子供たちが向かって行った方向。
「っ!」
地面を蹴って飛び出す。
どうして?
どうしてっ?
『魔除けの祠』の加護がある限り、私たちが魔獣の脅威に怯える必要なんてないはずなのに。
これまで、こんなこと一度もなかったのに。
いや、違う。
そんなことどうでも良い。
守らないと。
子供たちを守らないと。
だって、私が一番お姉ちゃんなんだから!
「──」
子供たちが泣き叫ぶ声。
私は唇を噛んで加速する。
そして、その存在を目にした。
それは『死』を運ぶ怪物。
絶望の化身。
間違いない。あれが──【大鬼】。
長い間『アイル・クローバー』の前に立ちはだかっていた存在。
そうか、『アイル・クローバー』はこんな存在に真正面から立ち向かって行ったのか。
これは、挫けそうになってしまうわけだ。
全身が震えた。
立ち止まってしまいそうになる。
だけど、止まらない。
止まることなんてできない。
子供たちは身を寄せて震えていた。
【大鬼】がその手に握っている棍棒をひと薙ぎした瞬間、その命は容易く屠られてしまうことだろう。
そんな私の考えをなぞるようにして、視線の先の怪物は棍棒を振り上げた。
ダメ! ダメっ!
「ダメえええええええっ!!」
届かないと知りながら伸ばした手。
その手は虚しく空を切り──
「──ふッ」
少年の背中を押した。
「え」
頬を撫でる一陣の風。
バヂン、という音を立てて、一つの背中が私を追い越して行った。
そして目にも留まらぬ速さで怪物と子供たちの隙間へと割り込み、振り下ろされる棍棒を弾く。
そして、咆哮。
「〖纏雷〗ッ!」
白い雷の花が咲いた。
それはうねりとなって【大鬼】を包み込む。痙攣する【大鬼】の巨体。
少年はその隙をついて、子供たちを担ぎ上げた。
「っ、こっち!」
私は叫ぶ。
その声を聞き、少年は【大鬼】の前から離脱した。
そして私の元へと駆け寄ると、子供たちを地面へと下ろす。
私は泣き叫ぶ子供たちを力一杯抱きしめた。そして顔を上げる。
その視線の先にいるのは、一人の少年。
少年はすでに【大鬼】と向き合っていた。
こちらに背を向け、急いで持ち出してきたと思われる短剣を抜き去る。
「【弁慶童子】が討伐されたことで、ここら辺の【大鬼】の動きが活発になってるって本当のことだったんだね、イゼ」
そして私に聞こえるか聞こえないかくらいの大きさの声でそんな独り言を零した。
私は少年の視線の先を見て、瞠目する。
二体、三体、四体。
次々と数を増やしてゆく【大鬼】たち。
私は、子供たちは、絶望の味を知った。
しかし──
「大丈夫」
少年はその光景を目にして、一切臆した様子を見せずにそう言った。
その横顔に、恐れの色なんてものはない。
そして、一歩一歩足を踏み出す。
「そこを退け、
私は英雄譚の一頁をその背中に幻視した。
「──僕が通る」
姿が霞むほどの疾走。
少年と怪物の群れが、衝突する。
そこから始まったのは、少年が繰り広げる一方的な攻戦だった。
それは私の目では捉えることすらできない戦い。
戦場を雷鳴が駆け巡る。
何体もの【大鬼】の隙間を白い稲妻が駆け抜けたと思えば、遅れて血飛沫が宙を舞った。視界を縦横無尽に駆け巡る幾条もの白い雷の残滓。
その光景に、気付けば私は見入ってしまっていた。
子供たちも泣くことを忘れてその光景に釘付けになる。
きっとこれが、世界という舞台上で光を浴びるような人間なのだろう。
「…………凄い」
誰かがそう零した。
私は心の中で頷いた。
私たちは今日、
=====
天狗の山の中腹。
そこにひっそりと建っている『魔除けの祠』。
「バカッ!」
そこで私は怒鳴り声と共に、子供たちの頭へとゲンコツを落としていた。
子供たちは泣きながら「ごめんなさーーーい!」と口にする。
私はその子供たちの様子を見て、取り上げた『紫色の結晶』へと視線を落とした。
これが、今回の騒動の原因。
──『魔除けの祠』に嵌め込まれている筈の、動力源。魔素を吸収するための媒体。
これがないと『魔除けの祠』は効果を発揮しない。
「もう『度胸試し』なんてバカな真似で、この石を勝手に取ってきたりしたらダメだからねっ!」
私は何度もそう言い聞かせ、その結晶を『魔除けの祠』へと嵌め込んだ。
これで全てが元どおりになる筈だ。
私は振り返って、後を付いて来た少年を見た。
「助けてくれて、ありがとう」
そして深々と頭を下げる。
「いや、えっと、その。
元々助けてもらったのは僕の方なのでっ。
むしろそのお返しができて良かったです」
少年はお礼を言われ慣れていないのか、頬を赤らめながらそう答えた。
この動物も殺せなさそうな少年が、あの【大鬼】の群れを一人で殲滅した。
この目で実際に見ておきながら、その事実を私は未だに受け止められないままでいた。
だって、全く違うのだ。
今の少年と、あの時怪物と対峙していた少年の雰囲気が、佇まいが、眼差しが。
全然、全く。
重ならない。
何一つ重ならない、っ。
ああ、もう、なにこれ!?
「〜〜〜」
私は頬が熱くなるのを感じた。
少年から目を逸らし、俯く。
「じゃあ、僕はもう行きますね」
「え?」
と。
少年の口から突然でたそんな言葉に、私はそんな間抜けな声を返していた。
「もう、行くの?」
「は、はい。その、これ以上ご迷惑をおかけするわけにはいかないので。
それと、乗っておきたい馬車が今日中にここの近くの道を通るらしくて」
「そ、そう、なんだ」
私は落ち込むと同時に、ここで引き止める度胸のない自分を責めた。
どうしよう。
どうしよう。
何か言わないと。
そんな考えに目を回す私に背を向ける少年。
少年は踏み出す前に「あ」と一言漏らし、こちらに目を向けてきた。
「えっと、料理、美味しかったです。
なんだか懐かしい味がしました。
みんなも、久しぶりの英雄ごっこ、楽しかったよ」
そう言って、私、そして子供たちへと目を向ける少年。
その目は、まるで昔の自分と誰かの姿を重ねるように私たちを見ていた。
暫くして、少年は口を開く。
「……それじゃあ、また」
「あ、待って!」
気付けば、私はそんなことを口にしていた。
「は、はい?」
首を傾げてこちらを見てくる少年。
どうしよう。
何も考えずに引き止めてしまった。
「えっと、その」
次第にカラカラになっていく喉。
私は頬が熱くなるのを感じながら、口を開いた。
「名前を、教えてくれる?」
変な質問じゃないよね?
大丈夫だよね!?
自問するが答えは帰ってこない。
心臓のバクバクに耐えかねて俯く私。
そんな私に向かって、少年は言った。
「僕の名前は──アイル・クローバーです」
「へ、へえ! あ、アイルね!」
アイル!
アイル。
……アイル・クローバー?
「えええええええええええええええええええ!?」
そんな私の叫び声は、雲一つない真っ青な空へと溶けていった。
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