11話:【英雄の忘れ形見】
辺りは闇で真っ暗に染まっていた。
不眠不休の身体に鞭打って向かった先は、もはや見慣れた精霊樹の庭だった。
便りとなるのは道の脇に備え付けてある発光結晶だけ。
僕はその淡い光に沿って道を駆け抜けて行く。
『はァァァァァん!!
こりャすげェ! このくッそ長ェ時間で文明もだいッッッッッッぶ進んだみてェだなァ!』
イゼはというとずっとこんな感じだった。
それはそうだ。
数千年ぶりに外の景色を見たんだ。
興奮するなという方が無理な話だろう。
一方的に投げかけられるイゼの話を聞きながら走っていると、知らないうちにいつもの場所へとたどり着いていた。
もう一人の
「えっと、場所はこんなところで良い?」
『ああァ。充分だ!
よし、じャあ大将はオレを置いて座りな!』
そう促され、僕はその場に腰を下ろす。
そして対面するようにイゼを目の前に置いた。
『さァて、これからするのはくッッッッッッそ大事な話だァ。
鼻くそかッぽじッてよく聞きやがれェ!』
「うん……!」
『オレァ【魔導書】!
だが、オレの中に眠ッてんのは【
──【ギフト】だァ!』
その言葉に、僕は大きく息を飲んだ。
──【ギフト】
つい昨日、シティさんの口から聞かされた存在。
人々の内に眠る無限の可能性。
『【ギフト】のことはァ知ッてるかァ?』
「う、うん。
といっても、実際に見たことはないんだけど」
自信なさげに僕がそう言うと、イゼは『ああ、それでイイ!』と返して話を続けた。
『ただ、オレん中に眠ッてんのはそこら辺のチンカスみてェな【ギフト】じャあねえ!
大昔に英雄と呼ばれていたようなイカしたヤツらが発現させた、くッッッッッッそイカれた【ギフト】たちだァ!』
「英雄が、発現させた?」
『ああァ! 唆るだろォァ?
名付けるなら──【
英雄時代全盛期の英雄たちが遺した力。
今では失われた【ギフト】。
次々とイゼの口から流れ出てくる情報の濃さに、消化が追いつかなかった。
寝不足も相まって視界がぐるぐると回り出す。
『オイオイ大丈夫かよ大将ォ!
これからが本番だぜェ!』
「が、頑張る」
そんな僕の様子を見て楽しむように『ケッケッケッケ』と嗤うと、イゼは続けた。
『まず【適格者】以外がオレを読んでもただの白紙にしか見えねェ。
さッきの銀髪の姉ちャんがそうだッたようになァ』
「あ」
そう言えばそうだった。
さっき師匠、全頁空白だって言ってたっけ。
『だがいくら大将が【適格者】と言えどォ、オレん中にある【ギフト】全ッ部を独り占めさせるわけではねェ。というかできねェ! ムリ!
こんッな化け物みてェな力、一人の人間が全部受け入れたりなんかしたらぶッ壊れちまうからなァ。
だから残念ながらァ、大将が手にできる【英雄の忘れ形見】は、
流石にそんな破格の力を独り占めしようなんて考えるほど僕は強欲じゃない。
だからその点に関しては別に僕の思うところはなかった。
『それに大将が手にできる【英雄の忘れ形見】はもう定められてるァ!
オレの頁をめくりなァ!
白紙じャねェ頁に綴られてる【ギフト】が、大将に相応しい【英雄の忘れ形見】ッてこッたァ!!』
「う、うん」
イゼにそう促され、僕はイゼ本体を手に取る。
そして一番はじめから、頁をパラパラとめくっていった。
白紙、白紙、白紙。
白紙、白紙、白紙、白紙。
白紙、白紙、白紙、白紙、白紙。
……あれ?
「ね、ねえ。
本当に僕にだけ見える頁なんてあるの?」
『ばァかが!
その質問は最後の頁まで目ェ通しても見つかんなかッた時にしやがれ!
オレの声ェ聞こえてる時点でソレはありえねェけどなァ!』
「う、うん」
気を取り直して残りの頁にも目を通してゆく。
白紙、白紙、白紙、白紙、白紙。
白紙、白紙、白紙、白紙、白紙、白紙。
そして──最後の一頁。
「あ」
あった。
不自然にそこだけ文字が浮かび上がっている頁。
僕だけが目にすることのできる、古代の英雄が発現させた【ギフト】についての記述。
心臓が早鐘を鳴らし始める。
僕は逸る気持ちを抑えながらその文字の羅列を視線でなぞり、そして気がついた。
「文字が、読めない」
それはおそらく、今では使われていない文字。
読解が困難とされている《失われた文字》と呼ばれているもの。
そんな文字が僕に読めるはずもなく。
「ど、どうしようイゼ」
縋るように僕はイゼへとそう声をかけた。
「……ッ、ッ」
「? イゼ?」
そして僕は、イゼの様子が少しおかしなことに気付く。
僕の問いかけに応じず、黙りこくっている。
まさか、僕が《失われた文字》を読めないことに気付いて、落胆しているのだろうか。
そんな不安に駆られる僕の耳に、その声はやっと届いた。
『オイオイオイ、大将よォ……オレァ、今ァ最高にブルッちまッてるァ。
震えが止まんねェよォァ!』
「い、イゼ?」
『おめェッてヤツァ……最高だァ、ッ!
よりにもよッて最ッッッッ高にアガる【ギフト】を引き当てやがッて!!!』
その声は恍惚と歓喜で打ち震えていた。
『運命なんてクソッタレたもんは信じちャいねェが、この最ッッッ高の出会いにャあ感謝するぜェ!』
「そ、その、でも、僕この文字読めないよ!」
『んなこたァ関係ねェ!
心配すんな!
てめェはなんも考えずに、その頁をブチ破りャあイイ! ほら、遠慮せずにやッちまいな!!』
や、破る!?
イゼ自身からのそんな提案に、僕は更に混乱する。
意味がわからない。
破って、どうなるっていうんだ。
『イイからほらほらァ!
ぱァッとやッちまえッてェ!!』
「ああっ、もう! 本当に良いんだよね!?」
『だからそォ言ッてんだろォォァ!!』
頭を空っぽにした。
もう、知るもんか。
そして僕はイゼのその頁を右手で掴み、無造作に破り取った。
「ッ」
その瞬間──ズン、と。
身体中の隅から隅に至るまでを、得体の知れない衝動が走り抜けた。
血流が加速し、心臓が膨張と収縮を繰り返す。
霞む視界の先には淡く発光する一枚の紙が見えた。
僕が破り取った、イゼの──【魔導書】の一頁だ。
すると、それは次の瞬間光の粒子となって辺りに弾け飛び、間を置かずに僕の【精霊結晶】目掛けて収束しだした。
そして【
「はあっ、はあっ」
『さァ、譲渡成立だァ』
まるで、生まれ変わった気分だった。
自分という器の中に、何か全く別の存在が注ぎ込まれた感覚がはっきりと分かる。
『最初は違和感があるだろうがァ、ソレァ使っていく中でゆッくりと溶け込んでいくァ。
まァ、気にすんなァ』
「う、うん。
えっと、それで」
『ああ、分かッてる分かッてる。
そうがッつくなッて!
今からじィィッくりその力について教え込んでやるからよォ』
身体の中にあるこの確かな力の感触を、今すぐに試してみたくて堪らない。
正直、眠気も疲労も全て興奮に呑み込まれてしまっていた。
『大将が手にした力は、全てを置き去りにして戦場を駆け抜けた英雄──【雷髄】の発現させた史上最速の【ギフト】だ。
その名も【
満たされることのない“速さ”への渇望から生まれたイカれた【ギフト】だァ!』
「か、かっこいい」
『だろォ!?
なんだよ分かッてんじャねェか大将よォ!!』
イゼは嬉しそうにそう言って嗤った。
『そんでこれからがメインディッシュの【ギフト】実演だァ』
「え、実演?」
突然イゼの口から出てきたそんな言葉に思わず反応してしまう。
実演と言われても、僕にはまだこの力の使い方なんてさっぱりだ。
それに、話を聞いた限りではすぐに扱えるような力であるとも考えにくい。
そんな考えを巡らせていた僕の耳に届いたイゼの言葉は、全くの予想外のものだった。
『実演は、オレ自身がやるッ!』
「え?」
なんて?
イゼ、自身が?
『今ァ、大将の【精霊結晶】を介して【ギフト】の譲渡を行ッたことでェ、オレと大将の間には“意識の通り道”が出来たァ!
つまりィ、大将の許諾さえありャあオレがその身体を一時的に借りるッて芸当がバッチリ可能になッたわけだァ!!』
「僕が身体を、貸す!?
え、それってイゼに僕の身体を一時的に乗っ取られるってこと!?」
こ、怖い!
『ビビんじャねェ! 大丈夫だァ!
ソレァあくまでも大将の身体だ!
許諾がねェとオレは勝手にその身体を使うこたァできねェし、交代してる途中でも大将が拒否すりャあすぐに解除される!
大将が心配することなんざァなにもありャしねェッて!!!』
必死にそう説明してくるイゼ。
正直、自分の身体が全く別の人に操られてしまうことっていうのは、怖い。
でも僕は、イゼと「二人で一つ」という契約まで交わしてしまったんだ。
まあ、口契約だったけど。
そんな契約相手を信じられないようでは、ダメだ。
なによりそれは、嘘をついたことになる。
嘘は自分を弱くするって、言われたじゃないか。
「分かった。
い、良いよ。許諾、する」
『よッしャらァァァァァァァァァァッ!
待ッてましたァァァァァァァァァァ!
じャあ許諾の鍵となる言葉をオレに続いて口にしなァ!』
「う、うん」
『許諾の言葉はァ──』
許諾の、言葉は──
「……──【
瞬間、意識の手綱横からをぶん取られるような感覚に陥る。
そして気付くと視界がおかしなことになっていた。
それはまるで、眼球の中にもう一つ眼球があるかのような感覚。
驚いて声を出そうとするが、もう出来ない。
なぜならそれは今、既に僕の身体ではなくなっていたから。
「さァ、
僕は自分の声で放たれたそんな言葉を聞いた。
イゼだ。間違いなくイゼが今、僕の身体を使っている。
「感謝すんぜ大将ァ。
つゥわけで、お返しだァ。
大将には最高の“お手本”を見せてやるよァ!
そこでよォく見ときなァ」
そう言うとイゼは僕が腰に差していた短剣を抜き放った。
そして精霊樹の庭の中でも一際巨大な精霊樹に狙いを定める。
その高さ、約僕三〇人分。
その太さ、約僕一〇〇人分。
そこまでの距離、約七〇歩分。
「【
イゼが小さくそう呟く。
すると──ヂンと何かの枷が外れたような音が身体中から上がり、その身体が稲妻を帯び始めた。
──バヂィ、バヂン、バヂバヂバヂィ!
轟音をあげながら眩く弾ける白雷が、辺りの暗闇を一瞬で照らした。
そしてその白い雷は、棘を持つ茨のように全身に絡みついてゆく。
その神々しい光景に、僕は驚いて声を出すこともできなかった。
そんな僕の視線に応えるように「いくぜェ」と口にすると、イゼは腰を落とした。
「そォ、れッ──!」
そんなイゼの声が響いたと思うと──目の前には地平線と空が広がっていた。
……。
…………。
………………え?
それはコマ落としのように。
視界の先にあったのは立ち塞がっていた巨大な精霊樹の姿ではなく、夜に染まった空。
何が、起こったのか。
「んッ、んッ、んぎもぢィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィァァ!!!
そしてイゼはそう叫び、着地した。
一瞬前まで精霊樹の庭から
声も、出なかった。
「さァ、倒れるぞ」
そしてイゼは振り返ってそう言った。
視線の遠く先にあったのは、つい今まで僕たちのいた精霊樹の庭。
よく目を凝らすと、先ほど僕の体があった場所からこの場所まで、稲妻の残滓が漂っていることに気付けた。
しかし直後、そんなことは後回しになるような光景が視界に飛び込んできた。
──ズズズズと重苦しい音を立てながらズレだす精霊樹の幹。
その断面はまるで刃物で切断されたかのように一直線だった。
ここまで見れば、馬鹿な僕にだって分かる。
分かるなといわれる方が無理な話だ。
イゼが、斬ったのだ。
あんな頼りない短剣で。
それも、一太刀で。
「さァ、どうだッた大将」
そしてイゼは誇らしげに言った。
「これが【
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