8話:《深度》


「にじゅうはち、にじゅうく、っ。

 ──三〇さんじゅう !」


 そんな言葉と共に駆け回りながら振るう短剣。

 その剣身はサンと音を立てて精霊樹の葉を斬り裂いた。


「やっ、たーーー!!」


 直後、明らかに過去一番の量の【祝福ファンファーレ 】が辺りに降り注いだ。

 その【祝福】が身体に力となって蓄積されていく感覚も確かで、達成感も過去一番だ。


「強く、なってる」


 僕はしっかり、はっきりとそう口にした。

 そしてこの今の感覚を噛み締める。


「驚きました。

 わたしの助言があったとは言え、あれからたった一週間で」


 仰向けになっている僕の元へと歩み寄ってきたシティさんはそう言って、僕に水を渡してくれた。

 僕はお礼を言ってそれを受け取る。


 あれからシティさんは少しずつ僕の鍛錬に付き合いに来てくれていた。

 そしてお手本を見せてくれたり、助言をしてくれたりと、正直言って短期間でここまで成長できたのもシティさんのおかげによるところが大きかったと思う。


 僕はただ死ぬ気で食らいついていっただけ。

 これはその結果だ。


「ありがとうございました、シティさん。

 その、色々と」


 立ち上がって、僕はシティさんにしっかりとそう伝える。

 シティさんは一言「いえ」と返すと、僕の方に背中を向けた。


「それより、結果を師匠に報告しに行きましょう」


 そして足早に歩き出すシティさん。

 これはきっと照れ隠しだ。

 この一週間で僕はシティさんという人間が少し掴めた気がしている。

 口調はいつも冷静だが、実は繊細で感受性が豊かなのだ。


 時には厳しく、時には可愛らしい。

 人々がこの人を応援したくなる気持ちも、よく分かる。


「待ってくださいシティさん!」


 僕はそんなシティさんの背中を追って走り出した。

 その後なぜか【氷霊】のギルドに着くまで競争になった。


=====


 嫌悪、侮蔑、嫉妬。

 ベルお姉さんの弟子となった今でも、この視線には慣れることができない。

 ベルお姉さんやシティさんと違い【氷霊】のギルドの一員ではない僕に集まる視線はどれも剥き出しの敵意を宿していた。

 それらの視線を浴びながら、僕はシティさんと並んで【氷霊】のギルドへと踏み込む。


 ガヤガヤと多くの人が入り乱れる中、師匠のその映える銀髪は一瞬で視界に映った。


「あーもうー!

 どうして私にこんな紙と睨めっこするような仕事させるのさー!

 私はこのギルドの“矛”なんだけど!

 派手な仕事だけ持ってきてよ!」


「溜め込んでいなければ済んだ話だ。

 恨むのなら怠けていた過去の自分を恨め」


「もっと面白い返しできないのカタブツ!」


 人で混み合うギルド内だったが、その二人の周りには穴が空くように一つの空間が出来ていた。

 一人はもちろん師匠。

 そしてもう一人は──


「っ」


 見覚えのある顔だと思っていたけど、思い出した。

 むしろどうしてこれまで忘れていた。


 それは屈強な肉体を纏った男性。

 荒んだ芝生のような金色の髪に、尖った眉。

 その下にある切れ長の目が放つ眼光は、まるで凶暴な獣のよう。


 そうだ。

 あの人はあの日──僕が凱旋道を汚した時、その栄光の道の先から先頭に立って歩み寄って来ていたまさにその人だ。

 この都で暮らす中で、何度も耳にした。


 その名は──【獣躙じゅうりん 】ガルバーダ・ゾルト。

 ここ【氷霊】のギルドの“盾”を担う存在。

 最強の一人。


 思わず立ち止まってしまう僕。

 踏み出したくない。

 心がそう叫んでいた。


 しかし、そんな僕の姿はすぐに師匠の目に留まる。


「あ、アイル! シティ!

 良いところに来てくれたよ〜!

 こっちおいで!」


 周囲の視線が一気にこちらに集まり、人混みの中僕たちと師匠との間を繋ぐ道ができる。

 やっぱり、その視線はどれも気持ち良いものじゃない。


「行きましょう、アイル」


 立ち竦む僕の後押しをするようにシティさんはそう言うと、僕の盾になるように前に立って歩きだした。

 僕は情けなさに泣きそうになりながら、その後を追う。


「いやー、暇してたから良かったよ!」


 僕たちが近寄ったのを見てそんなことを口にする師匠。

 そんな師匠をガルバーダさんは「おい」と口にして睨んでいた。

 そして不意に、そのガルバーダさんの視線がこちらに向いた。


「っ」


 息が止まる。

 心臓が信じられないくらい早鐘を鳴らしていた。


 怖い。怖い。怖い。

 歯がカチカチと音を立てて震える。

 そんな僕を見てガルバーダさんは、


「それでは俺は行く。

 ベルシェリア、今度会うまでに仕事を済ませていないようなら覚悟しておけ」


 そう口にし、背を向けた。

 そして師匠の「はいはーい」といった無気力な返事を聞いて歩き出す。

 僕はへたり込んでしまいそうだった。

 ようやく息の仕方を思い出し、勢いよく肺に空気を送り込む。


 僕はガルバーダさんの姿が見えなくなるまで、その背中から目を離すことができなかった。

 その背中が何かを僕に訴えかけようとしているように見えたから。


=====


「三〇枚!?」


 僕からの現状報告を聞き、師匠は驚いたようにそう口にした。

 師匠は確認するようにシティさんにも視線を向け、シティさんが頷くのを見て「三〇枚!?」ともう一度大きな声で口にした。

 そのせいで「なんだなんだ」と周りからの注目も集まる。


「いやー、驚いちゃった。

 うん、本当に驚いたよ」


 その師匠からの賞賛に、僕は純粋に嬉しい気持ちになった。

 それと同時に僅かな照れくさい気持ちも湧き上がってくる。


「その、でもこれはシティさんの助言があったから出せた結果で、その、僕一人だったらこんなに順調には進めていなかったと思います」


「へえー、シティからも認めてもらえたんだ」


「評価は改めました。

 でもまだまだです」


「素直じゃないからなー、シティは!」


 おちょくるようにシティさんにそう言う師匠。

 そして「あ、そうだ!」と突然大きな声を出し、勢い良く立ち上がった。


「《深度》測定、してみよっか!」


 そうして師匠に連れてこられたのは、【氷霊】のギルド内にある受付の一つ。

 そこでは受付に座っていたお姉さんは困った顔をして師匠を見ていた。


「その、原則としてギルドメンバー以外の《深度》を測定することは禁止とされているんですが」


「大丈夫! 私が大丈夫って言うんだから!」


「……そうですよね。ベルシェリアさんに何を言っても無駄ですよね」


 受付のお姉さんは一瞬で諦めの顔になって僕を見てきた。


「それでは、あなたの【精霊結晶】を見せて下さい」


「あ、は、はい!」


 僕は慌てて足輪アンクレット を外しそれを何度か服でゴシゴシ擦ると、両手で受付のお姉さんへと渡した。

 お姉さんは「それでは」と口にしてそれを受け取ると、ジッと凝視し始めた。

 僕はごくりと唾を飲んでその様子を見つめる。


 五秒、十秒、十五秒──そして二十秒。

 瞬き一つせずに僕の【精霊結晶】を凝視していたお姉さんは「ふう」と息を吐いて視線を外すと、目頭をぐっぐっと指で押しながら言った。


「《深度》──三〇五」


「え」

「おお!」

「うそ」


 よく分からない僕に、歓呼の声をあげる師匠。

 そして驚いた様子のシティさん。


 反応は三者三様だった。

 するとそんな僕たちの反応を不思議そうに見ていた受付のお姉さんが口を開く。


「【階位クラス :1】にしては中々だと思います。

 この【精霊結晶】は身につけ始めてどれくらい経ちますか?」


「えっと、二週間です」


「二週間!?」


 次は受付のお姉さんが驚いたように机に両手を叩きつけて立ち上がった。

 そして信じられないといったように師匠へと目を向けるが、師匠が「本当だよ」と言ったことで受付のお姉さんは更にアゴをガクンと落とした。


「一体、どれだけの魔獣と戦ったのですか」


「あ、いえ、その、魔獣とは一匹も戦ってなくって」


「魔獣とは一匹も戦ってなくって!?」


 二度見されながらそう言われた。

 力強く両手を叩きつけられている机からはミシミシと嫌な音があがっているほどだ。


「こんなの、それこそシティさん並みの成長速度じゃないですか」


 そして呆然といった様子で受付のお姉さんはそう言った。

 その言葉を聞いて、僕は「え」と口にしてシティさんの方へと勢い良く顔を向けた。

 シティさんはそんな僕の顔を見て、一度頷いた。

 そして口を開く。


「《深度》の成長速度は、その人の《感受性》の豊かさに比例する。

 感情の起伏が大きい人ほど多くの【祝福】を享受しやすい。

 そして強い《感受性》は【祝福】の効果を体内で増幅させる」


 頭の良くない僕にその話は少し難しかった。


「誰よりも臆病だったアイルが自信をつけていく。

 その過程が何よりもアイルの成長を促進させる潤滑剤になったってわけかな」


 師匠は「これもシナリオ通り」といった様子でそう口にした。

 頭がついていかない。ついていけない。


 だけど一つ。

 ──僕はちゃんと強くなれてる。

 それがはっきりと目に見えるものとなって分かったことが、僕は何よりも嬉しかった。


 《深度》──三〇五。

 この数値を僕は胸に刻み込んだ。

 ここが僕のスタートライン。


「あっ、その、ちなみに今の師匠とシティさんの《深度》は一体どれくらいなんですか?」


 それは、少しでもこの二人に近づくことができたかもしれないという考えから出た言葉。

 自分自身への期待から生まれた疑問。


「よくぞ聞いてくれた!」


 僕の質問にそう返したのは師匠だった。

 そして師匠は腕を組み誇らしげな顔を作ると、言った。


「三〇〇〇〇をついこの間越えたところだよ!」


 そして現実を見た。


「わたしは八〇九二です」


 シティさんも続けて言う。

 二人とも、僕なんかとは桁が違った。

 そしてその果てしない道のりに眩暈を覚えた。

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