22話:当て馬


 闘技場を埋め尽くす幻想的な光。

 可視化するほどの精霊の数。

 そして、目を焼かんばかりの【精霊結晶】の輝き。


 僕は怪物と対峙するシティさんの背中に、確かに英雄の姿を幻視した。


 僕にも分かった。

 シティさんは今、壁を突き破ったのだと。

 主役えいゆう の資格を手にしたのだと。


「【淑女の一閃レディー・ファースト 】」


 そう口にし、シティさんは腰の短剣を抜き放った。


 淑やかと表現するに相応しい佇まい。

 地面と水平になる形で構えられる短剣。

 瞬間、辺りの空気が確かに震えた。


 そして僕は見た。


 パキン、パキンと音を立てて氷煙を纏いだす短剣。

 剣身に収束していく冷気。

 それは時間が経過するにつれて鋭利な輝きを帯びていく。


『【ギフト】をァ、発現させやがッたなァ』


 そんなイゼの声がやけに鮮明に響いた。


 ギフト。

 無限の可能性からの贈り物。

 己の中に芽吹く、その人だけの力。

 自分の全てを受け入れ、曝け出した者の魂の証明。


 ──それは。

 魂からの〝台詞ことば 〟によって引き出される力。


 ことば。

 それはその人そのもの。

 たった一言で前向きになれる。

 たった一言で後ろ向きになれる。


 ことば。

 それは最も信頼の置ける武器である。

 本音はその武器を研ぎ澄ます。

 嘘はその武器を曇らせる。


 紡ぎ手によって千差万別に変化する〝ことば〟。

 それを魂の髄まで剥き出しにした〝台詞ことば 〟へと昇華させた時、それは具現化した可能性として紡ぎ手の身体へと宿る。



 ──「〝わたしが通る〟」



 シティさんはその〝台詞ことば 〟をもってして、力を手にするに至った。

 全ては、僕を守るために。

 全ては、目の前の敵を打ち破るために。


『ヴヴ、ゥゥァ』


 死神の鎌を突きつけられた罪人のように【大鬼】は後退した。

 その相貌を支配しているのは、怯え。

 先ほどまで張り付いていた狂気の笑みの面影は、今や跡形もなく消え去ってしまっている。


 なんて、頼もしい。


 僕はみっともなく座り込んで、安堵や安心といった感情を覚えていた。

 チク、と胸を針で刺されるような痛みに気付かないフリをして。


「わたしはもう、止まりません」


 シティさんの口から紡がれる言葉。


 それは自分に向けての言葉なのか。

 観客に向けての言葉なのか。

 それとも──僕に向けての言葉なのか。


 それはシティさんにしか分からない。

 ただ、シティさんは振り返らなかった。

 前だけを見ていた。


 きっとこの【大鬼】への勝利をもって、シティさんは飛び立つ。

 僕の目なんか届かないほどの高みまで。


 気付けば僕はその背中に手を伸ばしかけていた。

 だけど、もう遅い。


「ッッ」


 その場に残像だけを残して搔き消えるシティさんの背中。

 そして僕は何よりも美しい剣の軌跡を見た。


 それは研ぎ澄まされ、洗練された一閃。

 空気や空間ごと凍てつかせて、その剣閃は【大鬼】の喉元を捉えた。


 ──パキン。


 それは命を刈り取った音。

 あまりに静かな決着の合図。

 視界の奥で地面に着地するシティさん。

 少し遅れて前のめりに崩れる【大鬼】の巨体。


 そして訪れる静寂。


 誰もがそこから目を離せなかった。

 誰もがシティさんが生み出した氷煙の軌跡に目を奪われていた。


 今、僕たちは歴史の転換期を目の当たりにしているのではないか。

 この光景はここにいる全ての人にそんな思いを抱かせているに違いない。


「す………………げ、ぇ」


 不意に、誰かがそう零した。

 それを起点として次々に伝播してゆく熱。

 この光景を見せられて、シティさんのとった『闘いへの介入』という行動を咎めようとする者はここにはいなかった。


 気付けば、闘技場中に歓声が満ちていた。

 一気に舞い上がる【祝福】。

 その佇まいに、誰もが主役えいゆう の姿を重ねて見たに違いない。

 僕だって重ねた。


 僕は最後にそんな光景を目にし、意識を手放した。


=====


『よァ、起きたかよァ』


 目を覚まして最初に聞いたのはそんな声だった。

 なんだか酷く気分の悪い目覚め。

 僕は気を失う前の記憶を手繰り寄せながら、上体を起こす。


「……ここは」


 周りを見渡して、そんな呟きを落とした。


 知らない、清潔感のある部屋。

 周りにはカーテンに仕切られて並んでいるいくつかのベッドが見える。

 明らかに一人用ではない場所。


 今、この部屋を使ってるのは僕だけみたいだけど。


『ここはァ闘技場の中の医務室ッてトコだァ。

 覚えてるかァ?

 あのシティとかいう嬢ちゃんに助けられた後ァ、てめェはぶッ倒れてここに運ばれたんだァ』


「覚えて、る」


 痛いほどに。

 焼き付いて離れない。

 あの鮮烈な光景が。

 僕の晒した体たらくが。


 頭が、身体が。

 あの場所で起こったことを思い出そうとするのを拒んでいた。

 震えだす身体を抱き、僕はキツく瞼を結ぶ。


 どれだけそうしていたか。

 ──トントン、と。

 そんなドアを叩く音は、突然耳に届いた。


「……はい」


 僕の返事を受け、ドアが開かれる。

 そしてその奥にいた人物を視界に捉え、僕は目尻が裂けそうになるほど目を瞠った。


「失礼する」


 ──【獣躙じゅうりん 】ガルバーダ・ゾルト。

 師匠と並んで【氷霊】のギルドの双璧を担っている存在。

 紛うことなき最強の一角。

 そして、僕が汚した《凱旋道》を先頭に立って歩んでいた英雄。


 まさにその人。


「なん、で」


 気付けば僕はそんな言葉を口にしていた。

 後になって慌てて両手で口を覆う。


『大将ァ、もしもの時は代わッてやッてもイイぜェ』


 イゼのそんな言葉が頭の中に響く。

 それは、最悪の事態に陥ってしまった時の選択だ。

 僕は唾を飲み込み、いつでもイゼと代われるように喉を湿らせた。


 しかし、そんな僕の様子を見て、ゾルト……さんが敵意を露わにすることはなかった。


「そう警戒しないでくれ。

 私は君と話をしに来ただけだ」


「はな、し?」


 僅かな優しさすら感じられる口調で紡がれたそんな言葉に、僕は身体の力が一気に抜けるのを感じた。

 イゼも黙って話の動向を探ろうとしている。


 ゾルトさんは医務室に備え付けてあるイスへと腰掛けると、僕の方へと視線を向けてきた。


「そうだな、何から話そうか」


 そして顎に手を当てそんなことを呟く。

 それから次にゾルトさんが言葉を発するまで、そう長い時間はかからなかった。


「君はまるで、昔の私だ」


 そして、その言葉に僕は息を飲み込んだ。


 分からない。

 言ってる意味が、分からない。


 片や、世界最高峰のギルドの象徴を担う存在。

 片や、何度も人々の前で恥を晒すような腰抜け。

 からかわれていると思い込んでしまう方が、まだ自分を納得させられた。


 唖然とした表情を浮かべる僕を見て、ゾルトさんは微かに口元を緩めた。



「いや、正確には『君 はまるで、昔の私 のようだ』と表現する方が正しいか」



 そして、ゾルトさんの目は真剣なものへと変わる。

 それは「ここからが本番だ」と訴えかけてくるように。


「誰もが認める【迅姫】ベルシェリア・セントレスタが完成に至るまでの過程には、私──【獣躙】ガルバーダ・ゾルトというの存在があった」


「当て、馬?」


「ああ。人々は世界最高峰のギルドの双璧などと言って私たちを持て囃してくるが、それは下らない虚構にすぎない。

 紛うことなき〝本物〟であるベルシェリアアイツ に対して、私はただの〝本物になり損ねた者〟だ」


 自嘲するように、ゾルトさんはそう口にする。

 僕は黙って話を聞いていることしかできなかった。


「アイツは言っていた。

 ──英雄には【設計図レシピ 】がある、と。

 ──主役とは作り出せるものだ、と。

 その中で昇華を遂げるために欠かせないスパイスとなるもの。

 それが好敵手と言えば聞こえの良い『当て馬』という存在だ」


「……」


「誰しも、巨大な壁を乗り越えるのに一人の力では限界がある。

 アイツもかつてはそんな壁にぶつかっていた。

 それを乗り越えるための糧、当て馬とされたのが私だった。

 そしてアイツは〝本物〟となった。

 私という存在を蹴落として」


 その話を聞いていくにつれて、僕は息が苦しくなっていく感覚に陥った。


 拭えない既視感。

 重なる。

 重なってしまうのだ。

 そのゾルトさんが歩んできた境遇と、僕が今歩んでいる境遇が。

 それはもう、気持ち悪いほどに。


 想起されるのは、シティさんの背中。


 そうだ。

 そうだ。

 まさに今日。

 ついさっき。

 僕はその光景を目にしたじゃないか。

 経験したじゃないか。

 忘れるはずもない。

 成長の糧とされた感覚。

 シティさんが主役へと飛び立つための踏み台にされた感覚。


「全てはベルシェリアの筋書きシナリオ 通りに進行してゆく。

 アイツは君という存在を利用して、もう一人の自分【淑姫】 を作り出したのだ」


 じゃあ。

 じゃあ。


 師匠はこれまで、僕をその『当て馬』としか見てなかったということ?

 シティさんの殻を破るための糧としか考えてなかったということ?

 師匠にとって僕の成長は、シティさんのついでだったということ?


「っ」


 吐き気。

 虚無感。

 喪失感。

 そういった感情が波のように押し寄せてくる。


 そうか、僕は期待されてなんかいなかったんだ。





 気付けば外は暗くなり、ゾルトさんの姿も消えていた。

 何も考えられないくらい放心していたから。


「イゼ、ゾルトさんは……?」


『あァ、ずッと前に出てッたよァ。

 最後に「このようなことが繰り返さないように協力してほしい」ッつッてなァ』


 そう、か。


「…………ねえ、イゼ」


『あァ?』


「一つ、お願いしても良い?」


=====


 精霊序列一位──【氷霊】のギルド。

 その巨大な建造物の最も高い位置にある部屋。選ばれた者しか入ることを許されない場所。


 月明かりに満ちているその広間には今、二つの影が照らし出されていた。

 【迅姫】ベルシェリア・セントレスタ。

 【獣躙】ガルバーダ・ゾルト。


 それは【氷霊】のギルドが有する一対の矛と盾。

 世界最高峰のギルドの双璧を担う存在。


 その二人が今、対峙していた。


「正直に答えろ」


 先に口を開いたのは、険しい表情を浮かべた大男──ガルバーダ。

 男は僅かな怒気のこもった口調でそう口にした。


「うん、良いよ」


 対する淑女──ベルシェリアは、飄々とした口調でそう応じる。

 まさにこうなることも見越していたかのような態度で、ベルシェリアは笑顔を作っていた。


「【淑姫】とあの少年について。

 いったいどこまで見えていた?

 ……いや、違うな。


 ──いったい、どこまで見据えている」


 ガルバーダを取り巻く空気が震える。

 しかし、ベルシェリアは臆した様子など一切露わにすることなく、穏やかな雰囲気を纏ったままその口を開けた。


「ずっと最初から。

 そうだな、アイルと再会した時かな。

 今日の闘技場での光景が頭に浮かんだのは」


「……」


「あの子アイル はこれ以上ないくらいのスパイスになり得る。

 シティを燃え上がらせる起爆剤となる。

 再会した瞬間にそう思ったよ」


 飄々と。

 淡々と。

 悪怯れる様子など一切なく、ベルシェリアはそう口にする。


「現にそのシナリオ 通りになった。

 いや、正直想像以上だったかな。

 シティは目の眩むほど鮮烈な一歩を踏み出した。

 はっきり言って、震えたよ」


 僅かに頬を紅潮させてベルシェリアはそう放つ。

 一挙手一投足から滲み出る底知れなさ。

 その様子を目にし、ガルバーダは奥歯を鳴らした。


「それで、お前の見据えているのはどんな未来だ。

 お前はこれから【淑姫】をどうするつもりだッ!」


 ベルシェリアはそんな問いに対し、淀みない声で答えた。



「私はあの子を──【迅姫わたし 】に匹敵する主役えいゆう にまで押し上げる」



「……なに?」


「あの子の資質は底知れないよ。

 あの子とだったら、私はもっと上に行ける。

 私自身の【設計図レシピ 】において、あの子は欠かせないスパイスになり得る」


 無邪気な笑みを浮かべてそう話すベルシェリア。

 それはまるで、ようやく見つけた最後のパズルの一ピースを持ってはしゃぎ回るような子供のようであった。


「なんて、自分勝手な」


「自分勝手は、主役えいゆう にとって褒め言葉だよ。

 主役ってのは自己顕示欲の塊だから。

 もっと私を見ろ、私だけを見ろ、って。

 そのためならなんだってする。

 なんだってできる」


「そうやって結局は自分の糧とするために、あの少年も踏み台の一つとしたのか。

 それは若い未来を摘むことだと、なぜ分からん」


 ガルバーダのその言葉を聞いて、ベルシェリアは困ったような顔を作った。

 そして諭すように言葉を紡ぎ始める。


「その、これは私にしか分からない感覚みたいなんだけど、人って産まれながらにして『主役側』と『端役側』の二つに分けられてるんだよ。

 こう、越えられない柵で仕切られてる感じで。

 それで、私とシティが『主役側こっち 』。

 ガルバーダとアイルが『端役側そっち 』だった。

 きっとこれは、それだけの話。


 本当に踏み台なんて考えたことはなかったんだ。ただ、柵のそっち側とこっち側の者同士、生まれながらに与えられた役割が違った。

 本当にただそれだけの話」


「納得、できない」


「そうだよね。

 うーん、じゃあ、一つ。

 私が精霊の【巫女】だからこそ知ってる知識を使って一つ話をするね」


 そう言うと、ベルシェリアはガルバーダの【精霊結晶】を指差した。


「【精霊結晶】に宿る色って、その人の魂の色を表してるんだ。

 つまり、性格を表してるってこと。

 ガルバーダは灰色。

 アイルは確か白色。

 精霊が言うには、白とか灰色っていった薄い感じの色は『臆病者』を表す色なんだって」


「っ」


「精霊は魂から放たれる〝己の証明〟を求めている。

 つまり主役えいゆう っていうのは、誰よりも自分を信じられる人種のこと。

 生まれ持った本質を、性格を、魂を。

 一生向き合っていくしかないそれら全てを信じて信じて信じて信じて信じ抜くことができる者。

 それが主役へと至れるような存在」



 ──じゃあ『臆病者』は?

 ──臆病な自分を信じた先に生まれるものなんて何もないよ?



 それが全ての真理であるかのように話すベルシェリアに、ガルバーダは言葉を失っていた。

 これまでの全てを否定され、これからのことまでも全て無駄だと一蹴される。


 ベルシェリアは続ける。


「臆病は病気みたいに治せるものじゃない。

 それは魂に刻み込まれているものだから」


 淡々と。


「だから臆病者は変わろうと足掻く。

 変わろうとすることは立派だよ。

 だけど正しくはない。

 だって『変わろうとする』ってことは『自分を信じようとしない』ってことだから。

 自分勝手になろうとしないってことだから」


 飄々と。


「臆病者は臆病者に生まれた時点で、自分勝手に生きようとする自分を否定し続けるしかないんだ。

 そうしないと前に進めないから。

 でも自分を信じずして踏み出した一歩に、価値はない」


 粛々と。


「変わろうとすればするほど臆病者は弱くなる。

 かと言って臆病を貫いた先に生まれるものもない。

 こんなジレンマってないよね」


 そして、滔々と。


「でも、仕方ない」


 ──だって。




「臆病者は生まれた時点で『端役』の道を歩むしかないんだから」




 そう断言する。

 それが、ベルシェリア・セントレスタの【英雄の定義】だと。

 世界の理であると突き付けるように。


 そしてベルシェリアは「話は終わり?」とでも言いたげに微笑を浮かべた。

 口を噤んだまま立ち尽くすガルバーダ。

 場を支配する静寂。


 と。


「ッ」


 ──サン、と。

 ベルシェリアの抜いた剣が、暗闇を斬り裂く。そしてその剣の切っ先は、月明かりが差し込む窓へと向けられていた。


「いる」


 そう口にしたベルシェリアは音も置き去りにして飛び出した。

 そして、勢い良く窓から身を乗り出す。

 ……しかし、そこにあったのは、弾ける白い雷の残滓のみ。


 長時間に渡って気配を遮断する技術。

 一流の剣士の目から一瞬で逃れる速さ。

 頭を過ぎった考えに、ベルシェリアは目を細める。


「……【黒い男】」


 そしてその口から勝手に溢れた呟きは、誰の耳に届くこともなく闇の中に溶け込んでいった。

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