第13話 国際電話と巴の手紙

 自宅最寄り駅にて、待つこと30分。


 息を切らせながら改札口から出てきたひと花は、俺を見つけるなり慌てて駆け寄ってきた。


「ご、ごめんなさい優希くん。

 待たせちゃって……!」


「いや、別にそれほど待ってないよ。

 女子たちに捕まってたんだろ?

 それじゃあ、行こうか。

 スーパーはこっちだから」


 あんまり謝罪を長引かせるのも可哀想だ。


 俺はさっさと話を切り上げて、先導するように前に立って歩き出した。


 数歩遅れて、ひと花もあとからついてくる。


「…………っ」


 かと思うと、すぐに彼女は小走りになって俺の隣に並んだ。


「……ひと花?」


 彼女は顔を真っ赤にしてうつむき加減だ。


「な、なにかしら⁈」


 声が上擦っている。


 ついでに、なにやら緊張しているように見えなくもない。


 もしかしてひと花のやつ、一応は男子である俺と肩を並べて歩くことに、照れているのだろうか。


 そんな様子の彼女を見ていると、なんだか俺まで気恥ずかしくなってた。


 つい押し黙ってしまう。


 そうしてふたり、夕陽の傾いてきた街路を言葉を交わすでもなくとぼとぼと歩いていると、うちから一番近いスーパーである『サンキューOASIS』が見えてきた。


 ◇


 サンキューOASISは、うちの近所では一番品揃えが豊富なスーパーだ。


 輸入雑貨なんかも相当な品目を扱っていて、ただ店内を見て回るだけでも結構楽しい。


「よし。

 じゃあまずは、本日の特売品からチェックしていこうか」


「え、えっと……。

 特売品、特売品。

 あ、ここ」


 出入り口に置かれてある広告チラシを1枚手にしたひと花が、俺にも見えるように広げてくれる。


「ふーん。

 野菜は小松菜、水菜、人参……。

 結構売り出ししてるなぁ。

 肉類は、鶏モモが安いな」


 ひと花にとっては初めてくるスーパーだから、俺は各コーナーを案内しながら、手にした買い物かごに手早く商品を入れていく。


「だいたいこんなもんか。

 ひと花はなにか、必要なものあるか?」


「う、うん。

 これと言ってないんだけど、ゆ、優希くん。

 れれ、冷凍食品は買わないの?」


 彼女は軽くキョドりながらも、不思議そうな顔で俺を見ている。


「あ、あっち。

 ほら、冷凍食品が安いのよ。

 レトルト食品も」


「……ひと花って、そういうのが好きなのか?」


「好きってわけじゃないけど……。

 わ、私、料理あんまり得意じゃないし。

 でも冷凍食品はレンジで温めるだけで簡単じゃない。

 お母さんもお店で毎日遅かったし、私の晩ご飯はだいたいこれだったから」


 俺はひと花が毎晩、暗い家でひとり、モソモソと冷凍食品を食べている姿を想像してみた。


 とても悲しい気持ちになった。


「……わかった。

 でも冷凍食品は、もういいんだ」


「で、でも……。

 便利だし」


「いいんだ。

 これからは俺が、うまい晩飯作って食べさせてやるからな。

 うぅ……」


「え、あ、あれ?

 あのぉ。

 な、なんか私、可哀想な子扱いされてる?

 べ、別にそんなこと……」


「皆まで言うな!

 ちゃんとわかってる。

 俺はひと花の感じてきた寂しさ、全部わかってるから」


 早く帰って、この子にうまい晩飯を食べさせてやりたい。


 俺はさっさとレジで会計を済ませ、納得のいかない顔をしている彼女を連れて、自宅への帰路についた。


 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 夕飯はポトフを作った。


 チキンコンソメのスープに、ザク切りのキャベツや、大きく乱切りにしたじゃがいも、人参。


 それと今日買ったばかりの鶏肉や、ソーセージを入れてくつくつと炊いたものだ。


「さぁ、食べてくれ。

 ちゃんと心を込めて作ってある」


「え、ええ。

 なんだか釈然としないけれど。

 い、いただきます」


 俺も手を合わせてから、箸を取る。


 目の前のスープ皿に手を伸ばして、クタクタになるまで炊いたキャベツを摘み上げ、口に含む。


 熱い。


 頬の内側を火傷してしそうな熱にほふほふしながら、ゆっくりと咀嚼そしゃくすると、ホロホロッとキャベツの繊維が崩れて優しい味わいのコンソメスープが溢れてきた。


「うん、うまい」


「おいしい……」


 俺たちは同時に呟いていた。


 ひと花は次々と箸を伸ばしては、柔らかく煮込まれた鶏肉をつまみ、ほくほくの湯気を立ち上らせるじゃがいもを口に放り込んでからソーセージを咥え、パリッと小気味の良い音をさせながら食べていく。


 見ていて気持ちの良くなる健啖ぶりだ。


「……おかわりもあるぞ。

 たくさん食べてくれ」


 幸せそうな顔で食べる彼女に、なんだか俺まで幸せな気分になれた。


 ◇


 食後、俺は親父に国際電話を掛けることにした。


 ひと花は自室に戻っている。


 電話の要件は、生活費がまだ口座に入金されていなかった件だ。


「えっと。

 たしか、ドバイは……」


 固定電話の受話器を持ち上げてから、少し考えた。


 日本とドバイとの時差は5時間。


 いまが20時前だからドバイは大体15時頃になるだろう。


 なら特に電話をかけても、非常識にあたる時間ではない。


 ぷるると呼び出し音が鳴って、相手が電話に出た。


『……もしもし、春乃です』


「親父、俺だ。

 優希だけど、いまちょっと電話いいか?」


『おう、優希か。

 少しなら構わんぞ。

 なんだお前、あれかぁ?

 さっそくひと花ちゃんと喧嘩でもして、パパに泣きついてきた訳だな?

 はっはっは』


「してねぇよ!

 というか誰がパパだ、気持ち悪い!」


 どうやら親父は、ドバイでも変わらずにやっているらしい。


 少し安心する。


「……ったく。

 とにかく要件を言うぞ。

 当面の生活費を入れておいてくれる筈の、銀行口座があるだろ?

 でも確認したら、残高が1円だったんだよ。

 入れ忘れなら――」


『ああ、その件か。

 その件なら、わざとだ』


「…………は?」


『電話が遠かったのか?

 ならもう一度言うが、金を入れていないのはわざとだ。

 生活費はひと花ちゃんと一緒に、喫茶店で稼げ』


「…………はぁ⁉︎」


『要件はそれだけか?

 だったら、もう切るぞ。

 父さん忙しいんだ』


「……は⁉︎

 ま、待て!

 待ておい、親父!」


『……そんなに大声で叫ばなくても、聞こえている。

 あ、そうそう。

 俺の書斎の机の引き出しに、巴さんからひと花ちゃんに宛てた手紙が入っている。

 渡しておいてくれ。

 ちゃんと中を見ずに渡すんだぞ!

 それじゃあ、ひと花ちゃんと仲良くな』


 ブチッと音がして、一方的に電話が切られた。


 あまりにも理不尽で唐突な話に、俺は受話器を耳に当てたまま立ち尽くしてしまう。


「……な、なんっ……⁉︎」


 ツーツー、と通話の終了音が伝わってきた。


「……なんだ、それ……」


 呆然としたまま、呟いた。


 生活費は喫茶店で稼げ?


「……なんだ、それ」


 いくら無茶な親父でも、今回のはあんまり過ぎる。


 これはさすがに、育児放棄になるんじゃないのか?


「……なんだ、それぇえええ!!!!」


 俺は夜中にも関わらず、腹の底から絶叫した。


 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 ――遠い海の向こう。


 ドバイの青い空の下。


 現地での宿となる立派な住宅のベランダで、寛と巴が話し合っていた。


「……巴さん。

 これで良かったんですかねぇ」


「ええ!

 ばっちりですよ、寛さん!」


「うーん……。

 そうかなぁ」


 彼らが話しているのは、先ほどの優希との通話内容についてである。


 日本に残してきた優希とひと花。


 ふたりには今後の生活費を、喫茶店で稼がせる。


 この話を寛に持ちかけたのは、なにを隠そう巴であった。


「あの子たちなら大丈夫ですよぉ。

 それにほら、ちゃんと保険は用意してあるわけですしぃ」


 日本でのことは、優希の従姉にあたる若手の一流料理人、秋山那月にお願いしてある。


 生活費についても、いざ困窮したとなれば、那月の判断で優希たちに手渡される手筈になっていた。


「そうですかねぇ。

 まぁ那月から週一で、優希たちの様子を連絡してもらえるようになってますが……」


「ならやっぱり大丈夫。

 ああ見えて、ひと花もやるときはやるんですよぉ?

 さ、その件は経過を見守るとして、私たちも家の片付けを済ませちゃいましょ」


 巴が部屋に戻る。


「……そうしますか。

 ふぅ。

 とりあえずアイツらが喫茶店で稼いだ金だけで暮らしていけたとしたら、俺から振り込む予定だった生活費は、ふたりの将来の貯金にでも回してやるかなぁ」


 寛も頭を掻きながら、巴のあとを追うように部屋へと戻っていった。

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