第5話 ひと花がうちに越してきた

「ひと花ちゃん、学食いこうよー。

 今日の日替わりランチは、デミグラスソースハンバーグなんだって!」


「ふふ。

 亜美はハンバーグ好きね。

 いいわよ。

 えっと、裕子は?」


「あ、あたしも行く行くー」


 冬月が友人たちと一緒に教室を出て行く。


 その姿を横目で見送ってから、俺は持参した弁当を机に置いて包みをといていく。


 いまは昼休憩の時間だ。


 ガヤガヤとした喧騒に包まれながら、不在となった冬月の席をなんとなしに眺めた。


 考えるのは明日のことだ。


 ……明日の土曜。


 冬月ひと花が、我が家に越してくる。


 荷物の搬入は昨日のうちに済ませた。


 今頃、家では親父と巴さんが、荷ほどきに精を出している頃だろう。


 予定では明日土曜の朝に巴さんと冬月のふたりがやってきて、その日一日はうちでゆっくりと過ごし、家族で晩餐なんかをしてから、翌、日曜の早朝、ドバイにっていくらしい。


 その後は俺と冬月の、二人暮らしが始まる。


「ふたりきり、かぁ……」


 声に出してみても、あまり実感は湧かない。


 だが胸の奥に、正体不明のもやもやとした感情がある。


 いったいこの気持ちはなんだろうか。


 自分のことなのに、よくわからない。


「うーむ……」


 冬月とは相変わらず言葉をかわせないままだし、こんな調子で俺は、あいつと仲良くやっていけるのだろうか。


「なにが『ふたりきり』なんだ?

 っと、相変わらず美味そうな弁当じゃねえか。

 アスパラのベーコン巻き、いただきぃ!」


 急に現れ、ひとつ前の空き席に後ろ向きに腰掛けた天彦が、奪ったおかずを口に放り込む。


「あ、ちょ、お前⁉︎

 いきなりメインのおかずを奪うとか、容赦ないな!」


「へっへー。

 ケチケチすんじゃねぇよ。

 んぐ、んぐ……。

 おー、マジ美味いなこれ。

 アスパラがシャキシャキだわ」


「だろ?

 茹で方にコツがあるんだよ。

 って、そうじゃなくて!」


 またしても弁当に伸びてきた指を、パシッと払いのける。


「ちっ、残念。

 しゃーねぇ。

 購買パンで我慢しますかねぇ」


 天彦は手にしていた紙袋からふたつほどパンを取り出し、ビニールの包装紙を破ってから、かぶりついた。


 俺も弁当を食べ始める。


「それで、なにが『ふたりきり』なんだ?

 まぁどうせ、冬月ひと花絡みの話なんだろうが」


「うっ……」


「ははは。

 やっぱ図星か。

 そういやお前たち、まだぎこちないみたいだけど、いまどうなってんの?」


「どうもこうもなぁ……」


「前にも言ったが、困りごとなら俺に相談しろよな。

 力になるぜ?」


 申し出はありがたいが、まさか親父の再婚相手の連れ子が冬月で、親たちが海外にいくからこれからふたりきりの同棲生活が始まります、なんて言うわけにもいくまい。


 俺としては天彦に隠しごとなんてしたくないが、ことは冬月にも関わるのだ。


 勝手な俺の判断で、言いふらしたりは出来ない。


「…………」


 口を噤んだ俺をみて、天彦は軽く肩をすくめた。


「俺にも言えない話か?」


「……すまん」


「あっそ。

 じゃあ、いいや」


「なんだ。

 やけにあっさりしてるな?」


「ん……?

 ああ」


 天彦は齧ったパンをもぐもぐと咀嚼し、ごくんと飲み込んでから応える。


「いや、だってほら。

 優希、楽しそうじゃねえか。

 だったら悪いことじゃないんだろうし、まぁいいかなって」


「……は?

 楽しそう?」


 言われてようやく気がついた。


 さっきから感じていた、胸の奥にある正体不明の想い。


 これはきっと高揚感だ。


 これから始まるあいつとの毎日に想いを馳せると、なんだか身体がうずうずしてくる。


「そうか……。

 はは。

 すっきりした。

 俺は、楽しみにしていたのかぁ。

 あははは」


「……なんだ?

 いきなり笑い出して、気味の悪いやつだな。

 っと、隙あり!

 うずら卵いただきぃ」


「あっ、お前なぁ!」


 俺は天彦と騒ぎながら、賑やかなお昼の時間を過ごした。


 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 ついに土曜の朝がやってきた。


 今日は冬月がうちにやってくる日だ。


 昨日のうちに家の掃除は済ませてある。


 だと言うのに、俺はなんだか落ち着きなくそわそわしてしまって、ついテーブルや窓枠の拭き掃除をしてしまう。


「おい、優希。

 お前、夕べからずっと掃除してるじゃないか。

 さすがにもういいだろう」


 リビングソファに浅く腰を掛け、テーブルに広げた新聞に目を落としていた親父が、呆れ顔を向けてきた。


「そ、そうだな。

 じゃあ、次は……えっと、なにをしよう。

 あ、そうだ。

 荷ほどきの残りでも――」


「こらこら、もういいから。

 だいたい残りの段ボールは、ひと花ちゃんの荷物だ。

 勝手に開けたら怒られるぞ?

 ほら、いいから座りなさい」


 促されるまま、ソファに腰をおろす。


 でもしばらくすると、俺はまた、やっぱり貧乏ゆすりなんかを始めてしまう。


 なんとか気を鎮めようと、リビングの大きな窓からガーデンルームに目を移した。


 晴れ晴れとした青空。


 ぽかぽかとして柔らかな日差しが降り注いでいる。


 季節は春と呼ぶには少し遅いけれど、初夏というにはまだ早い。


 そんな頃合いだ。


 ちゅんちゅんと小鳥のさえずりに耳を傾けながら外の景色を見ていると、ようやく少しは心が和んできた。


「どうだ。

 落ち着いたか?

 コーヒーでも飲むか?」


 ゆっくりと首を振って断る。


 心遣いはありがたいが、親父の淹れるコーヒーは不味いのだ。


 それなら自分で淹れたほうがいい。


 ◇


 そうこうしていると、玄関チャイムがピンポーンとなった。


「お、きたきた。

 巴さぁん」


 軽快な足取りで玄関に向かう親父のあとに続く。


 なんだか柄にもなく胸がドキドキしてきた。


「やぁ、いらっしゃい巴さん!」


「寛さん、お邪魔しますぅ」


「ははは。

 今日からここがみんなの家なんだ。

 だから『お邪魔します』じゃなくて、『ただいま』だよ。

 ほら、ひと花ちゃんも、入って入って」


 冬月は巴さんの背中に隠れて、小さくなっている。


 でも巴さんは彼女より拳ひとつぶん背が低いから、隠れきれていない。


「まぁみんなの家といっても、俺と巴さんは明日にはドバイに向かうがね!

 そうしたら、優希とひと花ちゃんのふたりきりだ。

 仲良くやるんだよ」


 親父の言った『ふたりきり』という言葉に、俺の心臓が思わずドクンッと高鳴った。


「あ、ああ。

 親父に言われるまでもなく、もちろん仲良くやるつもりだ。

 な、なぁ、冬月?」


「〜〜〜〜ッ⁉︎」


 冬月は顔を真っ赤にして、母親の後ろでますます縮こまっていた。


「もうっ。

 この子はいい歳して、お母さんの背中に隠れたりしないの!

 ほらっ」


 冬月が巴さんに引っ張られた。


 背後から肩を押されて前に出た彼女は、俺と目があったかと思うと、視線をあちこちに逸らしてキョドり始める。


「こぉら、ひと花。

 どうしちゃったの、この子ってば。

 優希くん、ごめんなさいねぇ。

 普段はこんな感じじゃないのよ?

 さぁ、はやく挨拶なさいな」


 巴さんが冬月のおしりをぽんっと叩いた。


「きゃ⁉︎

 なにするのよ、お母さん!」


「いいから、はやくはやく」


 彼女は母親を振り返り、恨みがましそうな目でひと睨みすると、ギギギと音が鳴りそうなぎこちない動きでこちらに振り向いた。


 何度も口をパクパクとさせて、ようやく言葉を紡ぎ出す。


「は、は、春乃くん!

 ふつ、ふつつか者ですが、きょきょ、今日からよろしく、おね、お願いします!」


「ふ、ふつつか?

 いや冬月、そんな嫁入りのセリフじゃないんだからさ」


「よ、嫁い……⁉︎

 あ、あわ、あわわ……。

 ばっ、ばっかじゃないの。

 どうしてこの私が、春乃くんなんかに嫁入りしなきゃならないわけ?

 調子に乗るのもいい加減に――はっ⁉︎」


 ぽかんとしている親たちを、冬月が見回す。


「い、いまのは違うの!

 いまのなしだから!」


 耳まで真っ赤になった彼女の声は、いつも以上に盛大に上擦っていた。

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